友部正人より 
友部さんからのお便りのご紹介です。

12月25日(火)「Jerry Jeff」
早稲田にある「ジェリー・ジェフ」というお店で、豊田勇造と二人でライブをしました。勇造は10年前からここでライブをしているそうです。ぼくはその勇造に誘われ、今回初めてやってきました。このお店はとても狭く、今夜のライブは常連客で予約がいっぱいになっていたので、シークレットライブのような形でやりました。
最初に勇造が1時間演奏しました。勇造はいつも新しい曲が何曲かありますが、今日も初めて聞く歌が3曲ぐらいあって、どの歌も発想がユニークでおもしろかった。聞く人を楽しませることをちゃんと考えて作られていました。さすがだなあと思います。
ぼくも1時間ぐらい歌いました。ジェリー・ジェフ・ウォーカーという名前の出てくる歌「風のような声」を思い出しながら歌ったけど、後でコードがだいぶ違っていたことがわかりました。
アンコールは二人で演奏しました。ぼくの「遠来」で勇造がギターを弾き、彼の「ペシャワール」でぼくがハーモニカを吹くという感じです。
「ジェリー・ジェフ」は明日でお店を閉めるのだそうです。お店の前の歩道で勇造やユミとシャンペンを飲みながら立ち話をしていたら、ふとグリニッチビレッジにいる気がして、ニューヨークが懐かしくなったのでした。(そういえば93年に初めてユミとニューヨークに行ったときに、ジェリー・ジェフ・ウォーカーのライブを見たのでした。)

友部正人
12月23日(日)「平和に生きるための 言葉&音楽」
さいたま芸術劇場の映像ホールで、詩の朗読と歌のコンサートがありました。高橋さん、新崎さんという二人の学校の先生の企画です。教え子の4人の女子中学生も谷川俊太郎さんの詩や自作の詩を朗読しました。
学校の先生だから、今のギクシャクした世の中を直接肌で感じているのでしょう。「普通の人たちが発言していくこと」の大切さを広めることがこのコンサートの主旨でした。だから自分の体験を詩にしたり、自作の歌を風変わりな編成のバンドで演奏することは、今日のコンサートの主旨によく合っていました。

友部正人
12月19日(水)「伊勢くん」
ドキュメンタリー映画の監督、伊勢真一さんの息子、朋矢くんが、音響の人たちと共に家にやってきて、ぼくの語りを撮影をしていきました。伊勢真一さんももちろん一緒でした。ビデオカメラで覗くと白い色が邪魔になるらしくて、部屋の中の白いものをまず片付けてしまいました。本棚の背の白い本も入れ替えられてしまいました。
語りは朋矢くんの質問に答える形で始まり、あとはモノローグ的に30分ほど。話の内容はぼくのデビュー35周年に合わせようとしたけど、すぐにとりとめがなくなってしまうから、どうやってまとめるのか楽しみです。これは3月に発売されるぼくのニューアルバムの特典DVDになります。

友部正人
12月17日(月)「ビデオ編集」
来年1月に出る予定のDVD「LIVE! no media 2006」の編集を、ビデオカメラマンの木村さんのお宅の仕事場でやりました。雪の盛岡から戻ってすぐだったのでなんだか忙しかったけど。
編集室の画面で見るときれいな映像で、ああ、これなら十分楽しめるな、と思いました。完成が待ち遠しい。

友部正人
12月16日(日)「盛岡 紅茶の店しゅん」
2年ぶりの「しゅん」でのライブでした。入口にはカウンターがあり、二階にはテーブルもあるのに、ライブのときの特等席は階段です。みんな階段のステップに腰かけて聞いていました。
ユミは風邪気味で体調が悪かったのが、ライブが終わったころには元気になっていて、ぼくの歌のせいかな、と思っていたら、ライブの前に少し食べた「しゅん」のスパイスのきいたカレーとミルクティのせいだったようです。インドでは疲れたり風邪をひいたりするとスパイスを摂って元気になるそうです。
去年の岩手大学でのフリーコンサートを主催してくれた学生たちも来てくれてうれしかったです。来年は市内の町屋でライブをやろうという案が「しゅん」から出ています。

友部正人
12月15日(土)「仙台 火星の庭」
仙台では1年ぶりのライブでした。前半は「ジュークボックスに住む詩人 2」からの朗読と、「火星の庭句会」の主宰、渡辺誠一郎さんとの対談。朗読は矢野絢子、ふちがみとふなと、アントニー、ダー・ウィリアムズについての文の一部分、渡辺さんとの対談は俳句についてでした。渡辺さんはぼくと同じ1950年生まれですが、誰もがビートルズに夢中になった中学時代にそうならなかったのは、日本の歌手がビートルズのように海外で受け入れられないことに疑問を感じたからだそうです。興味深い話でした。

後半はぼくのライブでした。新しいアルバムからも5曲ぐらい歌いました。「びっこのポーの最後」は最近よく歌っていますが、こういう曲1曲でライブが引き締まります。
昨日に引き続き火星の庭で打ち上げ。火星の庭の久美子さんと健ちゃん、たくさんの料理とワインをありがとう。

友部正人
12月14日(金)「火星の庭句会」
もう2年も続いている仙台の句会です。始まりのきっかけは渡辺誠一郎さんの句集を読んで、ユミが「自分たちもやろうよ」と言い出したから。その渡辺さんも主宰としてずっと参加してくれています。今回はそのユミの句「深々と冬のかたちに眠るなり」が最高の8点をもらって一番、主宰からお祝いの短冊をもらっていました。ぼくはどうしたわけか限りなくゼロに近い得点でした。

終わった後は忘年会も兼ねた打ち上げ。今夜はほぼ全員の13人が集まり、前野久美子さんの手料理で1時近くまで盛り上がりました。

友部正人
12月9日(日)「春日井市 ギャラリーゆんたく」
今回3日間のライブをプロデュースした陶芸家の大泉讃さんが作品展をやっているギャラリーでコンサートをしました。天井の高い木造のギャラリーで、とてもよく声が通るので、マイクは使わないで生で演奏しました。
名古屋はチャイ、土岐はコーヒーでしたが、春日井ではおはぎと中国茶がつきました。オーナーの梶田さんのお母さんが作ったそうです。
今回の3日間のライブでは、普段のライブハウスでは出会えないような年配の方たちや、ぼくの歌を聞いたことのない若い人たちにも歌を聞いてもらえました。それはぼくの歌にとってもうれしい出会いでした。

友部正人
12月8日(土)「土岐市 三幸スタジオ」
主催の今井さんは瑞浪市で35年間「待夢」というコーヒー専門店をやっています。毎年中近東やアフリカにコーヒー豆の買い付けに行くそうです。イエメンのコーヒーを飲ませてもらいましたが、すごくおいしいコーヒーで、ついお代わりをしました。
4年前にぼくに会ったときから、今井さんはずっとぼくのライブをやりたいと思っていたそうです。久しぶりに「大阪へやって来た」を歌いました。主に若い人たちがCDや本を買ってくれたのが印象的でした。

ジョン・レノンの命日の今日、三宅伸治くんの詩集「月のメロディ」が西日本新聞社から発売になりました。no mediaで朗読された詩もいくつか入っていて、ぼくも文章を寄せています。

友部正人
12月7日(金)「名古屋スペースG」
覚王山にあるインド雑貨のお店「ビーナトレーディング」主催のライブ。ライブの前にはチャイが無料でふるまわれ、終演後にはお手製の本格的インドカレーをほとんどの人たちが食べて帰りました。カレーは600円でした。
今日は新しい歌と古い歌を交互に歌ってみました。そうすると、古い歌が新しい歌を、新しい歌が古い歌を刺激しているようでした。朗読は「ジュークボックスに住む詩人 2」からリッキー・リー・ジョーンズの章を半分だけ。エッセイを読むのもいいものだと思いました。

友部正人
12月3日(月)「島袋さん」
両足義足のマラソンランナーの島袋勉さんが、今年の「ランナーズ大賞」を受賞して、その授賞式に出席しました。場所は恵比寿のウェスティンホテルです。
授賞式の後のパーティで歴代受賞者が紹介されたのですが、みんなかなり高齢でした。でもみんな現役のランナーたちなのです。その中には高石ともやさんもいました。
パーティではご馳走をたらふく食べ、その後は島袋さんやニューヨークで知り合ったランニング仲間たちと終電近くまでビアホールでにぎやかにおしゃべりをしました。

友部正人
12月2日(日)「基山町」
佐賀県基山町で、今年もぼくのライブがありました。地元の人たちが協力しあって毎年開いてくれています。子供たちが小さいときには、託児所を用意していましたが、今年はその必要もなくなり、大人だけでのびのびと歌を楽しんでくれました。「一年に一度のぼくのライブが、ちょうどいい息抜きになるんだ」と基山に住むぼくの古い友人は言っていました。

友部正人
12月1日(土)「福岡 電気ホール」
35年前に電気ホールであった「フォークロックコンサート」を同じメンバーで再現しようという企画でした。ただ高田渡はもういないので、息子の漣くんが来てくれました。井上陽水は欠席でした。
加川良、高田漣、友部正人、山下洋輔トリオ、三上寛、遠藤賢司という順番で歌い、アンコールでゲストの加藤登紀子が3曲、2度目のアンコールは加川良が、漣くんのギターと山下さんのピアノで「生活の柄」を歌い、それに全員がコーラスをつけました。
ぼくはソロで「わからない言葉で歌ってください」「びっこのポーの最後」「一本道」「Speak Japanese,American」「サン・テグジュペリはもういない」を歌い、「おやすみ12月」を漣くんのスライドギターと一緒に歌いました。
当時フォークロックと総称で呼ばれていた歌が、いつのまにかそれぞれの人の音楽に成長しているのがおもしろいなあと思いました。

友部正人
11月30日(金)「広島OTIS」
1年ぶりのOTISは、熱心なお客さんで満席になりました。前半はレコーディングが終わったばかりの新しい曲を中心に歌い、後半はリクエストされていた曲など、今までの古い曲を歌いました。ニューヨークに行っていたせいで久しぶりに歌を歌ったぼくには、古い曲も新しい歌のように新鮮でした。いつもこんな気持ちでライブができればいいのですが。

友部正人
11月26日(月)「ハンバートハンバート」
渋谷クアトロでハンバートハンバートのソロライブを聞きました。満員のお客さんに舞い上がることもなく、じっくりと自分たちの音楽を聞かせる力量はたいしたものだと感心しました。しかも現実的な言葉が印象に残る新しい曲が中心で、やっとたどり着いたというのではなく、やっと始まるんだという意気揚々とした感じに好感を持ちました。
ぼくにとっても、感情移入という手続きを経ないで楽しめる稀有な新しい音楽でした。

友部正人
11月25日(日)
10月に吉祥寺のスタジオLedaで録音した3曲のミックスダウンをしました。今回のアルバムで一番ロックっぽい3曲です。金井太郎くんの60年代っぽいギターソロと三木さんのチェロは聞き所。
今回はいろんな場所で録音したので音の感じがまちまちです。だから曲順を決めるのが大変そう。全部のミックスが終わるのはまだちょっと先なのに、ぼくもユミも今から悩んでいます。

友部正人
11月20日(火)「レコーディングのミックス」
10月に大塚のビッグピンクスタジオで、バンバンバザールと横澤龍太郎と一緒に録音した3曲のミックスをしました。エンジニアの永見くんがすでにミックスをしておいてくれたので、楽器や歌のバランスを整えただけで、4時間ぐらいで終わりました。家に帰って聞きなおしてみたら、深みのある自然な音になっていてうれしくなりました。

友部正人
11月19日(月)「おおはたくんと原田郁子さん」
日本に戻って来たばかりでまだひどい時差ボケ状態なので、音楽を聞くと寝ちゃうかな、と思いながらも、前から誘われていたおおはた雄一くんのライブに行きました。ゲストは原田郁子さん。3時間に及ぶ長いライブでしたが、睡魔に負けることなく、ぼくもユミも最後まで楽しみました。
原田さんは仕草がちょっと子供っぽい人だなあと思って見ていたら、おおはたくんがそんな原ださんのことを「自由だね」と言ったのが印象的でした。
おおはたくんのアコースティックギターは前から好きでしたが、今回はバンドと一緒の演奏が聞けてよかったです。生き生きとしていました。

友部正人11月13日(火)「デミアン・ハーストとジャック・ケルアック」
パーク・アベニューにあるLever Houseというオフィスビルの1階に、デミアン・ハーストの作品が展示されています。このビルのオーナーが作品を購入して無料で公開しているのです。「スクール」というタイトルの作品で、数式の書かれた黒板がありました。整然と並んだガラスケースには解剖された数十頭の羊が、生命維持装置をつけられて並んでいました。分断された牛の胴体はフランシス・ベーコンに、白い鳩とこうもり傘と椅子のオブジェはマグリットに捧げられているそうです。速い速度で逆回りする数十個の時計には、時間は逆戻りしないという意味がこめられているそうです。それから壁際のたくさんの薬箱には、薬を宗教的にまであがめている現代人への警告の意味があるそうです。解説を読まないとわからないことが多い現代美術です。

42丁目の中央図書館ではジャック・ケルアックとビートニクの作家たちの展覧会が開かれています。有名な、何メートルもある巻紙に書かれた「オン・ザ・ロード」の初稿もありました。この巻紙は建築家が使うトレーシングペーパーだそうです。タイプライターでびっしりと書き込まれた文章には、あちこちに鉛筆の書き込みや訂正がありました。
日記や詩も鉛筆で小さな手帖に書かれていました。それから、画集にもなったケルアックの原画もありました。想像していた以上に時間がかかりそうな内容なので、ケルアックの本をもう一度ちゃんと読みなおしてから、また来ようと思いました。これは来年の3月までやっています。

友部正人
11月11日(日)「クロスカントリー」
ブロンクスにある広大なバンコートランド公園で、クロスカントリー5キロのレースがあってユミと参加しました。ヨーイドンで一斉に走り始めて、野山を駆け巡るレースです。5歳区切りの年齢別に男女とも上位3位まで賞品がもらえます。ユミはレースに参加するのは初めてにもかかわらず、3位になって賞品のアクリルのたてをもらいました。写真家のヨシや、「ミリキタニの猫」のプロデューサーのマサも参加したけど、入賞できたのはユミだけ。今までレースはかたくなに拒んでいたけど、けっこううれしそうでした。

夜はクイーンズのアストリアにある、マサがおすすめのお店にマラソンの仲間8人でギリシャ料理を食べに行きました。たこやいかや鯛やたらなど、どれもあっさりとした味で日本人の口にも合います。その後はマサのアパートでこたつを囲んみんなで夜中まであれやこれやと話をしました。

今回はニューヨークマラソンがあったせいか、ランニングに関係したことばかりしていました。レースの前はヨシの家で恒例のパスタパーティ、終わったらランニング仲間でお疲れさんパーティ、ロングアイランドのエイコさんの家でもパーティ、とみんなで集まってばかりでした。年齢も性別も職業もばらばらなのに、走ることでつながっている関係はなんだか楽しいのです。

友部正人
11月7日(水)「I'm not there」
11月下旬にアメリカで封切られる映画「I'm not there」のプロモーションのようなコンサートがビーコンシアターであったので聞きに行ってきました。「I'm not there」はボブ・ディランの様々な面を6人の俳優が演じる伝記映画のようです。この映画の中で使われている曲を、ライブでやろうという企画でした。
すでにサントラは発売されていて、ランブリング・ジャック・エリオットが「ジャスト・ライク・トム・サムズ・ブルース」をやっていたり、アントニーが「天国の扉」をやっていたりしますが、今日はCDの中の主だった人たちは出ませんでした。またCDには入っていないけど出演予定だったミシェル・ショックトがキャンセルになったり、かなりばたばたした感じがありました。
うれしかったのはダン・ヒックスとホット・リックスが出たこと。それからジョン・ドーの「やせっぽちのバラード」のときに、アル・クーパーのオルガンが聞けたこと。ディランはこの頃、必死に世の中と戦っていたんだなあ、とアル・クーパーのオルガンを聞きながら思いました。
とても感動したのは、名前のわからない小柄な歌のうまい女性が歌った「激しい雨」。歌詞をかみしめるように歌って拍手喝采でした。もう一度聞きたい。
そして最後に出たザ・ルーツは、ジミ・ヘンドリックスを意識したアレンジで「戦争の親玉」を演奏しました。最初の何番かはアメリカ国歌のメロディで歌い、後半はジミ・ヘンのいくつかの曲のアレンジを取り入れていて、とても斬新な演奏でした。このときばかりは場内も総立ちになりました。ザ・ルーツは黒人ばかり3人のバンドで、ギター、チューバ、ドラムスという変わった編成です。ギターの人はちょっとマイルス・デイビスに顔が似ていました。

友部正人
11月4日(日)「ニューヨークシティマラソン」
毎回お天気が気になるニューヨークシティマラソンですが、今年はひんやりとしていて、とても走りやすい気温でした。朝から快晴で、頭上にはうっすらと三日月が浮かんでいました。
クイーンズボロー橋を渡ってマンハッタンに入り、ファーストアベニューを10ブロックほど北に行ったところでユミを見つけました。そこでユミから補給用のアミノバイタルゼリーを受け取り、走りながら空腹を満たしました。
スタートから30キロを過ぎて、マンハッタンからブロンクスに渡る橋のあたりで足が限界に近づいているのがわかりました。後はもう止めるか続けるかしかないので、続けることにしました。セントラルパークに入り時計を見たら、念願の3時間30分までまだ15分以上あることがわかりました。それで少し余裕ができて、3時間24分でゴールしました。今までで一番いい記録でした。

両足が義足の島袋さんが、今年も沖縄からニューヨークシティマラソンに参加しました。ぼくと走り仲間の岡田さんの完走後、みんなで御飯を食べていたら、マサの携帯電話に島袋さんの伴走をしている友だちから、いつもよりペースが遅くつらそうだという連絡が入りました。スタートから8時間が過ぎていました。それでぼくたち6人もハーレムの138丁目まで行って彼らと合流し、そこからゴールまでの7キロを一緒に歩くことにしました。だんだん人が増えていく、何かのお話みたいです。島袋さんは新調したばかりの義足が合わなくて、骨に当たってすごく痛そうでした。ぼくたちが伴走した7キロの間にも5回くらい義足をはずして休憩をしました。

すでにレースは終わっていて、すっかり片付けも終わった夜のセントラルパークを、島袋さんは黙々とゴールまで歩き続けました。そんな島袋さんのことを気にする黒人のスタッフがいました。彼は島袋さんが休むときマッサージを手伝ったり、完走するともらえるメダルを準備したり、島袋さんが完走した瞬間をぼくたちと一緒になって祝福してくれたりしました。ニューヨークシティマラソンは巨大だけど、こういったやさしい人たちが支えてるお祭りなんだなあと思いました。11時間45分でゴールした島袋さんのことがあまりにも感動的だったおかげで、ぼくの自己新記録のことは遠い過去のことのようでした。

友部正人
11月3日(土)「オリンピック選考レースと中古レコード市」
セントラルパークで北京オリンピックのマラソンのアメリカ代表男子3人を決めるレースがあったのでユミと見に行きました。オリンピックの代表を決めるレースなのにものものしさは皆無で、なんだか速そうな人たちが必死になって走っているのを、通りがかりの人が見る、という感じでした。さすがにゴールのあたりは人がいっぱいでしたが。
ぼくたちが見ていたすぐ前で、地面に突っ伏して、声を上げて泣いている黒人選手がいました。3年前のオリンピックで銀メダルをとって、今回も最有力候補だったのに、8位に終わったのです。北京に行けることになったのは3人とも20代の白人でした。予選で全国から集まったランナーが、たった1回きりの勝負でオリンピック代表を決めるアメリカのシンプルなやりかたに感心しました。レース中に倒れた28歳の選手が、1時間後に亡くなったことを後で知りました。

明日はニューヨークシティマラソンだというのに、午後から一人で、WFMUというラジオ局が主催する、年に1回の中古レコード市にでかけました。広い会場に150ぐらいの中古レコード店がぎっしりと出店を並べます。中古レコード店の店主には世捨て人のような人が多く、個性がかなりあります。それに比べて集まってくる客にはレコードなんて知らないような若い人が多く、会場はかけ離れた世代の交差点のようでおもしろい雰囲気です。今年は例年よりも入場者数が増えているように思えました。入場料が6ドルかかるけど、探しているものが特になくても、うろうろするだけで楽しい気分になれるところです。

友部正人
11月1日(木)「EXPO始まる」
ニューヨークシティマラソンのEXPOが今日から始まりました。ぼくもユミとお昼過ぎから会場に行ってみました。今年は3万八千人が走るそうですが、まだそんなに人も多くはなくて、手続きも簡単にすみました。参加記念のTシャツは今までのどの大会のものよりいい。今年はレースに参加しないヨシとマドレンがボランティアで働いていました。
EXPOではいろんな国の言葉が聞けて、世界中から集まってきているのがわかります。
数年前には、たくさんの企業が試供品を惜しげもなくくれたけど、最近は参加者が多くなってきたせいなのか、物を配っているところはそんなにはありません。それでもけっこういろいろもらって、UPSの透明なプラスチックバッグをふくらまして帰ったのでした。

友部正人
10月27日(土)「ジャック・オー・ランタン」
マンハッタンから車でハドソン川沿いに北へ40分あまり、首なしの騎手の幽霊で有名なスリーピーホロウまで、ジャック・オー・ランタン、つまりかぼちゃをくりぬいたランタンのライティングショーを見に行きました。行こうと誘ってくれたのはメグ。メグの同僚のマユミさんも一緒です。
ハロウィーンのお祭りの一つで、19日間のこのイベントのチケットはとうに売り切れだとか。18世紀の当時のまま建物や景観が保存されていて、広々とした敷地に3000個のかぼちゃが並べられていました。一巡りするのに1時間はかかったかな。かぼちゃをいくつも組み合わせた恐竜のような大作もあれば、魚や植物や鳥、人の顔などをくりぬいたものもあって、暗闇のなかでユーモラスに笑っていました。ただくりぬくだけではなく、薄皮を残してそこに色をつけ、ぼんやりと光るように工夫してあったりして、その芸の細やかさにはとても感心しました。

友部正人
10月23日(火)「レコーディングほぼ終了」
いわき市小名浜のカトリック教会で、「ふちがみとふなと」とレコーディングをしました。先日の京都でのレコーディングとは別の、ぼくの新しいアルバムのための録音でした。ふちがみとふなととぼくのスケジュールがなかなか合わず、たまたま彼らのいわきでのライブの翌日がオフ日だと知ったので、はるばる小名浜で録音をすることになりました。
9月にぼくがライブをした小名浜のカトリック教会は、録音に適しているのではないかと今回のプロデューサーのユミは考えていたので、このレコーデング計画はすみやかに実行に移されたのでした。今朝ぼくとユミはエンジニアの小俣くんの車で東京を出発しました。ビデオ撮影担当の伊勢くんも一緒です。
一度だけ、外の通りを走るトラックの音に邪魔されましたが、あとは順調でした。ふちがみとふなとと「老人の時間、若者の時間」を、船戸くんとぼくのふたりで「言葉がぼくに運んでくるものは」を、そしてソロで「雨は降っていない」を録音しました。
いわきの若い友人たちには、準備の段階から録音が終わるまでお世話になり、しかも東京に戻るぼくたちを見送ってもらいました。うれしかったです。

これで心置きなくニューヨークに行けます。25日に出発です。

友部正人
10月21日(日)「国際反戦デー」
ぼくは10.21というと「国際反戦デー」とすぐにピンとくる世代です。でも長い間そんな言葉は耳にしたことがありませんでした。その10.21が、突如京都の円山音楽堂で開かれることになったのです。そのいきさつは知りませんが、歌いに来ないかと誘ってくれたのがぼくの19歳の頃の友人、赤太郎だったので参加することにしました。共演者で知っているのはパンタだけでした。今日は無料でしたが、最初のうちはまだ半分ぐらいで、どうなるのかなと思っていたら、あっという間に客席は埋まっていきました。こういう場で歌いたい歌は結構あったけど、一人25分だったので、「遠来」「Speak Japanese,American」など5曲歌いました。楽屋では今日の出演者の雨宮処凛さんとも話ができました。パンタとは久しぶりで、中東の歴史に詳しいのに感心しました。ぼくを呼んでくれた古い友人の波乱万丈の人生の話が聞けたのもよかった。世の中では忘れられていることでも、一人一人の人生ではずっと続いていくのです。

友部正人
10月20日(土)「レコーディングとメリーゴーランド」
渕上さんと船戸くんの家の台所で、ふちがみとふなとの「Nalala」を3人でレコーディングしました。一本の集音マイクから、適当に距離をとって一緒に演奏して録音しました。おもしろかったけど、少し緊張もしました。6月にニューヨークのぼくたちのアパートで5曲録音した続きのレコーディングでした。いずれこれはなんらかの形で日の目を見るはずです。お楽しみに。
彼らの家をおいとまして、ぼくとユミは四条川原町の寿ビルの5階にあるメリーゴーランドという児童書店に行きました。メリーゴーランドは四日市市にある児童書店で、9月に京都にも支店をオープンしたのです。そんなに広くはないのですが、中身は充実しています。ぼくも買いたくなった本が何冊もありました。閉店時間ぎりぎりだったのに、ぼくとユミがよく知っている潤ちゃんが店長なので、その後1時間近く本を見せてもらいました。そのビルも古くてなかなかいいので、ぜひみなさんも行ってみるといいです。

友部正人
10月19日(金)「れがーと」
今日は元町の古本屋さんを何軒か回りたかったけれど、朝からあいにくひどい雨で、傘のないぼくたちはしかたなくその計画をあきらめて、滋賀県湖南市にあるデイケア施設、れがーとに向かいました。
れがーとはライブハウスではないのに、ぼくをよくライブで呼んでくれます。何回も歌いに行っているうちに、職員みんなととても仲良しになってしまいました。前回の去年の12月のライブはふちがみとふなとと一緒でしたが、今日はぼく一人。それでも、交通の便が悪いところにもかかわらず、遠くからも聞きに来てくれました。ライブの後の打ち上げはいつものように豚シャブ。養豚を活動に取り入れている鹿児島のグループの豚で、そのせいか、芋焼酎が合いました。

友部正人
10月18日(木)「けらいのひとりもいない王様」
神戸、元町のギャラリーVieで開催中のわっくんの個展「けらいのひとりもいない王様」展で歌いました。わっくんは神戸のイラストレーターで、ぼくの古い友人です。わっくんの描く王様は赤ん坊みたいで、ぜんぜんいばりんぼうではなく、とてもしっかりしています。「けらいのひとりもいない王様」というタイトルで個展をするのはこれが2回目で、今回のテーマは「王様の船出」です。ぼくはそのテーマに合わせて「水門」をまず歌いました。
ギャラリーのある古いビルには小さなお店もいくつか入っていて、なんだか横浜にあるビルのようでもありました。わっくんは昨夜は遅くまで、お客さんたちへのおみやげにするための、グリコのおまけのような木彫りの船を彫っていたそうです。

友部正人
10月16日(火)「レコーディング」
パスカルズのメンバー、ロケットマツ、金井太郎、三木黄太、横澤龍太郎の4人と3曲録音しました。「サン・テグジュペリはもういない」「わからない言葉で歌ってください」「黒い影の生き物」の3曲です。これで録音した曲は8曲になりました。今日のメンバーは三木さんが40代なのをのぞけば、あとは50代。それなのに、今日の演奏は今まで録音した中では一番ロックっぽかった。9/30のスターパインズで歌った歌ばかりです。「一度ライブでやっておくと、、曲が理解できていていいね」とユミも言っていました。いい出来なので、早く聴いてもらいたいです。

友部正人
10月12日(金)「鹿屋リナシティホール」
図書館などで20年読み聞かせの会を子供たちのために開いてきた「ポエム」のメンバーによる朗読のコンサートに参加しました。鹿屋市の中心に新しくできたホールが会場でした。
前半の90分は「ポエム」の人たちの朗読でした。ぼくとスズキコージの絵本「絵の中のどろぼう」を、スライドを上映しながら読んでくれる人もいてうれしかったです。
後半の約1時間はぼくの歌の時間でした。電源のトラブルなのか、ときどき音量が小さくなるのが気になって、1、2曲マイクを使わずに生でうたいました。400人の会場で声が届いたかどうか心配でしたが、問題はなかったようです。マイクの前にいなくてもいいのは自由なことだと知りました。

友部正人
10月11日(木)「唐津RIKI HOUSE」
風太郎くんの車で、人吉から唐津に。雨も上がりかなり暑くなりました。昔、まだRIKI HOUSEがビルの地下にあった頃、風太郎くんと共演したことがあります。そのとき一緒に歌ったという「ぼくは君を探しに来たんだ」を今日も一緒にやることにしました。それから、ボブ・ディランの「ドント・シンク・トゥワイス」を、それぞれの訳で交互に歌うことにしました。予定にはなかったけど、風太郎くんは今日は特別ゲストです。

友部正人
10月10日(水)「人吉」
風太郎くんと、人吉のベアーズカフェに遊びに行きました。お店の西村さんは以前東京の青山でサル・パラダイスというお店をやっていて、ぼくも一度そこのイベントに参加したことがありますが、ちゃんとお会いするのは初めてでした。高校のときから聞いていたというぼくの「大阪へやって来た」と「にんじん」のLPをまだ大切に持っていました。今夜は人吉の焼酎を飲みながら映画「ウッドストック」をDVDで見ただけでしたが、この次はきっとライブで訪れるでしょう。

友部正人
10月9日(火)「久保田さんち」
阿蘇郡西原村というところでライブをしました。久保田さんちってどんなところかと思っていたけど、アメリカの田舎の古い家みたいでした。とてもすてきなのですが、雨漏りがすることもあるそうです。久保田さんという音楽好きの人が、自分の遊び場として一人でこつこつと改造していたのに、いつのまにかライブに使われるようになったそうです。
この日はあらゆる注意報が発令されたほどの悪天候で、来られなかった人もいたようです。
最初に歌ったのは大五郎というバンドの半田くん、その次に風太郎くん、そしてぼくという順番でした。半田くんは空想的な歌をやさしく歌い、風太郎くんは荒々しい声で豪快に歌います。二人はとても対照的でした。
久保田さんのお母さんが大なべに大量の芋汁を作ってくれました。雨は夜中になっても止みませんでした。

友部正人
10月8日(月)「Baby Go 4」
柳川Baby Goに出演しました。今年で4回目になる無料イベントです。ぼくは3時半ごろから1時間演奏しました。後半の30分はマーガレットズロースがバックをつけてくれました。イベントの主催者の大橋さんから前夜にリクエストをされていた「屋上のブルース」を久しぶりに歌いました。いい曲だと思ったのは、大きな空間を感じられる野外だったせいかもしれません。午前中に土砂降りの雨が降って、最初に出演したブラスバンド部の女学生たちは頭からずぶぬれでした。午後は止んだのですが、雨が降らないようにと、「雨は降っていない」を歌いました。古着屋さんや食べ物屋さんの出店がたくさん並んでいて、お祭り気分を盛り上げていました。子供や家族連れが多く、町中の人のお祭りだという感じがしてとてもなごやかでした。

友部正人
10月6日(土)「ボロフェスタ」
おもしろいコンサートでした。場所は京都大学の西部講堂。弾き語りのぼくは講堂前の広場で歌う予定でしたが、急遽主催者側の都合で不可能になり、バンドも弾き語りも、全員が西部講堂の中でやることになりました。
ぼくが西部講堂で歌うのはおそらく30年ぶりぐらいです。まだスターリンを始める前の遠藤ミチロウと一緒にやって以来ですから。そのころ見に行ったトム・ウェイツの西部講堂コンサートのことも覚えています。今夜は若い人たちばかりが出るボロフェスタというお祭りでした。今年で5年目だそうです。
講堂の前と後ろにステージが作られていて、交互にコンサートが進行していきます。転換の時間が節約できるので、最近こういうスタイルは多いみたいです。
今日の出演者で唯一知り合いの小谷美紗子さんは5時ごろ登場しました。グランドピアノを弾きながら、最近の曲など4曲を演奏しました。最後に歌ってくれた「眠りのうた」が涙が出るくらいよかった。
ぼくはラスト前の8時ごろでした。持ち時間が25分だったので、5曲歌いました。ボロフェスタは主催者も出演者もお客さんも若い人ばかりなのに、57才のぼくの歌にも熱心に耳傾けてくれてうれしかった。若い人たちの自然な歌の聞き方がぼくには好ましい。1曲目に「ボロ船で」を歌ったら、ユミが今日のボロフェスタに一番合っていたと言ってくれました。初々しさのある素敵なコンサートでした。

友部正人
10月4日(木)「レコーディング」
バンバンバザールに横沢龍太郎くんが入った編成で、3曲レコーディングしました。バンバンと龍太郎くんが一緒に演奏するのは初めてだとか。それぞれぼくとはたくさんライブをしているのに。
曲は「地獄のレストラン」「歯車とスモークドサーモン」「年をとるってどんな感じ」の3曲。3曲とも跳ねるリズムの曲なので、スイングするバンド、バンバンバザールとは相性がぴったりでした。龍太郎くんのドラムがタイトで、それに富永くんのゆるゆるのピアノがのっかった「歯車・・・・・」はおもしろい演奏になりました。トランペットの下田卓さんも一曲参加してくれました。

友部正人
10月3日(水)「Digital Audio Fan」
デジタルオーディオファンという音楽雑誌で、ぼくの35周年をテーマに、伊藤銀次さんと対談をしました。場所は毎日新聞社のあるビルの中、目の前に皇居があって、たくさんの人が走っているのがよく見えました。
ぼくも銀次もランニングをしているので、対談も走る話になるのかと思ったけど、さすがにそうはならず、まじめにぼくと銀次の35年間の足跡をたどる内容になりました。実は銀次も35周年だったのです。対談を後でまとめて文章にする人のことを思うと申しわけないぐらい、話があっちへ行ったりこっちへ行ったりする対談でした。でも話している二人には面白い内容でした。
対談の後、ボブ・ディランに関する質問なんかもあって、けっこう長い時間そこにいたことになります。外はいつのまにか真っ暗になっていて、それでも走っている人の数は何倍にも増えているのでした。

友部正人
9月30日(日)「スターパインズ10周年、友部正人35周年」
35曲ライブをスターパインズカフェでやりました。これはスターパインズの10周年お祝い企画です。ぼくの35周年にちなんで、35曲歌いました。そのうちの半分はバックをつけて、半分は弾き語りで。
バンドのメンバーはロケット・マツ(ピアノ)、横沢龍太郎(ドラムス)、三木黄太(チェロ)、金井太郎(ギター)の4人でした。4人はパスカルズのメンバーです。二部では飛び入りで、三宅伸治くんが3曲ギターを弾いてくれました。三宅くんは背中に隠していた花束を、ステージでプレゼントしてくれました。15年前、ぼくの20周年のときは彼はギターケースに花束を隠してステージに現れたことを思い出しました。
バンドと三宅くんのおかげで、4時間を超える長いコンサートでも退屈はしなかったのではないでしょうか。

30周年記念の鎌倉芸術館のときにも35曲ぐらい歌ったのですが、小さな会場の今日の方がぼくは疲れませんでした。立って聞いてくれていた人には申し訳ないけど、まだ1時間は歌えそうでした。たくさんの人がじっと立って聞いてくれました。ステージではそのことに関して特に何も言いませんでしたが、本当にありがとうございました。
今夜は現在レコーディング中の曲も何曲かやり、ぼくの現在とこれからも含んだ集大成という感じにしました。今夜演奏した曲目は次の通りです。

一部
イタリアの月/はじめぼくは一人だった/大阪へやって来た/ぼくは海になんてなりたくはない/夢がかなう10月/水門/オーマイラブ/月の船/夕日は昇る/にんじん/私の踊り子/ハート型のみずたまり/こわれてしまった一日/六月の雨の夜、チルチルミチルは/あの頃

二部
ニレはELM/働く人/びっこのポーの最後/なんでもない日には/眠り姫/一本道/はやいぞ はやいぞ/遠来/Speak Japanese,American/朝は詩人/朝の電話/夜更かしの続きは/サン・テグジュペリはもういない/シャンソン/わからない言葉で歌ってください、ぼくもわからない言葉で歌うから/何も思いつかないときの歌

アンコール
黒い影の生き物/夕暮れ
サキソフォン/ぼくは君を探しに来たんだ

今回の35周年ライブはライブCDなどにする予定はありません。来年に発売になる予定の新しいアルバムが35周年記念CDになると思います。それにあわせてどこかでライブをしたいです。

友部正人
9月24日(月)「ニュータウン入口」
宮沢章夫さんの新作「ニュータウン入口」をシアタートラムに見に行きました。このお芝居は春に一度リーディング公演としてぼくとユミは見ています。今回はちゃんとお芝居になった形で見て、いろいろと変化しているところもわかりました。過程を見せながら作るなんて、おもしろい公演方式だなと思います。
ただ内容はとても複雑でわからないところもたくさんあります。話をどう受け取ったらいいのかがよくわからないのです。
帰りは三軒茶屋から新玉川線に乗りました。ユミはぼーっとしていて、そのまま自由が丘まで行けると思っていたようです。新玉川線に自由が丘はありません。それでぼくは思いました。今日のお芝居は、行けるはずのないところへ行く電車だったのだなと。平行して走っているはずのラインが、どこかで交差する幻のラインを、宮沢さんは作りたかったのだなと。

友部正人
9月22日(土)「三宅伸治20周年」
三宅くんの20周年記念ライブ「Backしよう」に出ました。会場は渋谷AXで、ぼくは三宅くんと共作の「雨が降る日には」と「一本道」を一緒にやりました。
本編が20曲、アンコールが5曲の3時間半に及ぶコンサートでした。出演者は三宅くんも含めて全部で41人。本当に大掛かりな、20周年らしいすてきなコンサートでした。
三宅くんは三日前に自転車に乗っていて交通事故に合い、鎖骨にヒビが入ったそうですが、ステージでは痛そうな顔は一度もしないで、常に笑顔でお終いまでコンサートをやりとげました。
ぼくの出番は前半だったので、後半は客席で立って見ていました。アンコールの最後にみんなで歌った「たたえる歌」が、帰り道横浜に着くまでぼくの頭の中でずっと流れていました。たくさんのゲストの中には初めて会った人や懐かしい人が大勢いて、三宅くんだけではなく、それぞれの20年が感じられるコンサートだったと思います。

それから、ちょっと連絡事項です。
今度の9月30日にはぼくのライブが吉祥寺のスターパインズカフェでありますが、会場のスターパインズから連絡があって、予約が多くすでにキャンセル待ちの状態なので、メール予約された方で来られそうもない人は早めのキャンセルをお願いします、ということでした。

友部正人
9月19日(水)「ラストワルツ」
オールドシェプの伊藤さんに主催してもらって、郡山のラストワルツで一年ぶりにライブをしました。ラストワルツのある駅前商店街は、毎年行くたびに寂れていくようです。反対に高速道路のインターチェンジのあたりにはホテルやお店が新しく建ったりして、鉄道が生活の基盤だった長い時代が終わりつつあるんだなあ、と感じます。
でもラストワルツは居心地がいいからなのか、寂れている感じがありません。音楽にも食べ物にもお店の人たちのやわらかく生きている雰囲気があるからです。
なんだか今夜は普段はなかなか歌えないような歌も歌いたくなりました。

友部正人
9月18日(火)「句会」
今夜は仙台の「火星の庭」で句会がありました。ちょうどぼくとユミはオフ日だったので、久しぶりに句会に参加しました。普段は火星の庭でやっている句会ですが、今夜は特別な会にしようと、日本酒やワインのおいしい焼き鳥レストランが会場です。普段火星の庭でやっている人たちには特別な感じがうれしいようでしたが、なかなか参加できないぼくたちは、普段通りでも良かったけどな、なんて憎まれ口をたたきました。
句会はもうすぐ二年目が終わろうとしています。上達はしていないのに、時は早く経ちます。普段ぼくとユミはメールやファックスで参加しているので、主宰の渡辺さんの的確な批評が直に聞けるのがうれしかった。また、こんな場に毎月来られないのは淋し過ぎるな、とも思いました。

友部正人
9月17日(月)「小名浜カトリック教会」
福島県いわき市の港町、小名浜のアート・ポート・フェスティバルのフィナーレに呼ばれました。昨夜仙台に泊まったぼくとユミは、仙台からテリーさんの車でいわきに向けて出発しました。
会場は普段はおごそかな教会で、騒がしいコンサートをやらせてくれるなんて、なんて心の広い神父さんたちなのでしょう。フェスティバルに関わった大勢の人たちの打ち上げも兼ねたコンサートで、一般の人も含めて教会は200人近い人たちでいっぱいになりました。
はじめにソロの人が二人歌い、それからマーガレットズロースが30分やりました。ぼくの持ち時間は一時間だったので、ソロで30分、マーガレットズロースと一緒に30分演奏しました。マーガレットズロースの3人が、ぼくと一緒に楽しそうに演奏しているのがうれしかった。

友部正人
9月16日(日)「EVANS '89」
宮城県角田市には初めて行きました。天気予報は夕方から雨の予報、だけど空は真っ青で「降るわけないよね」と話していたら、開場前から降り始めてしまいました。
EVANSは田中さんご夫妻の丸太小屋レストランです。お店の名前の通り、普段はジャズの
ライブをやっているそうですが、奥さんの智子さんがNHK BSの「フォークの達人」を見てぼくを角田まで呼んでくれました。
今年の中原中也賞を受賞した須藤洋平さんがはるばる3時間もかけて聞きに来てくれました。須藤さんにはトゥレット症候群という障害があって、今夜のコンサートは同じ障害を持つ人たちへのチャリティでもありました。宮城詩人協会の方たちも聞きに来てくれました。年齢層は比較的高く、ぼくの歌を初めて聞く人も多いようでした。Evansによく来ているという絵描きの若者が、自分でデザインしたというTシャツを2種類プレゼントしてくれました。それがとてもよかったので、今夜は一部と二部で、その二種類のTシャツを来て歌いました。

友部正人
9月15日(土)「レコーディング開始」
ようやくレコーディングに取り掛かりました。まずはパスカルズとの2曲です。
場所は横浜のBankArt1929ホール。
パスカルズのロケット・マツとぼくが作った共作曲の2曲を、パスカルズと録音しました。7月31日のパスカルズとのライブに来た人にはわかると思いますが、「夜更かしの続きは」と「あの頃」の2曲です。
たった2曲なのに、9時間かかりました。それだけ時間がかかっただけ、いいテイクが録れました。自分の歌なのに、聞くたぴに感動しています。レコーディングは始まったばかりですが、早くもいいアルバムになりそうです。

友部正人
9月9日(日)「またまたリハーサル」
今日はパスカルズとのレコーディングのためのリハーサルでした。横浜のBankART1929とBankART studio NYKで。パスカルズは14人のメンバー全員が集まったわけではなく、集まりやすい5人ぐらいで基礎を固めるリハーサルをしました。
BankART1929はレコーディングで演奏するホールです。NYKはみなとみらいの海辺の倉庫ギャラリーで、ぼくたちはギャラリーの外で海風に吹かれながらリハーサルしたのでした。風景は音楽に自然に効果を与えます。ああ、いいなあ、いいなあ、という心の声が音になった感じです。
発売はまだいつになるのかわかりませんが、録音はいよいよ始まりそうです。録音に向けてユミが積極的に動き出したせいで、ぼくも重かった腰を上げつつあります。

友部正人
9月6日(木)「リハーサル」
下北沢でマーガレットズロースと午前中からリハーサルしました。台風がきていて、大雨が降りそうだったので、買ったばかりの長靴で行きました。
マーガレットズロースとは、9月17日に福島のいわきと、10月8日に九州の柳川で一緒にライブをします。そのための練習でした。バンドは大声で歌わなくてはならないので、普段よりお腹が減ります。でも、台風が近づいていて雨もひどくなってきたので、沖縄そばを食べてからさっさと帰ることにしました。台風なのに自転車で来ていた岡野くんは帰り道、濡れただろうな。

友部正人
9月5日(水)「吉野さん」
一年ぶりに吉野金次さんに会いにリハビリ病院へ行きました。三十キロやせたんだ、と言ってガリガリでしたが、リハビリは順調にいっているようで、一年前に比べるとびっくりするような回復ぶりでした。
7月にウッドストックのベアーズビルスタジオに行ったことや、そろそろレコーディングを始めようと思っていることなどをぼくは話しました。まだまだ仕事ができるような状態ではないようですが、「仕事が一番のリハビリかも」とつぶやいていました。

友部正人
9月2日(日)「下北沢 風知空知」
7月下旬に諏訪と長野で三宅伸治くんとやったライブを、今夜は下北沢でやりました。
今日のライブは、今まで二人でやったライブの決定版のようでした。
三宅くんはぼくが小節の長さをいきなり変えても、難なくあわせてくれる驚異的な勘の持ち主です。三宅くんとやると、ぼくがのびのびできるのはそういうわけです。三宅くんものびのびしているかな。

今日は下北沢のお祭りで、風知空知の下の通りを何回もお神輿がとおりました。風知空知はビルの4階にあるオープンテラスのお店なので、お神輿の掛け声が良く聞こえましたが、それに負けないくらい楽しいライブでした。

友部正人
8月29日(水)「パスカルズ」
連日のサムズアップですが、今日はパスカルズのライブがありました。2部でぼくも3曲歌いました。歌った歌は新曲の「あの頃」「誰にも会いたくないときは」と、「6月の雨の夜、チルチルミチルは」です。新曲の2曲は、ぼくもやっとなれてきたのか、先月のスターパインズのときよりはうまく歌えました。「チルチルミチル」は迫力があってよかったとユミは言っていました。
この二日間、大編成の楽器中心のバンドを続けて聞きましたが、パスカルズは一番弱虫な感じがしていいなと思いました。

友部正人
8月28日(火)「東京中低域」
サムズアップに、水谷紹くんのやっているバリトンサックスばかりのバンド、東京中低域を聞きに行きました。少し遅れて着いたのでもう始まっていて、バリトンサックスを抱えた男たちがハードボイルドな感じで演奏していて、ああ、これはおもしろい、と思いました。
2年ぶりに会う紹くんは、ちょっとやせていてかっこよくなっていました。紹くんのだじゃれのような替え歌に、客席の人たちはみんな笑いころげていました。しばらく見ないうちに、中低域は明るいバンドになっていました。
もう一つのThrillは、楽器演奏ばかりのかっこいいバンドでした。久しぶりに会ったドラムの田中元尚くんとバリトンサックスのスマイリーとチューバの関島くんもThrillのメンバーでした。

友部正人
8月26日(日)「阿倍野ドキュメンタリー映画祭」
映画「奈緒ちゃん」や「ありがとう」の監督の伊勢真一さんに誘われて、大阪の阿倍野ドキュメンタリー映画祭で50分ほど歌いました。歌う前に田川律さんと少し話しました。今月は松本と大阪と2回も田川さんと一緒になりました。
この映画祭でぼくとユミが見た映画「花の夢」は中国残留婦人の話です。当時の素材はほとんどないのに、よくそれを映画にしたなと感心しました。
コンテストで最優秀賞になった「姉日和」という映画は、黒人のボーイフレンドができた姉を妹が撮っていて、姉を心配する母親の心境がよくわかっておもしろかった。身近なスナップ写真のような映画でした。

友部正人
8月25日(土)「毎日新聞」
少し前のことですが、8月21日の毎日新聞の夕刊に、思い出の食べ物に関しての
インタビューが載りました。「しあわせ食堂」というタイトルです。
ぼくはりんごのことを話すことにしました。武内ヒロクニさんのカラーの挿絵がすてきです。記事と同じぐらいの大きさでも挿絵というのでしょうか。毎日新聞は紙面の使い方がぜいたくです。そこが新聞らしくなくていいなと思います。

友部正人
8月24日(金)「バンバンバザールと」
横浜のサムズアップで、何年かぶりにバンバンバザールと一緒にライブ。
今の3人になってからのバンバンバザールとやっときちんとしたライブが一緒にできました。
前半にバンバンバザールが40分やり、後半にぼくがソロで4曲、その後バンバンと一緒に演奏しました。今日一緒にやった曲は、「こわれてしまった一日」「空が落ちてくる」「ジェリーガルシアの死んだ日」「もうずっと長い間」など9曲。そのうち「ニューオーリンズにて」はバンバンの福島くんの曲で、「年をとるってどんな感じ」はぼくと福島くんの今回のための共作です。
福島くんは歌い方がゆるやかになって、そのせいかうまくなったように聞こえました。富永くんは小さなウクレレを、海のように奥深く弾いていました。黒川くんのベースはよく弾み、目が合うと必ずにこっと笑います。今のこの3人のコンビネーションは抜群です。
「年をとるってどんな感じ」はできたてのほやほやで、揚げたてのドーナツみたい。まだきちんとは歌えないけど、いい歌になりそうです。
バンバンはゲストと共作した去年1年間の曲を1枚のCDにまとめたそうですが、ぼくも最近のいろんな人との共演で共作した歌が、いろいろとたまってきました。

友部正人
8月20日(月)「高知」
昨日のコンサートには、今年の5月から6月にかけて単身でお遍路をした、マドレインというぼくとユミのニューヨークの友人をサポートしてくれた人たちもみんな聞きに来てくれました。その中の窪川町の島岡夫妻が、ぼくたちをホテルから空港まで送ってくれる前に、移転して新しくなったライブハウス「歌小屋の二階」と、沢田マンションに案内してくれました。「歌小屋」では昨日の夜まで「50時間ライブ」をぶっ通しでしていて、それに参加した人たちが疲れきってまだ寝ていました。

ぼくは前に一度行ったことがあったけど、ユミは初めてだったので、沢田マンションを見に行きました。夫婦二人だけで100世帯あるマンションを作り始めて、35年前に完成したという有名な手作りマンションです。5階に上がると沢田さんの娘さんがいて、屋上の畑や白いふさふさの毛のうこっけいや鴨の泳ぐ池や巨大なクレーンを見せてもらいました。ユミが気軽に話しかけたおかげで、ぼくも初めて屋上に上がりました。

過去に二期作を誇った高知はすでに稲刈りを終えている田んぼもありました。温暖で多湿な気候のおかげで二期作ができるそうですが、東京などの都会に比べると涼しいのは、高知にはまだ豊かな自然が残っているからだと実感しました。

友部正人
8月19日(日)「夜の植物園」
アジアン食堂「歩屋」の高橋歩美さんにホテルまで迎えに来てもらい、ユミとぼくと三人で、
土佐山田の山の上に住む友だち、小野哲平さんと早川ゆみさんを訪問。高知市内から車で1時間ぐらいかかりました。
哲平くんとゆみちゃんは谷相という村落の山の上に住んでいて、家からはきれいな棚田が
一望に見下ろせました。哲平くんは器を作って焼き、ゆみちゃんは布でもんぺなどを作っています。ぼくたちが哲平くんやゆみちゃんと知り合ったのは名古屋で、もう20年以上も前のことです。かれらは谷相に住みはじめて10年だということです。
都会とちがうのは風がきもちいいということ。寝転んで風に当たっているだけで幸せでした。
二人の暮らしのことは、「うつわびと 小野哲平」というDVDになって、ラトルズから発売されています。

お昼にうどんとかつおのたたきをご馳走になって、二人に牧野植物園まで車で送ってもらいました。牧野植物園では8月18日から二週間、「夜の植物園」と題して、週末は夜9時まで植物園を解放して、めずらしい夜の植物を紹介したり、イベントをしたりしていて、その一環でぼくのコンサートをすることになりました。
会場は植物園の中の半分野外のような場所でしたが、夜になっても涼しくはならず、みんな団扇を、モスラの羽根のようにゆっくりパタパタやりながら聞いていました。「星の庭で歌う」というタイトルなので、「星の庭」から歌い始めて、「サン・テグジュペリ」「老人の時間」「退屈」など、最近の共作曲も歌いました。
日が暮れるまで鳴いていたせみの声が、夜になっていつのまにかせせらぎの水の音になっていたのが印象的でした。6時半から始まったコンサートが終わったのは8時15分ごろ。目ざとい人たちはそれからパラグアイオニバスなどの珍しい夜の花を見に行ったそうです。

友部正人
8月17日(金)「京都 磔磔」
ぼくとユミはミチロウより一足先に名古屋を出て、京都のガケ書房に向かいました。ぼくも出品している一箱古本市を見たかったから。いろんな人が自分の古本を出品していました。とっくに完売した人もいたけど、ぼくの出品した本はまだ十冊ぐらい残っていました。すぐに売れると期待していたニューヨリカン・ポエッツ・カフェの詩集「Aloud」がまだ残っていて残念。

今回のミチロウとのツアーは、磔磔の水島くんが企画したものです。ミチロウとぼくの歌を、
個人的に聞きたくなったのだそうです。うれしい企画どうもありがとう。
今日は前半にぼくが歌い、後半ミチロウが歌いました。最後に「Speak Japanese,American」を歌ったら、「この歌はやっぱり最後にやるのがいいね」とミチロウが言ってくれました。
アンコールは名古屋のように朗読を一遍ずつ、それから「カノン」と「一本道」をやりました。
名古屋で一度やっていたので、今日は2曲ともバッチリでした。この続きをまたどこかでやりたいなあと思います。

友部正人
8月16日(木)「名古屋Tokuzo」
地震で明け方目が覚めました。揺れはかなり長かった。
今日から二日間は遠藤ミチロウとツアーです。
今日の名古屋は記録的な暑さで、39度を越えていました。冷房のきいた新幹線を降りると、あまりの暑さに、これは異常だと感じるくらい。それなのにTokuzoは満員になりました。よくこんなに暑いのに来てくれたものです。
前半にミチロウが一時間、後半にぼくが一時間歌いました。ミチロウは声がよく出ていて、
「吸い込み」と自分で呼んでいる奇声も、何種類もの声がレーザー光線のようによじれたり合わさったりしていて、不思議な感じがしました。ぼくも久しぶりのライブで声は出ていました。前回のTokuzoでのぼくのライブでは風邪で最悪の声だったので、挽回できた気持ちです。
アンコールでは二人で朗読を一篇ずつして、「カノン」と「一本道」を二人で演奏しました。

友部正人
8月11日(土)「ジュークボックスに住む詩人2」
新宿のジュンク堂で、「ジュークボックスに住む詩人2」の発売に合わせたトークとサイン会がありました。本の中で取り上げた歌をCDで聞いてもらいながら、歌の内容やシンガーについて語りました。本では36人(組)のシンガーを取り上げていますが、その中から16人(組)のCDをかけることができました。時間の都合で、曲の一部だけを聞いてもらったのですが、予定より早く終わってしまって、もう少し話を多くしたらよかったかも、と後で思いました。その後いくつかの質問がありました。中にはぼくがあまりうまく答えられないものもあったりして、スリリングでした。
表紙の絵を描いてくれたタダツタケシさんもパートナーのオオクラさんと見に来てくれました。
彼の乱暴なタッチの絵は、この本の表紙にぴったりでした。タダツ君たちとはニューヨークで友だちになりましたが、今彼らは帰国して日本に住んでいます。

友部正人
8月7日(火)「ジュークボックスに住む詩人 2」
発行が遅れていた「ジュークボックスに住む詩人2」がようやく送られてきました。発行日は8月15日になっているので、書店に並ぶのはもう少し先かもしれません。でも、11日のジュンク堂のイベントに本が間に合ってほっとしています。
それから、今日毎日新聞に掲載の予定だった「しあわせ食堂」は、8月21日に延期になったそうです。

友部正人
8月5日(日)「ガケ書房古書市」
11日から始まるガケ書房の古書市にぼくも出品しました。ダンボール二箱ぐらいです。ぼくのお勧めは、ぼくが「no media」をはじめるきっかけになった、ニューヨリカン・ポエッツ・カフェのアンソロジー「Aloud」と、24才のときカリフォルニアで聞いてショックを受けた、アレン・ギンズバーグの「Howl」の朗読CDです。家の本やCDを少しでも減らしたくて出しました。

友部正人
8月3日(金)「ライクアローリングストーン、口ずさみ・・・・」
松本のピカデリーホールという劇場で、豊田勇造と田川律さんとぼくの3人で歌とトークのライブをしました。ピカデリーホールは元映画館だったそうです。
前半は勇造とぼくが30分ずつ歌い、後半は田川さんも加わって3人で歌や旅についてのおしゃべり。これがリラックスしてとてもおもしろかった。田川さんはこういうとき、進行役がとてもじょうずです。話が前にころころ転がっていきます。まさにライクアローリングストーンです。
アンコールで、3人で「ライクアローリングストーン」を日本語で歌いました。

友部正人
8月2日(木)「子供のためのLIVE! no media」
今年が第一回目の「子供のための国際パフォーミングアーツフェスティバル大阪」に参加しました。大阪城公園の近くの円形劇場が会場でした。出演はぼくと谷川俊太郎さんと知久くんです。3時と5時の2回公演でした。1回が1時間で、一人約20分です。
3時からの回は子供もけっこう来ていましたが、5時からの回はほとんど大人ばかりで、「もっと子供がたくさんいるのを想像してきたんだけどなあ」と谷川さんは言っていました。それでも予定通り、子供のために用意してきたメニューを楽しそうにこなして大うけでした。
知久くんも子供に受けがよく、みんなよく笑っていました。そんな様子を見ていると、みんなとても敏感なんだなあ、と感心してしまいます。
ぼくは笑いをとるのは苦手なので、二人とは別の路線でやることにしました。反応がいまいちかな、と思った詩でも、後でお客さんから題名を聞かれたりして、ちゃんと聞いていてくれたことがわかってうれしかったです。
人形劇やお芝居やダンスなどをするグループが世界中から集まったこのフェスティバル、来年もまたやって欲しいと思います。ぼくたちもまた参加したいです。

友部正人
8月1日(水)「ロクソドンタ」
大阪の天王寺にある芝居小屋「ロクソドンタ」で知久寿焼くんと二人でライブをしました。
知久くんはウクレレとギター、それにあの独特の声を駆使して、いつものように思う存分のびのびと歌っていました。ぼくはソロで6曲、知久くんと一緒に6曲ぐらい歌いました。二人合わせるとけっこうたくさん歌ったことになります。お客さんもたくさん来てくれました。
ライブの後はいつものように、ロクソドンタの3階で打ち上げ。「子供のためのパフォーミングアートフェスティバル」の期間中で全員とても忙しいのに、劇団の人たちがお腹にたまる料理を作ってくれました。

友部正人
7月31日(火)「スターパインズカフェ」
パスカルズとスターパインズカフェでライブをしました。NHKBSの収録日のライブからからほぼ一年。ついこのあいだもBSで再放送があったそうです。
今回はぼくの曲もパスカルズのロケットマツが選び、アレンジもして、とパスカルズプロデュースのライブでした。ぼくが詞を書いてマツが曲を書いた新作の共作も3曲あり、全部で12曲もぼくは歌いました。大編成のバンドをバックに歌うのはとても気持ちがいいです。今夜は実に大勢のお客さんが聞きに来てくれてうれしかった。パスカルズのメンバーも、またやりたいね、と言っていました。

友部正人
7月29日(日)「リハーサル」
31日のライブのための二回目のリハーサルがあって、ぼくは長野から西荻窪のスタジオに直行しました。
なにか重苦しい空気だなあと思っていたら、電車が西荻窪に着く頃ものすごい雨が降り始めました。でもスタジオ内のパスカルズはのんびりと練習をしていました。いよいよ31日が本番です。

友部正人
7月28日(土)「ネオンホール」
長野のネオンホールで「僕達の展覧会 夏編」をやりました。三宅くんはネオンホール初登場です。昨日から長野県は突然真夏になったようで、ネオンホールの店内も暑かった。二人とも途中でシャツを着替えました。
9月に発売になる三宅くんのデビュー20周年記念アルバムには「つづく」といういい題がついたそうです。その中に収められたぼくと三宅くんの共作「雨が降る日には」をはじめ、今日もいろんな曲を二人で演奏しました。三宅くんがアレンジしたぼくの古い曲「反復」がなかなか良かったです。
「僕達の展覧会」は9月2日に東京の下北沢の「風知空知」でもやります。

友部正人
7月27日(金)「ハーモ美術館」
諏訪湖のほとりのハーモ美術館で、三宅伸治くんと二人で「僕達の展覧会 夏編」と題した
コンサートをしました。夜中の12時まで美術館が開いているという「諏訪の長い夜」というイベントの一環としてのライブでした。
会場になったギャラリーには、シャガールとルオーの版画が飾られていました。カラフルでやさしいシャガールの絵は三宅くんの歌のようで、どっしりとして寡黙なルオーの絵はぼくの歌のようかな。「僕達の展覧会」はそんな二人が一枚ずつ、共同で絵を仕上げていくようなライブです。終わった後、主催のグッドニュースの木下くんはライブの後、なんだか興奮して今夜は眠れそうもないよ、と言っていました。

友部正人
7月24日(火)「取材」
みなとみらいの喫茶店で、「華音」という季刊の文芸誌から取材を受けました。ぼくも参加した「中原中也生誕百年祭」のことや、中原中也の詩についてのインタビューです。中也の詩を初めて読んだのは30年以上も前ですが、いいなあと思うようになってきたのは「百年祭」に参加したつい最近のことです。はっきりと声に出して書いているような詩だと思いました。詩になる前に頭の中で何度も歌った形跡があります。ボブ・ディランの若いときの詩もそうですが。
インタビューの後、観覧車の中で写真撮影をしました。「華音」は俳句と短歌と詩歌の雑誌なのですが、カラー写真が満載で雑誌「太陽」のようです。発売は9月です。

友部正人
7月23日(月)「パスカルズ」
7月31日のパスカルズとのライブのリハーサルが荻窪でありました。パスカルズはメンバーが14人と多く、全員がリハーサルに集まることはなかなかむずかしいようです。事情で遅れてくる人や、先に帰らなくてはならない人もいます。人数が増えても減っても、リハーサルはきちんと進んで行きます。おそらくバンドリーダーのマツがまめにメンバーと連絡を取り合っているから成り立つことなのでしょう。
今日はぼくとマツとで作った新曲3曲と、今回はじめてパスカルズとやるぼくの歌のリハーサルをしました。

友部正人
7月22日(日)「ジーズ・キャフェ」
小田原市の鴨宮にある「ジーズ・キャフェ」というお店でライブをしました。マスターの高橋さんとは、去年12月の、横浜サムズアップでの三宅伸治くんとのライブのときに初めてお会いしました。その日は、ぼくに会うためにわざわざ横浜まで行ったのです、ということでした。うれしいなあと思いました。
30人を超えると立ち見になる小さなお店です。初めてやるお店のときはそういうものですが、すごく期待されているのがわかりました。。ぼくも約二ヶ月ぶりのライブで、歌うのがとても新鮮でしたが、聞く人たちも新鮮に感じてくれたようです。2回目、3回目がむずかしいとは知りつつも、またやりたいなあと思いました。

友部正人
7月20日(金)「しあわせ食堂」
毎日新聞の取材を受けました。「しあわせ食堂」という食べ物についての連載記事ですが、今までにすでに取り上げられた食べ物は避けるようにとのことでした。ユミが「りんごにしたら」と言うので、りんごの話をすることにしました。ぼくの田舎は青森で、りんごの産地です。自分ではストーリーをうまく組み立てられないので、子供の頃からずっとりんごが身近にあったということを話しました。8月7日の毎日新聞に掲載されますが、関西版にだけは載らないそうです。

友部正人
7月17日(火)「おかえりなさい」
日本に戻ってきました。今回はスーツケースのトラブルもありませんでした。横浜に向かうバスの中で、新潟で起きた地震のことを知りました。何年も前にユミと行ったことがある海沿いの駅に土砂がかぶさっている写真が新聞に出ていました。災害が多くて新潟の人はかわいそうです。
台風のことはニューヨークタイムズにも出ていました。よほど大きな台風なのだと思いました。15日はニューヨークからの直行便も欠航したようです。ぼくたちは16日の便だったのでラッキーでした。
成田に帰ってくると、「おかえりなさい」の文字が目立ちます。入国時の不安もないせいか、自分の国に戻ってきたんだなあ、と実感します。

友部正人
7月15日(日)「マドレイン」
比嘉良治(ヨシ)さんの奥さんのマドレインさんが、四国のお遍路を終えてニューヨークに帰って来ました。88のお寺をひとりで徒歩で巡り、51日かかったそうです。歩いた距離は1200キロ。今夜帰国したばかりの二人のお宅にお邪魔して、旅の話をマドレインからたくさん聞きました。
マドレインはジュエリーデザイナーの61歳のイギリス人の女性です。巡礼のおかげで5キロもやせちゃったとうれしそうでした。日本ではヨシと別行動だったし、四国では英語を話す人に出会わなかったおかげで、マドレインは日本語がうまくなっていました。普段は全く日本語を話さないのに。人が少ない高知がとても気に入ったようで、いつか高知県に仕事場を持ちたいそうです。
マドレインと知り合ったことで、ユミはランニングを始めたのですが、今回マドレインが四国で出会った人たちも、彼女の行動力にはとても感銘を受けたようです。

友部正人
7月10日(火)「カナダの切手」
カナダまでボブ・ディランのコンサートを追っかけて行った永見くんと岩倉さんがニューヨーク市に戻って来て、ぼくたちのアパートを訪ねてくれました。Bethelの後、バーモント、ケベック、モントリオール、オタワ、トロントでコンサートを見たそうです。
ボブ・ディランのおかげで、なかなか行けないカナダに行くことができたと喜んでいました。ケベックが、京都みたいなふるい町で良かったそうです。何もかもがフランス語の町なので、英語が通じなくて困ったみたいですが。ぼくのニューヨークの友人も、ケベックはいいよ、と言っていました。マンハッタンからバスで11時間、いつか行ってみたいです。
永見くんたちがカナダで発売されたばかりの、ジョニ・ミッチェルやゴードン・ライトフットの切手をおみやげに買ってきてくれました。

友部正人
7月9日(月)「リチャード・セラ」
今日はユミとMoMAにリチャード・セラの映画を見に行きました。あの大きな作品が作られる過程を撮ったドキュメンタリー映画を期待して行ったのに、リチャード・セラ本人が撮った作品集でした。全部で4本あったのですが、どれも恐ろしく単調で、途中で出て行く人がいてもおかしくないのに、帰った人はほんの数人でした。見ているときは退屈でしたが、こういう映画に限って記憶に残るみたいです。

友部正人
7月8日(日)「ベルイマン」
MoMAにベルイマンの1957年の映画を見に行きました。その年のカンヌでグランプリをとったそうです。自分の長男と同じぐらいの二十歳の娘と再婚した中年の法律家が、結局その長男に若い妻と駆け落ちされてしまうという話です。映画はおもしろかったのですが、スウェーデン語なので英語の字幕が頼りなのに、ところどころかなり大幅に字幕が出てこないところがあって、「みんなよくおとなしく、苦情も言わないで見ていられるよ」と一人のお客さんが立ち上がって文句を言っていました。

友部正人
7月7日(土)「ボアダムズ」
77人のドラマーと一斉に演奏すると聞いて、好奇心からボアダムズのフリーコンサートを聞きに行きました。が、たどり着いてみると長蛇の列、どこまで行けば最後尾なのかわからないくらいで、とても入れそうもないと思い、すぐ隣の公園で聞くことにしました。
新聞には4時からと書いてあったのに、始まったのは7時過ぎ。7という数字にこだわるのは、七夕だからだそうです。
コンサートはブルックリンブリッジの真下の、イーストリバーに突き出た公園であったのですが、おもしろかったのは、大勢の人が高い橋の上から見下ろしていたこと。ぼくのいたところからでは、音だけ聞こえても演奏は見られません。数人の若者たちが警備を突破して、柵を乗り越えて中に入ろうとして、一人だけ転んで警官に取り押さえられていました。
77人のドラマーが一斉にたたく音は壮大でした。イーストリバーの水面を伝って対岸のマンハッタンにも届いていたのではないでしょうか。壮大だけどシンプルで、どこか和太鼓のようでもありました。久しぶりのいい天気で、太鼓の音は美しい夕空にとてもマッチしていました。

友部正人
7月2日(月)「疲れ」
なれない車での遠出に疲れて、ぼくもユミも今日はお休みです。特に三半規管の弱いユミは一日中めまいがして起き上がれませんでした。
ニューヨークタイムズに、土曜日のBethelでのボブ・ディランのコンサート評がありました。
コンサートの最後にボブ・ディランが、「前にここに来たときは、出番が朝の6時で、雨が降っていて、会場は泥でぐちゃぐちゃだった」と言っていたそうです。94年に開かれた別の村でのウッドストックコンサートの会場と間違えているのかな、69年のウッドストックフェスティバルにはボブ・ディランは出なかったしな、それともわざと間違えて受けようとしたのかな、と書いてありました。ドロシーさんの言ってたボケ説を思い出しました。
ドロシーさんからもらったCDを聞きました。カウガールをテーマにした2枚のCDと、アーティー・トラムらとやっているスタンダードを歌ったCDです。すごく歌がじょうずでした。

友部正人
7月1日(日)「ウッドストック」
メグがインターネットで知り合ったという、歌手のドロシー・カウフィールドさんの家に行きました。ドロシーさんはアメリカに20年住んでいる日本人です。
森に囲まれた自然の中の一軒家に、ドロシーさんは暮らしています。ウッドストックはミュージシャンがたくさんいるので、最近マンハッタンから引っ越して来たそうです。広い敷地の中を小川も流れていました。ぼくとユミとメグと永見くんと永見くんの彼女の岩倉さんは、広々とした庭を見ながら、ただただ歓声を上げます。
ドロシーさんに一曲歌ってもらったお返しに、ぼくも「ニレはELM」を歌いました。自然の中だと声がよく響きます。
それからみんなでベアーズビルにあるスタジオにお昼を食べに行きました。元は有名なレコーディングスタジオだったそうですが、今はラジオ局、コンサートホール、レストランなどになっています。コンサートホールには、ウッドストック時代のザ・バンドやボブ・ディラン、ウッドストック・フェスティバルのティム・ハーディン、「ムーンダンス」の頃のバン・モリソンの写真などがロビーにかけてありました。みんな同じ人の撮った写真でした。ドロシーさんは9月にここでコンサートをするそうです。
ご飯を食べながら、ぼくたちが昨日見たボブ・ディラン・コンサートのことを話していると、ドロシーさんは「あの人、最近ボケてきているんじゃないかなあ」と斬新な発言をしていました。
いつのまにか夕方になっていて、永見くんたちは大急ぎで、今夜のディランのコンサートを聞きに、バーモントに向かって出発し、ぼくたちはミネワスカ州立公園の滝を見に行きました。道端に車を止めて、丘の斜面に腰かけて、雄大なキャッツキルの山々を見ながらただしゃべったり。このところニューヨークは涼しくて、日が暮れると上着を着ていても肌寒いほどで、山の風は気持ちよかった。ニューパルツという大学町で夕食を食べてから、ぼくたちはメグの運転する車で、渋滞の中をマンハッタンに帰りました。

友部正人
6月30日(土)「ボブ・ディラン」
ボブ・ディランのアメリカとカナダ東部のツアーを日本から聞きに来ている、東京ボブのベーシストの永見くんに誘われて、ニューヨーク州中部のBethelという田舎町にボブ・ディランを聞きに行きました。友人のメグの運転する車でユミと3人で行きました。まずはWurtsboroという村にあるモーテルで永見くんたちと合流し、そこから会場に向かいました。
そこは見晴らしのいい丘の上で、1969年にウッドストックフェスティバルの開かれた場所です。今はBethel Woods Center For Artsという施設になっていて、夏の間クラシックやロックのコンサートが開かれています。
ボブ・ディランとバンドメンバーは全員つばのある黒い帽子と黒い服を着ていて、なんだかアーミッシュかオーソドックス・ジューイッシュの人たちのようでした。
ディランは最初の数曲だけエレキギターでしたが、後はずっとキーボードを弾きながら歌っていました。選曲は60年代の歌を中心に、最近の「モダンタイムズ」からも4曲ぐらいやりました。本編の最後の「風に吹かれて」の3番の「どれだけの命が奪われたら、人はもうたくさんだと思うのだろう」というところで大きな歓声が起きて、古い歌が今の時代を反映していて感動的でした。芝生も入れれば1万7千人収容できるという会場は満員で、主に家族連れの往年のファンが目立ったけど、リアルな歌詞に感動してコンサートに来る若い世代も増えているそうです。
コンサートが終わると同時に大粒の雨が降り出して、ぼくたちは永見くんのレンタカーに乗せてもらって、モーテルに戻りました。

友部正人
6月28日(木)「レボン・ヘルム」
セントラルパークのサマーステージでレボンヘルムのコンサートがありました。ぼくたちはチケットを買っていなかったけど、近くまで行ってみました。雨が降っていたけどコンサートは始まっていて、会場の外でも大勢の人たちが聞いていました。ぼくたちもその人たちに混じって、傘をさして聞きました。
癌で喉の手術をしたらしいけど、やさしいレボン・ヘルムの歌声は健在でした。ザ・バンドの頃のなつかしい曲をたくさん歌っていました。ぼくたちは最後までは聞かず、セントラルパークの出口に向かって歩いて行くと、遠くから「ウエイト」が風に乗って聞こえてきたのがとてもよかった。雨で人気のない公園にレボン・ヘルムの声がこだましていました。

友部正人
6月27日(木)「ランニング」
夕方からマンハッタン最南端のバッテリーパークで、ナイキが主催するトレーニングランがありました。(このことはランニング友だちの佐恵子さんが東京からメールで教えてくれました。)去年は72丁目で開催されて、すごくいいランニング用のTシャツがもらえましたが、今年は参加者が多くて、ちょっと遅れて着いたぼくはもらえませんでした。
イーストリバーに沿って往復5マイル走った後は、ビルの中庭のようなところでガーデンパーティ。すいかやハンバーガーが食べ放題で、ワインやビールも飲み放題です。ぼくはその後ハドソン川沿いに73丁目まで走って帰るつもりだったので、お酒は飲みませんでしたが、レモネードを何杯もおかわりして、ハンバーガーもしっかり食べました。73丁目に着いたころ、猛烈な雨が突然降り始めました。

友部正人
6月26日(火)「マーサ・ウエインライト」
ローワーイーストにあるリビングルームというライブハウスが主催して、5組のシンガー・ソングライターたちのライブイベントがファイナンシャル・センターでありました。何年か前にリビングルームにテディ・トンプソンを聞きに行ったことがあります。カバーチャージがなくて、バケツがまわってきたらカンパする、という形でライブをしているところです。今日のライブも無料でした。リビングルームはXMradioの15チャンネルで一緒に番組を作っているようです。
ソロ、インスト、バンドと続き、4番目にマンドリンだけで歌うChris Thileという人が出てきて、場をさらいました。ブルーグラスからクラシックからコミックソングまで、歌もマンドリンもめちゃめちゃにうまかった。帰りにユミはCDを買っていました。
最後のマーサ・ウエインライトにはすてきな貫禄がありました。存在感抜群です。イギリスのグラストンバリィのフェスティバルに3日間行ってきて、グラスを吸いまくったと言っていました。

友部正人
6月24日(日)「ゲイ・プライド」
映画「ミリキタニ氏の猫」のプロデューサーのマサから、映画についての原稿を頼まれました。この夏の映画の公開にあわせて本が出るそうです。にブライアントパークで待ち合わせ。打ち合わせの後マサと別れ、フィフス・アベニューにゲイ・パレードを見に行きました。
沖縄市のシャンティ・シャンティというお店で作っている「くるくるレイン棒」をくるくるしながらユミと歩いていたら、かなり人目を引きました。「どこで手に入るの」と女の子に聞かれました。
マサに見せたら、「これはニューヨークで売れそう」と言っていました。

友部正人
6月23日(土)「プライド・ラン」
セントラルパークで5マイルのレースがありました。先週は寝過ぎて失敗したので、今日は前夜から支度をして、気持ちを引き締めておきました。
「プライド・ラン」は、ゲイとレズビアンの人たちをサポートしている、フロント・ランナーズというチームが主催しているレースです。毎年この時期にはニューヨークにいるので、ぼくは毎回参加しています。3000人以上の参加者の中で222位でした。でも56才から60才までのエイジグループの62人の中では1位でした。共催のスポーツ店から25ドルの金券をもらいました。

友部正人
6月21日(木)「リチャード・トンプソン」
夕方になるときまって雷をともなう雨が降るおかしな夏です。「まるで亜熱帯のよう」とユミは言います。6月のニューヨークはもっとからっとしているはずなのに。
野外コンサートが多いこの時期に雨は困ります。今日はブルックリンのプロスペクトパークで、リチャード・トンプソンのフリーコンサートがありました。地下鉄のグランド・アーミー・プラザ駅を出てしばらく歩いていると突然の雨。建物のひさしの下で30分近く雨宿りしました。
コンサートが始まったころには晴れましたが、前座のオラベルの後リチャード・トンプソン・バンドが登場すると、また雷雨が激しく降り出して、コンサートは一時中断。ウインドブレーカーは着ていたけど、傘はなかったので下半身はびしょぬれです。雨が止み、演奏が再開しても、遠くの方で稲光は続き、それがあざやかな時には、リチャード・トンプソンのギターソロと同じように歓声が起こります。美しかったのはアンコールで息子のテディ・トンプソンが登場して、二人だけで歌った歌。いつのまにか夜空には月が出ていました。
リチャード・トンプソンの演奏はいつもながらすばらしかったけど、観客がひとつになったのは荒れた天候のせいもあると思います。ぼくたちも途中で帰りそびれて、最後まで聞いてしまいました。

友部正人
6月20日(水)「リチャード・セラ」
近代美術館にリチャード・セラの彫刻を見に行きました。何年か前に、ニューヨーク郊外にあるディア・ビーコンという現代美術館で見たのですが、とてもよかったので。
リチャード・セラの作品の場合、彫刻という言葉は似合わない。鉛のような重金属でてきている巨大な作品は造船中のタンカーのようでもあります。人の数倍の高さの金属のベルトを波のようにつなげた作品には垂直な部分は一箇所もなく、その中に入ったり出たりしているうちにだんだん平衡感覚がおかしくなってきたユミはついに歩けなくなってしまい、美術館の人たちに助けられてソファに横になったり、冷たい水を飲ませてもらったりしていました。ずっとついていてくれた係員に聞くと、なんとなく気持ち悪くなった人はいても、倒れた人はまだいないそうです。「リチャード・セラを全身で感じ取れたということかな」と後でユミは笑っていました。

友部正人
6月18日(月)「句会」
ニューヨークにいても、仙台「火星の庭」の句会に参加しています。ただちょっと困るのは、朝の6時に選句しなくてはならないこと。日本との時差の関係です。夏時間の今は、13時間の時差があります。
今回は全部で36の俳句がFaxで送られてきました。その中から一人5句ずつ選ぶのです。このところだんだん5つにしぼるのがむずかしくなってきました。句会を始めて一年半、みんながうまくなってきたからです。
今回ぼくが出した三句では「夏の空どこへ行くのか国際線」というのが一押しでしたが、誰からも選句されませんでした。ユミの投句では、「扇風機ふたりの距離を測りつつ」がぼくは好きでした。

友部正人。
6月17日(日)「父の日」
「父の日」の5マイルレースに出る予定だったけど、寝過ごしてしまいました。レースは8時半からなのに、目が覚めたのは10時。こんなことは初めてだなあ。

近所のスリフトショップで「父の日」のセールをしていて、ビーチボーイズの「Surf's Up」をLPで見つけました。村上春樹の「意味がなければスウィングはない」で紹介されていて、聞いてみたかったのです。今回のセールに出ていたレコードはどれもほぼ新品で、針を落とした形跡がありません。そんなのが5枚で1ドルだったので、けっこうたくさん買ってしまいました。

今日は日暮になっても涼しくならなくて、ユミは本とカメラ、ぼくは双眼鏡を持って、歩いてすぐのハドソン川に行きました。ベンチに座って9時半ごろまで、本を読んだり写真を撮ったり、双眼鏡で月を眺めたりしたのです。月は細い三日月ですが、双眼鏡でもクレーターがよく見えました。

友部正人
6月16日(土)「テレビジョン」
セントラルパーク、サマーステージでテレビジョンのフリーコンサート。
遅れていったけど、二番目の出演者のThe Apples in Stereoもたっぷり聞けて、彼らの明るくて気持ちのいいサウンドには好感がもてました。

それに比べて、テレビジョンは沈思黙考型の演奏で、トム・ヴァーラインの重いギターフレーズが長く続くと、いささかうんざりさせられます。それだけに「マーキームーン」など初期のヒット曲は、アレンジの美しさが際立っていました。歌声はひょろひょろでしたが、これは元からのこと。おそらくテレビジョンは元々即興演奏が主体のバンドなので、今日のような演奏が本来のテレビジョンなのでしょう。以前聞いたトム・ヴァーラインのソロのステージも、そういえば今日のテレビジョンのようでした。

友部正人
6月15日(金)「ジミー・ミリキタニ」、「カサンドラ・ウィルソン」
今日はジミー・ミリキタニ氏の87歳の誕生日でした。ぼくとユミは10th Avenueを南に歩いて、46丁目にあるミリキタニ氏のアパートまで行きました。
すでに大勢の人がお祝いに訪れていて、ミリキタニ氏は疲れてソファに横になっていました。
部屋の隅には描きかけの猫の絵がありましたが、ミリキタニ氏の猫は今日はいません。大勢の人が訪れるので、どこかに避難させたのでしょう。
アパートには映画「ミリキタニ氏の猫」の監督のリンダさんや、プロデューサーでぼくたちの友だちのマサもいました。リンダさんとは初めて会いました。ミリキタニ氏とリンダさんとマサは今年の夏に、ミリキタニ氏の両親の故郷、広島を訪ねるそうです。8月6日の原爆慰霊祭に参加したり、親類を訪ねたりするそうです。

その後はセントラルパークに、カサンドラ・ウィルソンのフリーコンサートを聞きに行きました。何千人もの観客を前に、裸足でリラックスしてとてものびのびと歌っていました。
日が暮れると気温がどんどん下がり、長袖の上着を着ていてもかなり寒かったので、ぼくたちは最後までは聞かず、アパートに帰って熱燗を飲みながら、CDでコンサートの続きを楽しみました。

友部正人
6月13日(水)「オマー・ソーサ」
ブルー・ノートにオマー・ソーサを聞きに行きました。オマー・ソーサがピアノで、後のメンバーはベースとドラムスです。
階段の上から3人で歌いながら降りてきて、そのままステージで演奏が始まったので、最初からのりのりです。きっと普段の暮らしの中でもこんな風に音楽をやっているんだろうなあ、と思いました。
この人たちは音で自然を描くのがとても上手です。目の前に沼や木漏れ日や静かな森が見えてきました。知らないうちにぼくもその森の中にいて、彼らと同じ風に吹かれているのです。こんなさわやかな音楽もあるんだなあ、と感心しました。録音した様々な人間の声を音楽に多く取り入れているのが、実験的でおもしろかった。

友部正人
6月12日(火)「ホーム・レコーディング」
ふちがみさん、船戸くんとぼくの3人で、わが家でのホーム・レコーディングを試みました。
船戸くんはトライベッカのベース工房というところからウッドベースを借りてきました。レコーディング機材は、ふちがみさんたちが最近愛用しているハードディスクレコーダーです。

普段はオペラのレッスンの声が下の部屋から聞こえてくるぼくたちのアパートですが、今日はなぜか一日シーンとしていたのが奇跡のようでした。夕方になって雷が鳴って、強烈な雨が降り始めました。ぼくたちは窓を全開にして、ここぞとばかり雨と雷の音も入れて録音したのです。全部で5曲録音できました。

いったんは止んだ雨も、また降り始めて、8時から予定されていたセントラルパークでのメトロポリタンオペラの野外フリーコンサートは急遽中止になりました。ずぶぬれになってセントラルパークから歩いて戻ってきたぼくらは、近所で自慢のハンバーガーを買って、みんなでうちでピクニックをしたのでした。

友部正人
6月10日(日)「バート・ヤンシュ」
髪が長くてひげの生えた人を想像していたら、バート・ヤンシュは恰幅がよく髪もきちんとした人でした。
たぶんヤマハだと思うけど、ギターがいい音でした。ヤマハのギターをぼくも一台欲しいな、と思ったくらい。ほとんど一曲ごとにチューニングを変えるけど、チューニングメーターは使いません。チューニングを聞いているだけでも飽きないかも。
歌う歌がどれも彼の人生と深くかかわっていて、聞いているぼくたちにもその深さが伝わってきます。彼はただ単に曲を聞かせているだけではないと思いました。ビクトル・ハラの「立ってここで歌え」を歌うとき、「彼のように物静かな人間がどうして殺されなければならないのか」と何回も言っていました。
「歌とは全然関係ないけど」と前置きをして、彼がジョン・レンボーンとパリのカフェで見かけた奇妙な人たちのことを話していました。彼はまるで友だちに話すように自分のことを話し、歌います。素敵でした。

今夜はぼくとユミとふちがみさんと船戸くんの4人で行きました。彼らの短いNew York滞在中に、今夜のようなライブが一緒に見られてよかった。しかも素早いユミのリードで、一番前でステージにもたれて見てしまいました。ライブの前に食べに行ったカンジー・ヴィレッジの晩御飯もいつもながらとてもおいしかった。いい夜でした。

友部正人
6月9日(土)「4人で散歩」
スイスでのライブを終えたふちがみとふなとの二人が、ニューヨークに遊びに来ました。
ふちがみさんはニューヨークは初めてだけど、船戸くんは20年ぐらい前に、イーストビレッジの南にしばらくの間住んでいたことがあるそうです。
お昼をうちで食べてから、4人でダウンタウンにでかけました。ぼくたちは乗り放題のメトロカードを買い、やる気まんまん。
チェルシーのフリーマーケットや中古レコード屋をのぞいた後、チャイナタウンをぬけてイーストハウストンに。そしたらそこが船戸くんのいたアパートの近くでした。ブルックリンのベッドフォードにも行きました。いい本屋とCD屋と古着屋にふたりを案内しました。相変わらず住みやすそうないい町でした。
その後ふちがみさんたちはぼくたちと別れて、ハーレムにライブを聞きに行きました。
今日は本当にたくさん地下鉄やバスに乗りました。

友部正人
6月5日(火)「ニューヨーク」
横浜より暑いニューヨークに夕方到着。友だちのマサ(映画「ミリキタニ氏の猫」のプロデューサー)と偶然同じ便でした。マサとは2月のニューヨークから成田の便でも偶然一緒でした。
機内でぼくは今度新しく出る本の校正をするつもりでいたのに、ついつい映画を見てしまい、やりとげられなかった。
飛行機がマンハッタンの真上を飛んだときはうれしかったな。自分たちのアパートのあるビルは見つけられなかったけど。
とりあえず、今日することは、寝ることです。

友部正人
6月2日(土)「雨の降る日には」
三宅伸治作曲、友部正人作詞の「雨の降る日には」を一曲だけスタジオ録音しました。
去年のマンダラ2での「Every Wednesday」や、サムズアップでのライブで、二人でこの曲をやったことがあるので、覚えている人もいるはずです。
録音は、ベースが寺岡呼人、ドラムが島田和夫、ギターと歌がぼくと三宅伸治です。
他にも大勢のゲストがこのアルバムに参加していて、豪華な内容になりそうです。
「雨の降る日には」はオーティス・レディングの「ドック・オブ・ザ・ベイ」をイメージしています。

友部正人
5月29日(火)「江別 ドラマシアターども」
札幌から車で約40分、江別の「ども」という小劇場でライブをしました。「ども」というのは、
劇場のオーナーの方のあだ名だそうです。
車の中から見かけたJR江別駅はとても小さかった。「ども」はそんな小さな町の雰囲気にぴったりのすてきな劇場です。建物の中には60席ほどの劇場とカフェとギャラリーがあります。ライブが始まるまで、お客さんはカフェで食事をしたりビールを飲んだりして、スタッフの方が「始まりますよ」と大きな声で告げると、劇場に移って開演を待つのです。
江別は初めてなので、自己紹介代わりに「はじめぼくは一人だった」からコンサートを始めました。前半は「フーテンのノリ」をやったので、たった6曲で40分でした。後半は新しい歌も何曲か歌いました。そしたらライブ終演後に「新しい曲の入ったCDがほしい」というお客さんがいました。早くレコーディングしなくてはな、と思いました。
主催は高校の理科の先生の石井さん。チラシのために自分で描いたイラストの原画をおみやげにいただきました。

友部正人
5月27日(日)「旭川 アーリータイムズ」
1年ぶりのアーリータイムズ、リクエスト大会のことは忘れてのびのび歌うぞ、と思ってライブにのぞみました。札幌の主催者の木下さんの車で旭川に向かったのですが、その途中で見た水田の風景が美しく、「早いぞ、早いぞ」を歌いたくなりました。きっとこの時期の日本を空から見たら、海に沈んでいるように見えるかもしれません。
アーリータイムズは日本のフォークの博物館のようなライブハウスです。ピアノの上や壁にはたくさんのLPレコードが飾られ、額には当時のコンサートチケットが展示されています。
今夜の旭川はとても寒く、真夜中には気温は4度になっていました.。

友部正人
5月26日(土)「札幌 リクエスト大会」
大阪に続いて、札幌でもはじめてのリクエスト大会をやりました。会場はいつものライブハウス「くう」です。お客さんは50人ぐらいでした。
今日は元スカイドッグブルースバンドのギターの金安彰くんが来てくれたので、リクエストがあった、「1976」の中の3曲と、「いっぱい飲み屋の唄」「一本道」「遠来」を二人で一緒にやりました。
珍しいのは「空が描いたボール」という曲。まだ札幌では歌ったことがないのに、「サン・テグジュペリ」にもリクエストがありました。空や地平線の出てくるような、広々とした風景の歌がリクエストされたのは北海道だからかなあ、と思いました。

1 一本道(8票)
2  Speak Japanese,American(6票)
3  愛について(5票)
4  ぼくは君を探しに来たんだ/誰もぼくの絵を描けないだろう/夕暮れ
5 遠来/6月の雨の夜、チルチルミチルは/月の光/公園のD51/夜は言葉
6 私の踊り子/水門/空が描いたボール/空が落ちてくる/夕日は昇る/地球の一番はげた場所

友部正人
5月25日(金)「大阪リクエスト大会」
今日で57才になりました。
大阪ではじめてのリクエスト大会がありました。バナナホールで130人が一人3曲ずつ投票し、全部で112曲もの曲がリクエストされました。
前半は、普段のライブではあまり歌うことのない曲を、得票数の少なかったリクエストの中から選んで歌いました。「ボート小屋便り」「ストライキ」「彼はドアマン」などです。
後半はリクエストの多かった曲を10位から順番に1曲ずつ歌っていきました。8位は10曲もあったので、ここでは2曲歌いました。同数の曲から1曲を選ぶときにはお客さんから選んでもらったりもしました。
後半、客席から「ハッピーバースディ」の大合唱が沸き起こって、ちょっとびっくり。今までそんな経験はなかったのでとても感動しました。

リクエストの多かった曲を書きます。
1  一本道(23票)
2 遠来(14)
3 六月の雨の夜、チルチルミチルは(12)
4 大阪へやってきた
 誰もぼくの絵を描けないだろう
5 ぼくは君を探しに来たんだ
  はじめぼくはひとりだった
6 にんじん/ フーテンのノリ/愛について/びっこのポーの最 /夜は言葉
7 どうして旅に出なかったんだ/夕日は昇る/なんでもない日には
8 乾杯/空が落ちてくる/町ははだかで座りこんでいる/君が欲しい
  夕暮れ/ニレはELM/水門/朝は詩人/夜よ明けるな/おしゃべりなカラス

などでした。新しい曲では、「ニレはELM」のリクエストが多かったのがうれしかった。
新しい曲をまた作りたくなりました。

友部正人
5月23日(水)「Animals」
友人に勧められて、平塚市美術館に三沢厚彦さんの「Animals Plus」という展覧会を見に行きました。ぼくもユミも平塚へ行くのははじめて。横浜から電車で35分なのに、平塚の町の感じはもはや、どこか旅先の町のようでした。
ほとんど等身大の木彫りの動物たち。リス、こうもり、犬と猫、熊や象やキリン、近づいて自分の体と比べながら見るとおもしろいです。動物たちの目の表情がすてきです。作者がガストン・フィリップの絵(多分)をバックにポーズをとっている写真が会場にあって、ぼくも好きな画家なのでうれしい気持ちでした。この展覧会は5月27日まで。

友部正人
5月20日(日)「言葉の森で  ゲスト: ふちがみとふなと」
この「言葉の森で」シリーズも、最近になってじわじわと、おもしろいコンサートだと認識されつつあるようです。積極的にこの企画に参加してくれたゲストの方々のおかげです。その「言葉の森で」もいよいよ9回目、今回のゲストはふちがみとふなとでした。
二人は京都に住んでいるけど、歌の中ではいろんな世界に暮らしている人たちです。ぼくは彼らの暮らしている歌の中の世界が好きです。そこでは人々は一生懸命生きていて、おかしくて、切ないのです。渕上純子さんの生身のボーカルと、よく弾むボールのような船戸博史さんのウッドベースは、彼らの暮らしている世界をじょうずに表現してくれます。

今日は3人で一緒に演奏する曲が8曲もありました。その中の2曲は今日はじめて発表する新曲です。「池田さん」(作詞 渕上純子/作曲 友部正人) と「老人の時間、若者の時間」(作詞 友部正人/作曲 渕上純子)です。ボブ・ディランの「ドント・シンク・トゥワイス」(友部訳詞)やダニエル・ジョンストンの「歌う人」(渕上純子訳詞)もやりました。また「Nalala」「大道芸人」など、自分たちのオリジナルを全部で4曲一緒に演奏しました。
そのほかにもぼくは船戸さんのベースだけをバックに、「言葉がぼくに運んでくるものは」を歌い、「38万キロ」の歌詞を朗読しました。船戸さんのベースはぼくをボールのようにはずませます。

友部正人
5月18日(金)「原マスミ大全集」、「歌謡曲だよ、人生は」
原マスミの展覧会に行ってきました。原マスミという名前を初めて知ったのは、たまと一緒にライブをやり始めた87年ごろです。たまのメンバーがうちに遊びに来たとき、原さんの歌のことを話していました。でもそのあと、文庫で出た「トロイの月」を買って、ぼくは原さんの絵のファンになっていました。
今日見た中では「ケチャ」がとても好きです。ユミは「こわくない夢」だそうです。他にも二つぐらいずつタイトルを言い合いましたが、ぼくたちは基本的にどれも好きです。
家に帰ってから、久しぶりに原さんのLPレコードを聞きました。そしたら、ときどき知久くんと錯覚してしまいました。

原マスミの展覧会の続きに、銀座まで「歌謡曲だよ、人生は」という映画を見に行きました。歌謡曲をテーマにした、11人の監督による11編のオムニバス映画です。この中の「ざんげの値打ちもない」を撮っている水谷俊之はぼくらの古い友人で、ぼくとユミに招待券を送ってくれたのでした。
たとえばジム・ジャームッシュの「ナイト・オン・ザ・プラネット」のようなオムニバス形式の映画がぼくは好きです。この「歌謡曲だよ、人生は」は11人もの監督によるものなので、最初はとまどいます。でもこのテンポになれてくると、一つのストーリーが終わって、また次のが始まるのが一種の快感に変わります。最後までこの映画がどうやって終わるかが気になったけど、いつのまにか自然に終わっていました。ぼくは「逢いたくて逢いたくて」「みんな夢の中」「女のみち」に特に入り込みました。

友部正人
5月13日(日)「豊橋 ハウスオブクレージー」
豊橋は足助から近いので早く着いてしまい、喫茶店を探しながら町を歩きました。日曜日の豊橋は、家族連れのブラジル人が目立ちました。ポルトガル語で書かれた肉屋やレストランもありました。日本まで働きに来ているのでしょう。豊橋の印象が新しくなりました。それにしても小さい街なので、行くところもありません。ホテルに戻って昼寝をして、夜のライブに臨みました。
ハウスオブクレージーは音響装置がいいのか、気持ちのいい音がします。ギターでも、弦を変える必要がないくらいです。ぼくも声帯を取り替えたような声でした。

友部正人
5月12日(土)「愛知県・足助のかじやさん」
3年ぶりの足助のかじやさん。今年で10年目になるそうです。ご主人の広瀬さんは本物のかじやさんで、毎日刃物を作っています。そのかたわら自作の歌も歌い、足助を歌った歌は30曲を超えたそうです。前回は冬だったので、夜の足助しか見られなかったのですが、今回はリハーサルが終わってもまだ明るくて、せせらぎの聞こえる町を散歩しました。古いけれど、汚れたところのない町でした。二階席や階段にも人がいて、じっくりと歌を聞いてくれるいいコンサートでした。

友部正人
5月11日(金)「高山 ピッキン」
1年3ヶ月ぶりの高山です。毎年2月に歌いに来ていたのに、今年は5月になりました。もう暖かいのかと思ったらまだ寒くて、今朝は乗鞍岳に雪が降ったとのこと。
去年の11月に亡くなった奥さんのことを、ピッキンのマスターの高原さんがリハーサルの後に話してくれました。そうやって人に話すことが、自分にとっても整理になるんだと言って。
今夜のライブは予約だけで定員に達して、当日券も出ませんでした。毎年ぼくのライブを主催してくれているピースランドの中神さんも理由がわからずびっくりしていました。
ここのところイベントが多かったので、ぼくのソロのライブは久しぶりでした。こんなときは何を歌っても自由なのに、なんとなく歌う歌が決まってしまうのはなぜでしょう。久しぶりだったので、今日はそのどれもが新鮮でしたが。

友部正人
5月8日(火)「ヨシ比嘉 写真展」
ニューヨークの友人ヨシ(比嘉良治)の写真展を、今日から5月31日まで東京中野区のギャラリーでやっています。今回の写真展は、ヨシのライフワークともいえる針穴写真機(ピンホールカメラ)で撮影された作品の数々です。ニューヨークの建物やモニュメントなどが、二重写しされて、水に映ったようです。ただ針穴から差し込む光を印画紙に焼き付けただけなのに、映像が現れる不思議を見に行きませんか。
今日はそのオープニングパーティで、3ヶ月ぶりにヨシと奥さんのマドレインに会いました。

「虹の暗箱」ヨシ比嘉写真展  ギャラリー冬青 (03-3380-7123)

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5月6日(日)「浜田くん」
「春一番」最終日。ぼくはハンバート・ハンバートのコーナーで、ハンバートの「おなじ話」を彼らと歌いました。このハンバートのための特設コーナーでは、いろんな人が入れ替わり立代わりハンバートと演奏しました。

「春一」を2時に抜けて、ぼくとユミは京都に向かいました。高知県に住む浜田裕介というシンガー・ソングライターのゲストで歌うためです。会場は四条寺町近くの「まっちゃん」というお店でした。
ぼくが浜田くんと会ったのは、高知のライブハウスでした。そのときぼくは浜田くんから、すでに廃盤になっていた彼の3枚のアルバムのCD-Rをもらいました。
それとは別に、ユミはヤスムロコウイチの歌う「夜を見てた」という曲を何年か前の「春一番」で聞いて、浜田くんの歌に出会っていたのです。「夜を見てた」は浜田くん自作の歌で、ぼくも名曲だと思います。
浜田くんが学生のときから20年住んでいたという京都で、今日は二人で初めてライブをしました。ぼくの浜田くんとユミの浜田くんが今日やっと一致したのかもしれません。

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5月5日(土)「春一番'07」その2
今日はぼくの出番はなかったけど、午後からずっと客席にいてコンサートを聞いていました。楽屋には一度も顔を出さなかった。かといって全部聞いているわけでもなくて、ただ風のように音楽や歌を感じていたのです。坂田明さんの「死んだ男の残したものは」は、突如台風のようにぼくを襲いましたけど。

夜は心斎橋のスタンダード・ブックスという本屋さんに、「夜の本屋」大阪編のための下見に行きました。ここのカフェで天然酵母のパンを販売している「楽童」の松永さんからの紹介です。ゆっくり本を見る時間はなかったけど、広くて気持ちのいいお店でした。

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5月4日(金)「祝春一番'07」
朝早い新幹線で山口から大阪に移動、お昼ごろにはもう服部緑地の会場に入っていました。1時から出演の「ふちがみとふなと」の最後の曲に参加することになっていたからです。「Nalala」という曲で、覚えるのに時間がかかった分だけ、しみついて忘れられない曲になりました。
ぼくの出番は最後だったので、それから7時ごろまではのんびりしていました。ハンバート・ハンバートの二人と、ちょっとした練習もしました。
ぼくはソロで4曲歌い、あと1曲は「ふちがみとふなと」の船戸くんと二人で「言葉がぼくに運んでくるものは」を、ギターを弾かずに「ふちがみ」風に身振りつきでやりました。その身振りが踊りに見えたという人もいれば、どじょうすくいだという人もいました。25日にあるバナナホールのリクエスト大会でリクエストされても、船戸くんがいないのでできませんが。
ソロは「山田くんと山田くん」「わからない言葉で歌ってください」「サン・テグジュペリはもういない」「ぼくは君を探しに来たんだ」の4曲でした。

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5月3日(木)「中原中也生誕百年祭」その4
今日は「ハナレグミ」のコンサートでした。ユミが大好きで、よくCDをかけているので、どんな歌を歌う人なのかぼくもよく知っています。でもライブを聞いたことはなかったので、楽しみでした。
とても静かな曲で始まって、終盤はノリノリのリズムの曲が続きました。それでも全体のゆったりとした感じは変わらず、これが持ち味なのだとわかりました。若いお客さんたちがうなずきながら歌を聴いているのが印象的でした。たぶんそれは、ハナレグミの人が歌で聞き手と向かい合っているからで、だからお客さんはそれを聞くことで受け止めようとしているのです。当然ながらぼくも、客席の一人としてハナレグミの歌に耳を傾けていました。

こうして4日間の「中原中也祭」体験を終えて、明日は大阪の「祝春一番コンサート」に向かいます。

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5月2日(水)「中原中也生誕百年祭」その3
今日は谷川俊太郎さん、谷川賢作さん、深川和美さんの日でした。中原中也の詩に賢作さんが作曲して、谷川俊太郎さんの詩の朗読、深川さんの歌など、多面的でおもしろいコンサートでした。
ぼくは中原中也の詩が書かせた賢作さんの曲がおもしろいと思ったし、その曲を堂々たる声量で歌う深川さんが、あでやかで床屋のポールみたいに見えておもしろかった。谷川さんは「また来ん春」の朗読で、今日のコンサートを見事に締めくくっていました。
きっと今日のコンサートが、今回のテーマに一番接近した内容になるだろうと思いました。中原中也をただなぞるのではなく、3人でその詩を遊んでいるのがおもしろいと思いました。

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5月1日(火)「中原中也生誕百年祭」その2
今日は矢野顕子さんのソロライブのゲストとして出演。矢野さんとは二人で「Speak Japanese,American」「すばらしいさよなら」の二曲を演奏しました。「Speak Japanes,」は矢野さんからのリクエスト。矢野さんは四番の「赤坂にある・・・・・」というところを矢野さん風に歌ってくれて、調子が変わってとても新鮮でした。一本調子にしないところがいいな、と思いました。
ぼくのソロでは「六月の雨の夜、チルチルミチルは」「こわれてしまった一日」の二曲。「チルチルミチル」のときちょうどまた雨が降り始めて、偶然の一致がおもしろかった。
矢野さんは昨日ニューヨークから成田について、そのまま山口に来たそうです。矢野さんは日本では旅人なんですね。少しハイテンションなのは時差ボケのせいかも。いいなあと思うのは、いつもめずらしい歌を歌ってくれること。今日は「フロッタージュ氏の怪物狩り」(作詞 友部正人 作曲 坂本龍一)も歌ってくれました。

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4月30日(月)「中原中也生誕100年祭」その1
今日から5月3日までぼくとユミは山口にいます。山口では今、「中原中也生誕100年祭」が開かれています。会場はサーカス小屋のような形をした大きな白いテントのなかです。毎日ここではサーカスの公演も行われています。サーカス修行中の若い人たちが演技を見せてくれます(失敗してもできるまでやります)。それを楽屋で、ぼくはハラハラしたり感心したりして見ていました。
今夜はおおたか静流さんとぼくのコンサートでした。それからバイオリンの向島ゆりこさんも一緒でした。サーカスの派手さに対抗するために、おおたかさんはいつもより濃くメイクしています。そしてぼくたちは「美しき天然」というサーカスのイメージを持つ歌でコンサートを始めました。
今回中原中也をもう一度読み直してみたら、20,代に読んだときよりもおもしろいのです。どの詩にも「白熊みたいな湯気」のようなフレーズが紛れ込んでいて、新鮮な言葉に出会えたような気がするのです。
「パティロマ」はうまくいきました。波照間島をうたった、おおたかさんのきれいな曲ですが、男の声が混ざるとより大きくきれいな曲になるような気がしました。「夜は言葉」で本編が終了。アンコールは「月の光」。
途中から激しい雨になり、テントの屋根を大足でたたいていました。でもコンサート中は、コンサートの静けさとお客さんの集中力の方が雨に勝っていたみたいです。

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4月28日(土)「ふちがみとふなと」
ふちがみとふなとのライブを横浜のエアジンに聞きに行きました。横浜に住んで10年になるけど、エアジンに来たのは初めて。どちらかというとニューヨークのビレッジ・ヴァンガードに似た古いライブハウスでした。
前半はふちがみさんたちだけでいつものようにのんびりと、後半はドラムスのツノ犬さんもゲストで参加して、ジャズの即興演奏のようなライブを展開しました。ドラムスが入って船戸くんのベースは特に引き立ち、渕上さんも顔を真赤にして歌います。ツノ犬さんのおかげで、ふちがみとふなとの別の面を知ることができました。そしてこっちの方も魅力があるなあと思ったのです。

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4月27日(金)「リハーサル」
26日、27日と二日続けてリハーサルでした。昨日はおおたか静流さんと、山口での「中原中也生誕100年祭」のためのライブのリハーサルを渋谷で。今日はふちがみとふなとの二人と、5月20日のスターパインズカフェのためのリハーサルを横浜でやりました。
おおたかさんとの共演はすごく久しぶりです。ぼくのリクエストで、おおたかさんの「パティロマ」をやることになりました。波照間島を歌ったきれいな曲です。
ふちがみさんたちとは、「言葉の森で」のゲストなので、恒例の共作をしました。二曲できました。当日はぼくたちの新作も楽しみに聞きに来てください。
いろんな曲を練習をすると、自分では普段は使わないコードを覚えられておもしろいです。

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4月22日(日)「ニュータウン入り口」
宮沢章夫さんの新作「ニュータウン入り口」のリーディング公演を森下スタジオというところに見に行きました。
新作に興味があったのはもちろんだけど、リーディング公演という形に強く興味を持ちました。俳優がシナリオを片手に、練習のような光景を見せるのですけど、練習をしているわけではないらしい。一応リーディングの完成形を見せているのです。だから誰もせりふをとちったりしないし、リーディングの延長で若干の演技もあって、自然に芝居を見ている気持ちになります。本公演の前にどうしてこういうことをするのか。戯曲の完成が遅れないように、と宮沢さんは公演後に言っていました。ぼくの場合、新曲を2、3回ステージで演奏してみないと、その歌に実感がわきません。そういうことなのかなあ、と思いました。

この劇はむずかしい。登場人物たちのことがよくわかりません。酒鬼薔薇くんもいればユダヤ人もいる。旧約聖書もあればギリシャ神話もある。おまけに「ニュータウン入口」である。話が結びつかないです。考える楽しみをもらったみたいです。
ぼくの「あいてるドアから失礼しますよ」を聞いて、「入るところなのか出るところなのか」、とという疑問を持った宮沢さんは、出口と入り口をいつも気にしている人なのでしょうか。この「ニュータウン入り口」でも、その向こうに世界に通じる出口があると予感しています。作中に登場するビデオ「ニュータウン入り口」を、登場人物たちと同じようにぼくも見たいと思いましたが、本当は一番見たいのは、作者本人なのではないでしょうか。
背後に森を抱いたニュータウンは、やがてぼくの中でヘンリー・ダーガーの絵となったのでした。

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4月19日(木)「トニー・ジョー・ホワイト」
横浜サムズアップにトニー・ジョー・ホワイトを聞きに行きました。共演する三宅伸治くんから誘われていたのです。(でも夕方沖縄から戻ったところだったので、残念ながら三宅くんの出番には間に合いませんでした。)サムズアップでこんなに人が入ったライブをぼくは見たことがありません。トニー・ジョー・ホワイトは日本で人気のある人だったのですね。ぼくはアルバムを1枚だけもっています。
ギターが体の一部になっていて、話をするときに手を動かすようにギターを弾いて歌います。声は低く聞き取りにくい。おまけにギターの音量が大きい。でも味のある音楽でした。
会場で買ったCDの歌詞を帰ってから読んでみたら、けっこういい詞なのです。どうでもいいことは一言もいっていない。特に歌に関する考え方に強く共感を覚えました。
三宅くんから、石垣島トライアスロンの結果を聞かれました。はじめは三宅くんが自転車で参加する予定だったからです。

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4月18日(水)「北谷モッズ」
今回の沖縄最後のライブは北谷にあるモッズです。今日の沖縄は朝から暴風雨で、ホテルの窓にたたきつける雨と風の音で眠れないほどでした。そして沖縄とは思えないほど肌寒い午後でした。そのせいか、ぼくは歌う曲が思いつきません。考えていたら眠たくなって、ライブの前なのに少し眠ってしまいました。
去年の12月に仙台で共演したピッピ隊長がゲストでした。ピッピ隊長は繊細な感情をはきはきと歌う女性です。それにアコーディオンをとても効果的に演奏します。自分の国から来て自分の国に帰る人です。ぼくの「ロックンロール」をカバーしてくれました。
ぼくの出番までには歌う歌もかたまってきて、歌ってみたらどれも暗い歌でしたが、聞いている人には楽しいかもしれない。重い歌も楽しく聞ける人たちは多いから。たっぷり1時間半は歌いました。大げさにいえば、歌を生きたという感じです。
まだ1歳にもならない赤ちゃんを連れて、このホームページの管理人をしてくれているケチャとハナオさん夫婦が今日は沖縄市から聞きに来てくれて、ぼくもユミもとてもうれしかった。終演後にみんなで一緒に沖縄市まで宮古そばを食べに行きました。おいしかった。

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4月17日(火)「夜の本屋 那覇桜坂劇場編」
那覇市の映画館「桜坂劇場1階にある本屋「Artist Shop Pana」で「夜の本屋シリーズ」としてライブをしました。
映画の上映がだいたい終わってからのライブなので、9時半という遅い開演時刻でした。本棚を片付けて椅子を並べると、ライブハウスとはまたちがうおもしろい空間が生まれました。広いロビーは奥行きもあって、歌っていると気持ちよかった。
映画館を意識した選曲にしたかったけど、ぼくの場合紙芝居屋のようでした。歌の歌詞をめくりながら、その場だけの物語を作ります。そんな自分だけの遊びも、歌っているうちに見えてきた夜でした。
去年に続き、今年のライブのチラシの絵も傑作でした。ここをご覧ください。

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4月15日(日)「石垣島トライアスロン大会」
石垣島のトライアスロンはリレーでも出られる、と聞いていました。だからずっと一緒に参加できる人を探していたのです。ぼくは泳げないから一人で三種目は無理です。今年やっとチームを組んでくれる人たちが見つかりました。水泳1.5キロが郡山の「ラストワルツ」で働いている真理ちゃん、自転車40キロが石垣島の生駒さん、ラン10キロ、がぼくでした。
雨と風の悪天候でしたが、2時間21分という、予想よりずっといい記録で、リレーチームの13位でした。まだ30歳ですが自転車暦の長い生駒さんは、40キロを1時間で走ってしまいました。真理ちゃんは海で泳ぐのもレースに出るのも初めてという29歳。でも1.5キロを30分ぐらいで泳ぎました。ぼくは45分ぐらいで走りました。
以前はトライアスロンという言葉には恐怖心を感じたものでした。それが今回なくなったようです。一人で3種目をこなす800人の人たちを見ていて、やっとトライアスロンが少しは身近に感じられるようになりました。

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4月14日(土)「石垣島すけあくろ」
今年はトライアスロン大会にあわせて石垣島にやってきました。今日は「すけあくろ」でライブでした。石垣島にしてはめずらしく定刻で始まりました。お客さんは誰も翌日のレースのことは知らないはずなのに、遅くならないようにと気を使ったみたいです。思うように声が出せるときは、歌うのがよりおもしろく感じられます。自分に手品をみせているような感じです。そして自分で驚いているのです。今日のライブはそんな感じでした。

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4月12日(木)「タテタカコと野狐禅」
もうだいぶ前からこの二組のライブは行くことに決めていました。野狐禅の「かもめ」という歌は必聴に値します。今日はさらにペンダントの歌(タイトルは不明)がよかった。ボーカルの竹原くんは最近詩の朗読もしているそうです。ぼくも以前から彼を「no media」に誘いたかったので、来年はぜひ、とお願いしました。
タテタカコさんの新譜では、ぼくは「雷」が好きです。時々とどろくピアノの雷鳴がかっこいい。これもまた必聴に値します。でも、以前の「心細いときに歌う歌」や「宝石」も大好きです。タテさんはユミの顔を見てうれしかったようで、『ユミさんに会いたかったー。」と言ってました。
それから、会場でばったりハシケンと町田直隆くんにも会いました。いろんな意味で、今日のコンサートには未知の力が感じられました。

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4月9日(月)「ゴールデンサークル」
寺岡呼人プロデュースの「ゴールデンサークル」をZepp Tokyoに聞きにいきました。今回は10回目で、スペシャルゲストは松任谷由実さん。完全にお客さんの気分になって聞ける楽しいコンサートでした。ゆずの北川くんと岩沢くんが呼人くんをしっかり支えてたのもしかった。彼らは全然ものおじしないのですね。コンサート全体の潤滑油になっていました。
呼人くんは14歳のときから松任谷由実さんのファンだったそうです。そんな呼人くんの想いがコンサート全体に感じられるすてきなコンサートでした。「卒業写真」でアンコールが終わったときの気分は、映画を見終わったときに似ていました。
松任谷由実さんの歌はそんなに知らないのですが、メロディが物語のようでした。ゆずの歌の良さは、気持ちが数センチ上に上がるところだと思います。呼人くんの歌が少なかった、もっと聞きたかったね、ユミとそう言いながら、でも満足して帰ったのです。

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4月8日(日)「地震EXPO」
5月6日まで横浜のBankARTで開かれている「地震EXPO」で、起震車に乗ってみました。地震の揺れを体験できる車です。ぼくが体験したのは関東大震災の揺れでした。日本では最大の地震だったようで、消防署の人もみんなにそれを勧めていました。
その後、阪神大震災の揺れも見せてくれました。「意外に小さいでしょう」と消防署の人が言っていました。だけど被害はとても大きかったのです。展示場には、新聞紙や古着などで作ったおもしろい発想の仮設住宅がありました。起震車に乗ってみて、狭い家にものがいっぱいある状態がどれだけ危険かがよくわかりました。

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4月7日(土)「新しい物語」
朝日カルチャーセンターで、劇作家で演出家の宮沢章夫さんと対談しました。タイトルは「新しい物語をつくろう」でしたが、ほとんどそれにとらわれることなく進み、最後に少しだけ「物語」について触れて終了でした。今回は対談なので、これでよかったのだと思います。
宮沢さんはこういった人前での話に慣れているので、進行はお任せしました。宮沢さんとぼくばかりが話していたような気もして、後でそれがちょっと気にかかりました。お客さんたちが
考えている「物語」についてちょっと聞いてもよかったような気もします。
宮沢さんからのリクエストで3曲歌いました。「あいてるドアから失礼しますよ」「こわれてしまった一日」「楕円の日の丸」です。「楕円の日の丸」は、選挙を意識してリクエストしてくれたようです。演奏してみて、今の時期にぴったりだなあ、と思いました。

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3月31日(土)「光源寺ライブ」
豊田勇造と共演するのは約20年ぶり、のライブがありました。主催は、日の丸や君が代の強制に対抗しようと立ち上がった東京都の公立高校の先生たち。その代表の内山くんとは、彼が大学生の頃からの知り合いで、80年代にはぼくと豊田勇造のタイ・ツアーにも企画&参加しました。タイが好きなお酒飲みです。そんな彼が、近頃新聞などで見かけた、君が代、日の丸に反対して裁判に勝訴した原告の一人だったことをぼくは知りませんでした。
コンサートは光源寺の境内で5時半から始まりました。最初にぼくが1時間歌い、長い休憩をはさんで勇造が1時間歌いました。アンコールはぼくの「ぼくは君を探しに来たんだ」と勇造の「桜吹雪」。
桜が満開の関東地方では今日がお花見のピーク。でも風が強く今にも雨が降りそうなお天気でした。コンサートの最後まで降らなかったのは幸いでした。ステージの脇には見事に咲き誇った桜がとても美しく、時折雪のように花びらがステージに舞い落ちてきました。歌いながらぼくもお花見をしていたのです。
普段はただの酔っ払いの内山くんを見直した日でもありました。

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3月27日(火)「ジュークボックス2とミリキタニ氏」
昭島に住むタダツくんの家で、5月下旬発売予定の「ジュークボックスにすむ詩人2」の表紙の打ち合わせがありました。タダツくんに今度の本の表紙の絵を頼んだら、描いてくれることになったからです。
タダツくんとはニューヨークで知り合いました。その頃彼は「ニューヨークプレス」「ニューヨーカー」「ニューヨークタイムズ」などにイラストを描いていました。98年12月にぼくがブルックリンのEAR WAXというレコード屋でライブをすることになったのも彼のおかげです。そのとき彼はチラシの絵も描いてくれました。今は帰国して昭島に住んでいます。
思潮社の編集者高木さんもタダツくんの絵を気に入っていました。心は日本でタッチがアメリカンな、漫画のような絵です。5月20日の「言葉の森で」までに間に合うよう、目下大急ぎで作っているところです。
打ち合わせの後は、昭島に住んでいる友だちのたみさんたちも誘って、渋谷のユーロスペースに「ミリキタニ氏の猫」の試写会を見に行きました。ぼくとユミは去年の夏に一度見ているのですが、今回は日本語の字幕つきなので、英語版ではわからなかったところもよくわかり、より深く理解できました。元ホームレスのミリキタニ氏はすばらしいアーティストだと思いました。今年8月にユーロスペースで一般公開されるので、ぜひみなさん見に行きましょう。
現在公開中のニューヨークのシネマビレッジでは、2週間のの予定だった上映が1ヶ月に延長されたそうで、予想外の入りだということです。ちなみにこの映画のプロデューサーはぼくのニューヨークの友だちのマサ・ヨシカワです。

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3月25日(日)「金沢文芸館」
朝、近江八幡のホテルで出発の準備をしていたら、突然のすごい揺れ。テレビをつけると、能登半島で震度6強の地震が発生したとのこと。びっくりしました。近江八幡駅に行ってみると、北陸本線の敦賀、直江津間は不通になっていて、復旧の見通しもたたないというので、とりあえず敦賀まで行って、その後のことはまたそれから考えることにしました。
敦賀に着くと、ちょうど金沢行きの普通が2時間半遅れで出るところでした。それに乗れば福井までは行けるというので飛び乗りました。車内は満員で、空気が足りないのか、窓ガラスが蒸気で白くくもっています。時速45キロ以下で走り、しかも各駅に20分ずつ停車するという超スロー運転でしたが、それでも3時半ごろ福井駅に着きました。近江八幡から5時間以上もかかりました。
金沢の主催者の松田さんが福井まで車で迎えに来てくれました。金沢に着いてから松田さんのお店、ジョーハウスで休憩したので、金沢文芸館に着いたら開演1時間前の6時でした。今日は「詩と歌のコンサート」だったので、前半の30分は詩を読むだけにして、後半の1時間を歌に集中しました。文学にゆかりのある高尚な場なのに、気がつくといつものように、汗だくになって歌っていました。でも文芸館のスタッフの方たちは、またやりましょう、と言ってくれました。地震の被害が大きかった能登半島からわざわざ聞きに来てくれた人も、「やっぱり来てよかった」と言っていました。

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3月24日(土)「近江八幡、酒遊館」
4年ぶりの酒遊館ライブでした。酒遊館でのライブを今まで主催してくれていたイシオカ書店の奥村くんが亡くなって、もう4年がたったということです。今回は酒遊館の15周年記念ライブでした。元酒蔵だから天井が高く、空間が大きく感じます。そしてお客さんにはもれなく日本酒がふるまわれます。今日は休憩をはさまなかったせいか、お酒のお代わりに立つ人もなく、最後まで静かなコンサートでした。
開演の前に、酒遊館のすぐそばにある、NOMAという、アウトサイダーアート専門のギャラリーに行きました。自閉症の人や、知的障害のある人、美術の専門家ではないけど、あっと驚くような作品を作るアーティストの作品だけを展示するギャラリーです。予測もつかないような作品に出会えるのが楽しい場です。なんとなくぼくの歌に似ています。

友部正人
3月23日(金)「桑名フォーラム」
四日市から桑名に移転した「フォーラム」でのぼくの初ライブ。四日市の児童書店「メリーゴーランド」の店長の増田さんがゲストでした。
前回ぼくが桑名で歌ったのはかなり前のことです。そのときのことは、「耳をすます旅人」にも出てきます。「フォーラム」は国道沿いの無国籍な感じのレストランです。ブラジルあたりにもありそうな感じ。中はけっこう広々としていて、ライブはやりやすい。音もいいです。ぼくにとっては3月3日以来のライブだったので、まだ調子がつかめません。ぼくの詩に増田さんが曲をつけた「たまにはこんなに」をアンコールで一緒に演奏しました。

友部正人
3月18日(日)「湘南マラソン」
湘南国際マラソンに出ました。一万人の参加者のほとんどは神奈川県の人だったようです。
江ノ島から二ノ宮までの往復のコースは、つらいと感じるような坂もなく、往路は富士山を見ながら、復路は向かい風に逆らいながら走りました。今回の目標は3時間30分を切ることでした。なぜかというと、50歳代で3時間30分を切ると、ニューヨークシティマラソンに、抽選なしで出られるからです。
マーガレットズロースの平井くんと岡野くんも走りました。平井くんはマラソンははじめてなのに、ちょうど4時間ぐらいで完走。岡野くんは3回目で、なんと3時間23分でした。ぼくと岡野くんは35キロあたりまでは一緒に走っていたのですが、その後だいぶ遅れてしまい、3時間30分切りはもうあきらめていたのですが、最後の江ノ島の橋を渡り、ゴールの時計が見えてくると、なんとまだ3時間26分だったのです。だから残り50メートルは夢中で走りました。
正確なタイムはまだ出ていませんが、3時間30分を切れていたら、マラソン7回目にしてやっと念願がかなったことになります。早く結果を知りたいけれど、集計は今週いっぱいかかるそうです。

友部正人
3月16日(金)「海が降る」
友部正人ホームページに質問がありました。沖縄料理店で流れていたぼくの歌のタイトルを知りたいという内容でした。
たぶん、「Okinawa Seaside Walking」という企画物のオムニバスアルバムに入っている「海が降る」のことだと思います。このCDは2、3年前に徳間ジャパンから発売されました。他には、内田勘太郎、パーシャクラブ、やちむん、などが参加しています。
「海が降る」は、ぼくのアルバム「夕日は昇る」(1989)に入っていて、曲のアレンジは水谷紹くん。
この週末は寒くなるみたいですが、ぼくははじめて日本でのマラソンに出るつもりです。

友部正人
3月6日(火)「客船と映画と暴走族」
早朝みなとみらいを走っていたら、ベイブリッジをくぐって、客船クイーン・エリザベス二世号
が入港してくるのが見えました。50人ぐらいの人が山下公園でカメラをかまえて待ち受けていました。そして30分後には10倍になっていましたが、クイーン・エリザベスは涼しい顔で、大桟橋に横づけになっていました。
夕方もう一度、ユミと山下公園に行ってみたら、もう出航した後でした。半日ぐらいしかいなかったことになります。

このところめずらしく時間があるので、周防正行監督の「それでもぼくはやっていない」のレイトショーをみなとみらいに見に行きました。周防監督の今までの映画は、ぼくが見たものはみんな喜劇だったのですが、この映画はとてもまじめでした。主人公の男性は無実なのに、有罪になっていく過程を見ていて、ぼくはとてもイライラさせられました。こんなんじゃ、日本の警察も裁判も信用できないなあ、と思いながら映画館から出ると、いまどきめずらしい暴走族の大群にでくわしました。とても整然としていて、統率のとれた集団でした。おかげで、映画でイライラしたことはしばらく忘れられました。そして、この映画は笑えない喜劇なのかもしれないな、とふと思ったのです。

友部正人
3月3日(土)「吉祥寺バサラ・ブックスにて」
吉祥寺の南口にある古書店「バサラ」の1周年企画で、「トーク・アンド・ライブ」をしてきました。バサラは真ん中の本棚を片付けても、25人ぐらいしか入れない小さなお店です。今まで歌った会場の中で一番小さな場所かもしれません。マイクスタンドを立てる余裕もないので、話も歌も全部生でやりました。それで、ギターもあまり音量の出ないエピフォンにしました。
吉祥寺にちなんだ話を、ということだったので、ぼくが吉祥寺で生まれ、幼稚園の遠足が
井の頭公園だったこと、21歳のとき阿佐ヶ谷で一人暮らしをはじめ、毎日のように吉祥寺のぐわらん堂に通ったこと、そしてそこで出会った人たちのことなどを話しました。質問にも答えた後、詩の朗読をして、それから吉祥寺にちなんだ歌を6曲歌いました。アンコールは2曲、全体で1時間半ぐらいのライブでした。
バサラ・ブックスは駅前のバス通りにあるので、ときおりバスが大きな音で行き過ぎるのがわかりました。お店はガラス張りなので、通りからも中の様子がよく見えます。ライブが終わったとき、たまたま外を通りかかった人たちも一緒に拍手していました。街というのは、境目がなくておもしろいと思いました。

友部正人
3月1日(木)「呼人の部屋」
寺岡呼人くんの「呼人の部屋」。自分のスタジオから椅子やソファを運んで、ライブハウス440のステージの上を呼人くんの部屋にしてしまいます。普段よりリラックスできるのも、そのせいかもしれません。
毎月一日にやっているそうです。その19回目のゲストとして出演しました。呼人くんのソロのあと、二人で4曲セッションしました。そのうち1曲は呼人くんの「地球の裏側」です。リハーサルは一応しましたが、本番になると全く別の感じになるのがおもしろい。呼人くんのピアノはとてもいいです。
休憩の前に、じゅんごというお笑いのゲストがありました。全身を使って演技する新しいタイプのお笑いです。コンサートの後の打ち上げでこんな芸をするスタッフが、昔大阪にいました。とにかくおもしろいので、来年のno mediaに来て欲しいなあ、と思いました。じゅんごさんの後、お笑いのはなわさんの飛び入りもありました。
後半はまた呼人くんのソロから。それからぼくのソロがあり、その後また二人でセッションしました。「岩と砂」「Speak Japanese」で呼人くんはベースを弾きました。アンコールは「酔いどれ天使」と「一本道」。楽屋の時計を見たら10時半を回っていました。

友部正人
2月21日(水)「リハーサル」
寺岡呼人くんと、3月1日のライブのためのリハーサルをしました。ぼくは18日のドルフィーのライブのあとに咳の出る風邪をひいてしまい、とても歌える状態ではなかったけど、打ち合わせ程度ならできそうだと思って行きました。
3月1日のライブは、呼人くんが「ゴールデンサークル」と平行して、下北沢の440というライブハウスで続けている「呼人の部屋」です。もう18回目だとか。自分のスタジオから椅子やソファを440に運んで、ステージを呼人くんの部屋みたいにするんだって。

そういえば前に呼人くんにと、ハーモニカ・ホルダーをニューヨークから買ってきたことがあったけど、ぼくの使っているハーモニカホルダーについてよくいろんな人に聞かれます。この間はフラワーカンパニーズの圭介君にも聞かれました。ぼくの使っているハーモニカ・ホルダーはhohnerのものです。hohnerの製品は日本のモリダイラ楽器でも買うことができます。ぼくはいつもグリニッジビレッジの楽器屋さんで買っていますが、値段はそんなに変わりません。

ついでにもう一つよく質問されるのは、最近ぼくの使っているギブソンの型番です。L-140です。4年ぐらい前にニューヨークの楽器屋で新製品で買いました。日本の楽器屋ではまだあまり見かけないそうです。ピックアップがついているのに、しばらく気がつかないで使っていました。
リハーサルで弾かせてもらった呼人くんのギブソンもいい音がしていました。古く懐かしいギブソンの音でした。

友部正人
2月19日(月)「紛失していたスーツケース」
成田に届かなかったユミのスーツケースが今日の夜にやっと戻ってきました。スーツケースだけ3日余分にニューヨークに(もしくはどこかの町に)、いたわけです。破損は見当たらなかったし、中も荒らされていませんでした。もう夜中でしたが、うれしくて二人で乾杯しました。
この3日間ユミがいろいろ調べた情報では、完全になくなってしまうことは極めてまれだそうです。たいていは1週間以内には戻ってくる。だけど何がどうなっているのか誰にもわからないまま、ただ待つだけというのもかなりなストレスです。荷物を運んできてくれた運送会社の人によると、今日は20個以上のスーツケースを配達したそうです。ということは、16日以降も同じことが起こり続けているわけです。
前回ニューヨークからの戻りは、直行便のなくなったユナイテッド航空でワシントン経由でした。そのときにぼくのスーツケースが到着しなかったので、今回は乗り継ぎのないアメリカン航空の直行便にしたのですが。
航空会社は、テロ対策のために乗客には制限をきびしく課しているけど、肝心の自分たちはどんどんずさんになっていっているようです。

友部正人
2月18日(日)「ドルフィー」
今日は東京マラソンなのに、朝になっても雨がけっこう激しく降っていました。走ると聞いていた何人もの知り合いの顔を思い浮かべ、こんな冷たい雨の中を走るのは嫌だろうなあ、と思いました。
テレビで東京マラソンの中継を見ました。道路いっぱいにぎっしりの人。最後の人がスタートするまで30分ぐらいはかかるそうです。ニューヨークマラソンはスタートが二手に分かれるのでそんなには時間がかかりません。雨でも想像したほどつらそうな顔の人はいません。たまにちらっと映る市民ランナーたちの中に、知り合いの顔を探しましたが見つかりそうもない。市民が主役なのだから、もう少し長く映してもよさそうなものなのに。エリートの人たちがフィニッシュすると、さっさと片付けて放送を終了してしまいました。やっぱり沿道で応援するのが一番いいのかもしれません。

板橋文夫さんと横浜のドルフィーでライブがありました。ここ数年定例化しています。
今日は「わからない言葉で歌ってください」や「地獄のレストラン」など、最近の曲も一緒にやりました。ユミが今日のふたりの演奏は今までで一番良かった、と言っていました。
板橋さんは人間としても魅力のある人です。いろんな人とセッションをするうちに、そんな魅力のある人になったんだろうと思いました。

ユミのスーツケースは今日も成田に到着しませんでした。

友部正人
2月17日「荷物の紛失」
今日の夜中の12時に、空港からぼくのスーツケースだけが届けられました。ユミのスーツケースは今日も成田には到着しなかったそうです。どうして一緒に預けた荷物のうち片方だけが着いたのかわからなくて、電話で空港の職員にいろいろたずねても、あやまるだけではっきりしたことは何も答えてくれません。結局もう一日待ってみることにしました。

友部正人
2月16日(金)「荷物の紛失」
満席のアメリカン航空167便の乗客の、60人近い人の手荷物が紛失してしまいました。成田空港のカウンターは大混乱です。大勢の人が今度は荷物の引取りの手続きに待たされました。着の身着のままの人、薬やお金をスーツケースに入れたままの人。中には半そでのTシャツだけの外国の女性もいます。荷物はJFKで飛行機に積み忘れられたようです。航空会社にとっては日常茶飯事のことらしく、係りの人たちは、荷物のない乗客たちの切羽詰った気持ちには対応しようとはしません。仕方ないことなのでしょうが、とても事務的でした。ぼくたちも航空会社のそんな対応に合わせるしかなく、手続きをすませて横浜に戻りました。

友部正人
2月15日(木)「帰国」
案の定、予約してあったカーサービスが約束の8時半になっても来ません。30分待っても来ないので、タクシーにしました。こんな日に空車をつかまえるのは不可能なのに、たまたまアパートの前でタクシーを降りるおばあさんがいたからです。通常はJFK空港まで30分ぐらいで行くのに、今日は1時間半かかりました。それぐらいマンハッタンが渋滞していました。空港で、昨日の便のほとんどがキャンセルになっていたことがわかりました。ばったり会った友だちは、昨日乗る予定の便が欠航して、一旦アパートに帰り今日また出直して来たと言っていました。それにしてもひどい混雑です。離陸も2時間遅れました。その混雑と混乱のせいで、ぼくたちのスーツケースが紛失することになるのです。

友部正人
2月14日(水)「雪」
ついに雪が積もりました。ふわふわとした白い雪ではなく、みぞれが凍ったような雪です。セントラルパークに行ってみました。散歩している人はほとんどいないけど、走っている人は数人いました。それにしても寒い。風が強くまるで嵐です。凍った湖と橋を背景に自分を写真を撮ってくれとユミが男の人から頼まれました。橋はちゃんと入っているかとか、今度は縦位置にしてくれとか、いろいろと注文がうるさかったけどうまく撮れたみたいでした。
翌日には日本に帰る、という日によく雪になります。大雪になるとニューヨークの交通は大混乱です。アパートから飛行場まで予約してあったカーサービスが迎えに来なくて焦ったことがありました。

友部正人
2月12日(月)「流氷」
マイナス10℃前後の日が続いているので、そろそろかなとハドソン川に見に行ってみると、やはり流氷がたどり着いていました。入り江になっている72丁目あたりは岸から幅20メートルぐらい、そこから125丁目にかけては幅2メートルぐらいです。まだ始まったばかりのようです。
ユミが写真を撮るというので後でもう一度一緒にハドソン川に。他にも写真を撮りに来ている人がいました。それにしても寒い。レンズを向けられてもいい顔ができません。
夕方は一人でMoMAにArmando Reveron展を見に行き、ついでに「カブール・ピンポン」という短いドキュメンタリー映画を見てきました。

友部正人
2月11日(日)「ブロンクスハーフマラソン」
今日はブロンクスハーフマラソン。ブロンクスハーフはこれで4回目。なぜかブロンクスハーフには縁があります。
72丁目の駅から2番の電車でブロンクスまで行こうと思っていたら、今日は工事で走っていなくて、大回りしてミッドタウン経由で4番で行ったものだから、スタートぎりぎりに到着。荷物を預けたときにはすでにスタートのプーンという音が鳴っていました。
先日ユミとセントラルパークでヒルトレーニングをしたせいか、今日は快調でビュンビュン走り、1時間37分でした。
本当は走る前にトイレにも行きたかったけど、遅刻したからそんな時間もなかった。だから終わってから行きました。知り合いにも会わなかったので、いつものように、ベーグルやりんごをたくさんもらって、今度はDの地下鉄で帰りました。

友部正人
2月10日(土)「ロングアイランド」
ロングアイランドに出かけようよ、とメグにいわれて、彼女の車に乗せてもらってぼくたちはちょっと遠出をしました。まずメグの住むクィーンズのフォレストヒルズまで地下鉄で行って、そこから車で出発したけど、ロングアイランドは広くて、クィーンズに戻ったら夜になっていました。
ロングアイランドでは中古レコード屋に行ったりしました。ぼくはトム・ウェイツの新譜「オーファンズ」がたまたまあったので、うれしくて買いました。コルトレーンの「A Love Supreme 」も買いました。前からすごく聞きたかったから。ユミはクラシックのCDを買い、メグはマイルス・ディビスを買っていました。
クィーンズの韓国料理屋でチゲ鍋や焼肉を食べてからメグと別れて、また地下鉄でマンハッタンに戻りました。韓国料理屋には日本語の話せる女性が働いていて、そこはあまり日本人は来ないので、ぼくたちと日本語で話すのが楽しそうでした。2年ぐらい福岡と名古屋に住んでいたとか。

友部正人
2月9日(金)「Martin Ramirez」
Folk Art Museumに、Martin Ramirezの絵を見に行きました。精神分裂症でずっとカリフォルニアの精神病院に入院していたメキシコ人です。
包み紙のような茶色の紙に線だけで克明な絵を描きます。モチーフはトンネルや自動車や電車がほとんどです。独特の不思議な世界ですが、人をひきつける強烈な何かがあります。きっとそれはおびただしい線の力だと思うのですが、この人の線は明確で具体的です。外に飛び出した形を線でなぞるのではなく、精神の中の見えないものが起き上がってきてぼくたちと手をつなぎます。その絵には、Martin Ramirezという人と出会う秘密の方法が描かれているような気がします。

友部正人
2月6日(火)「ファッションショー」
ニューヨークはニューヨークコレクションのシーズンで、ブライアントパークのテントではこの一週間、100人以上のデザイナーのショーが続いています。友人のメグの勤めている「CHAIKEN」のショーが今日12時からあったので、ユミと見に行きました。ブライアントパークをほぼ占領したような白い大きな特設テントの中で、順番にショーが行われていきます。会場は何百人もの人がいて、大勢のカメラマンがフラッシュを焚きまくって写真を撮っています。でもコンサートなどとは違い、ファッションショーはあっというまに終わってしまいます。その前の大変な準備のことを考えると、実にあっけないです。モデルさんたちはみんな似たような歩き方をして、似たような顔をしていました。言葉を話す人はいません。笑う人もまれです。だらだらした人もいませんでした。不思議な世界です。

友部正人
2月5日(月)「マイナス12℃」
今日は寒くなるとわかっていて、それでもわざわざお昼ごろ、ユミと二人でセントラルパークに走りに行きました。午後12時でちょうどマイナス12℃。華氏では10度です。平日の昼間でも、セントラルパークを走ったり散歩している人はけっこうたくさんいるのに、さすがに今日は人がいません。ユミが「人類が一瞬にして消えた街みたい」と言っていたように。広いセントラルパークを一回り1時間ほど走るうちに、それでも何人かの走っている人を見かけました。20人ぐらいかな。あまりの寒さにマスクをして走っていたユミですが、そのうち自分の息でマスクがぬれて、そこが凍っていました。

友部正人
2月4日(日)「寒い日のレース。」
今朝はセントラルパークで4M(6.4km)のレースがありました。ここのところニューヨークは寒くて、今朝はマイナス8度(摂氏)ぐらいです。これくらい気温が低くなると、寒いというよりはひりひりと痛い感じで、かえって我慢できそうな気がするから不思議です。
今日は6000人以上の人が走ったみたいです。最近人数が増えて事故やトラブルがあったらしく、今までは道いっぱいに広がって走っていたのに、今日からはテープで仕切りを作って、道の半分だけしか使えないので、狭くてとても走りにくかった。短い距離なので、走り終わっても全然元気で、ベーグルやりんごをいっぱいもらってリュックサックに入れて帰りました。

友部正人
2月3日(土)「デビッド・バーン」
カーネギーホールにデビッド・バーンを聞きに行きました。ぼくとユミの席は最上階、バルコニーの端、しかも手すりが邪魔をしていて立たないとステージが半分しか見えません。そんな席しか残っていなかったのです。
カーネギーホールが企画した、毎日内容の違う、デビッド・バーンの4日間連続公演。その3日目は、フィリピンのイメルダ・マルコスを主人公にした歌物語でした。どうしてイメルダなのか、あまりよくわからなかったのですが、解説によれば、フィリピンから追放されたイメルダはニューヨークに住んでいて、ディスコ通いに明け暮れていたそうです。そんなイメルダの初恋の相手が、暗殺されたニノイ・アキノだったことは今夜初めて知りました。
ほとんどの曲のボーカルをとったのがデビッド・バーンではなく、フィリピン人の二人の女性で、それがちょっと弱い感じがしました。なぜなら、デビッド・バーンがボーカルをとった数曲は圧倒的にすばらしかったから。
デビッド・バーンがトーキングヘッズをやっていたのは10年ぐらいで、それ以降の20年近くはずっと映画や舞台の音楽の仕事をしてきたのだから、今さらロックっぽいコンサートを期待するのは見当はずれというもので、イメルダの人生を解説しながら進められたこのコンサート、中盤からは弦楽器や管楽器も加わり、まるでミュージカルを見ているようでした。だれも演技はしなかったけれど。

友部正人
1月31日(水)「ニューヨーク」
29日からニューヨークに来ています。さっそく30日にユミとセントラルパークを走りました。気温は摂氏0度ぐらいですが、池の水はまだ完全には凍ってはいません。公園の一番北には長くて急な坂があるのですが、その坂に差し掛かる手前に、動物のものらしい細長い糞がたくさん散らばっていました。犬や人間のものではないので、アライグマかなあ、とぼくが言うと、鳥じゃないかなあ、とユミが言いました。街なかではあまり見かけない形の糞でした。
今日ぼくは一人でハドソン川に沿って往復1時間ぐらい走ったのですが、その途中でガチョウの群れと出会い、昨日の糞がガチョウのものだとわかりました。彼らは人間が近づいてもどきもせず、ただ迷惑そうにギーと鳴くだけでした。

友部正人
1月27日(土)「ソウル・オブ・どんと」
ハワイ時間でいえば27日がどんとの命日。7年前のこの日を思うと奈落に突き落とされたような気がします。
渋谷のAXで「ソウル・オブ・どんと」がありました。のKyonや玉城くんらのバンドをバックに、大勢の人たちが歌いました。さちほさんは息子のラキタくんのギターでゆっくりと「波」をうたっていました。ぼくはそれを舞台のそでで聞いていてじーんとしてしまいました。ああ、こういう歌い方もあったんだ、と思いながら。
その後ぼくはさちほさんとステージで少し話し、92年にぼくの「待ちあわせ」コンサートのためにどんととぼくが共作して唄を作っていた頃、どんとがFAXしてくれた手紙と詩を朗読しました。後で楽屋で土屋公平さんが、朗読がよかったよと言ってくれました。
歌は「ぼくは君を探しに来たんだ」と「孤独な詩人」を歌いました。「孤独な詩人」は「DEEP SOUTH」の中で「波」と同じぐらい好きな歌です。
アンコールでYO-KINGが「ダイナマイトに火をつけろ」を歌っているときは、ぼくはマラカスを振りました。けっこう大変で、きっと翌日腕が痛くなるな、と思いながら振りました。ラストは全員で「ドント・マンボ」。この歌もおもしろい歌です。どんとはおもしろくて悲しい歌をたくさんぼくたちに残しました。

友部正人
1月26日(金)「どんとソングズデイ」
毎年恒例となった「どんとソングズデイ」。今年も横浜のサムズアップで開催されました。
一人1000円の参加費で誰でもどんとの歌を歌えるという日です。そして最後に投票して
今年の入賞者、優勝者を選びます。
2年ぶりにぼくはまたゲストで参加しました。そして「夕日は昇る」「かわりにおれは目を閉じてるよ」それからどんとの名曲「波」を歌いました。サムズアップのキッチンで働いているぼくの息子は「ポケットの中」を歌って入賞していました。優勝したのは三つのバンドが合体した大人数グループでした。

今回は「波」や「カーニバル」のような叙情的な歌を歌う人がいなくて、「目が覚めた」のように具体的なメッセージを持った歌を選ぶ人が多かったようです。時代を反映していると思いました。どんとがボ・ガンボスで「ダイナマイトに火をつけろ」を歌っていたころは、まだ空回りしていたような気がするけど、今はばっちり世の中にかみ合っています。

友部正人
1月21日(日)「どんと」
今度の土曜日にAXである「ソウル・オブ・どんと」のために、どんとの歌を一人で練習しました。どんとの命日に合わせたこのイベントにぼくは初めて出ます。今までの「ソウル・オブ・どんと」も見に行ったことはないので、今回とても楽しみです。どんとの歌ははじめはぼやけていたのに、時が経つにつれて輪郭がはっきりしてきて、今はどの歌もとてもすっきりとかっこいいです。芽が出てから収穫まで3年かかるアスパラのようです。今食べごろのどんとの歌ですが、どれを歌うかはちょっと迷います。

友部正人
1月20日(土)「ランニング」
マーガレットズロースの平井くん、岡野くんと横浜のみなとみらい駅で待ち合わせ、ぼくとユミの4人で根岸森林公園まで7キロほど走り、公園で毎週土曜日に開かれているトレーニングに参加しました。ぼくは以前からたまに参加していたのですが、平井くんも岡野くんもユミもはじめて。ニューヨークでぼくの走り仲間だった岡田夫妻も月島から初参加。1000メートル7本のインターバルというきついメニューをこなしました。雪がちらつくほど寒く、ガタガタ震えていたら、ニューヨークはきっともっと寒いのでしょうね、とトレーニングのリーダーに聞かれました。たしかにもっと寒いですが。
ランニングの後はバスで横浜駅まで行き、ストーブスでランチを食べてから解散しました。

友部正人
1月19日(金)「マンダラ2 ヴォセのライブのゲスト」
ヴォセのファーストアルバム「宇宙の法則〜永遠の愛」の発売記念ライブが吉祥寺のマンダラ2であり、ぼくはそのゲストで歌いました。ヴォセはこのアルバムの中で、ぼくの「七月の王様」を取り上げています。ヴォセは3人編成のボサノバ音楽のバンドです。1部ではアルバムからの曲を、2部はまずヴォセが「夜は言葉」と「言葉の森」をボサノバのアレンジで、その後ぼくが加わって「すばらしいさよなら」「朝は詩人」「おやすみ12月」「月の船」「こわれてしまった一日」を一緒に演奏しました。ギターの藤原カオルさん、ピアノの中島徹さん、ボーカルの高田靖子さんの達者な演奏のおかげで、今夜は質の高いライブができました。

友部正人
1月14日(日)「言葉の森で」
2003年3月から不定期で続けているライブシリーズ「言葉の森で」の8回目のゲストはフラワーカンパニーズの鈴木圭介くん。フラワーカンパニーズは17年ぐらい活動しているバンドで、レコーディングされた曲も160曲以上あるようです。ぼくは彼らとは1年前のイベントで初めてしゃべったので、部分的にしか知らないのですが、鈴木圭介くんの書く歌はどれもおもしろいです。
今回の目玉はなんといっても新曲です。「人間をはるか遠くはなれて」(詩:鈴木圭介/曲:友部正人)、「サン・テグジュペリはもういない」(詩:友部正人/曲:鈴木圭介)、の2曲を二人で演奏しました。圭介くんはぼくがつけた曲を気に入ってくれたし、ぼくは圭介くんがつけてくれた曲をすごく気に入りました。ぼくのライブでも歌っていこうと思います。
歌だけではなく、おしゃべりにも闘志を燃やす圭介くんとのおしゃべりは自然で楽しかった。自然に話せたのも、その前に圭介くんがしゃべりのネタをちゃんと用意していたから。しゃべりに夢中になって、ライブが4時間ぐらいになったこともあるそうです。
今日ぼくが歌ったフラワーカンパニーズの曲は、「空想無宿」「どこへ行こうかな」「あったかいコーヒー」「虹の雨上がり」でした。そして「一本道」「愛はぼくのとっておきの色」「ぼくは君を探しに来たんだ」を一緒に歌いました。
「深夜高速」の歌詞みたいに、全開に生きている気持ちのいい人でした。

友部正人
1月12日(金)「甲府 ハーパーズミル」
毎年1月はハーパーズミルでライブをしています。ここはカレー屋さんだけど、マスターの坂田くんはシンガーソングライターで、アコースティック・ギターを作る職人でもあります。最近は楽器屋からも注文がくるそうで、とてもうれしそうでした。
最初に坂田くんが歌いました。あまり歌っていないといいながら、声量があるので驚きました。飛び入りでギターを弾いた河口修二くんは、ギターが何よりも好き、という人で、いつもにこにことギターを弾きます。ぼくのときにも4曲手伝ってもらいました。
1月にハーパーズミルに来るたびに思うのは、1年はあっという間だなあ、ということです。

友部正人
1月10日(水)「リハーサル」
14日の「言葉の森で」コンサートのリハーサルをガンボスタジオでやりました。14日のゲストはフラワーカンパニーズの鈴木圭介くんです。
フラワーカンパニーズは、イベントで一緒に出たときにライブを見て、大好きになりました。圭介くんの声がとてもいいのです。フラワーカンパニーズの歌はほとんど圭介くんが作っています。とても歌いやすいのですが、よく読むと奇妙な歌詞もあって、ぼくはそういうところにひかれたのかもしれません。可能性はいつも意外な顔をしているものだから。

友部正人
1月8日(月)「名古屋 得三」
朝に喉の調子が悪くても、夕方にはだんだん良くなるのが普通なのに、今日はなぜかどんどん悪くなる一方でした。開演時間になっても回復する兆しはなく、仕方なく今日はそのまま歌いました。声の調子の悪いときは、あまり張り上げないようにするのがコツです。あまり張り上げると、破れ目が目立つからです。結局最後まで喉は回復しないままでした。最後に詩の朗読をして、なんとか最後までライブをすることができました。CD売り場でサインをしていたら、「声、大変だったね」とやさしく声をかけてくれるお客さんもいましたが、なぜか無事やり終えたことに満足している自分でした。
ライブ中にユミも声が急にかすれてきたらしく、二人ともたぶん風邪をひいたのでしょう。そういえば和歌山でみぞれが降った夜、ホテルの部屋が寒かったのを思い出しました。あわててエアコンの設定温度を上げたけど手遅れだったみたいです。
というわけで、たくさんのお客さんが聞きに来てくれた得三だったけど、ちょっとさえなかったかな。

友部正人
1月7日(日)「大阪 ロクソドンタ」
ロクソドンタは2年ぶりのライブでした。大阪では長い間単独でライブをしていなかったせいか、今日は大勢の人が聞きに来てくれました。
一部は去年作った新曲ばかりをやりました。2007年最初の大阪ライブなので、まずは新曲を聞いてもらいたかったのです。
二部は今までの曲から思いつくままに歌いました。「フーテンのノリ」「何でもない日には」「Speak Japanese,American」などです。たくさんの人が聞いてくれているにもかかわらず、結局は自分に向けて歌っているのだとこのごろ思います。自分がちゃんと聞けるかどうかなのかもしれません。そんなことを思いながら歌った夜でした。
打ち上げはロクソドンタのメンバーが準備してくれた洋風味噌なべ。ユミのおしゃべりがおもしろくて、ロクソドンタ代表の中立さんは、近所に住んでたまに遊びに来てくれないかなあ、と言っていました。

友部正人
2007年1月6日(土)「田辺 ウツボムーン」
去年の暮れに突然決まった、田辺での5、6年ぶりのライブ。はたしてお客さんが来てくれるのかどうか少し心配しましたが、満員でした。
「ウツボムーン」は中島さん夫妻が始めたばかりの新しいお店です。壁が白木のおしゃれなお店でした。「ちょっと濃いですよ」といわれて飲んだコーヒーがおいしかった。和歌山県の南にある田辺は冬とは思えない暖かさだったのに、ずっと田辺に住んでいる中島さんには寒い日だったようです。これ以上寒いと冬眠します、と言っていました。でも、夜は急に気温が下がって、ライブが終わり、ホテルに戻るときはみぞれが降っていました。
「友部さんのライブは若いお客さんが多いですねえ。」と言われました。いつもだと50代の男性のお客さんが圧倒的に多いのだそうです。

友部正人