友部正人より 
友部さんからのお便りのご紹介です。

12月30日(土)「枯れ葉」

アキ・カウリスマキの「枯れ葉」をユミと横浜のジャック&ベティに見に行きました。
酒飲みの主人公と相手役の女性の時間をかけた愛の物語。お互いが許しあえるまでの時間を
カウリスマキ式の時間のかけかたでゆっくりと物語っていきます。そこがぼくにはたまらなかった。
映像で読む小説のような映画でした。
それから、二人組の女性の歌がすごくよかったな。フィンランドの人気バンド「マウステテュトット」
だそうです。

12月26日(火)「ほかいびと」

今年最後の句会が火星の庭でありました。半年ほどお休みしていたユミも久々に投句。
句会は午後5時から7時までで、そのあとは「ほかいびと」というDVDの上映会でした。
このDVDはぼくが伊那に歌いに行ったときお客さんからいただいたものですが、年末の句会で
みんなで見たらいいだろうな、と思っていました。火星にはいいプロジェクターもあるので。
「ほかいびと」は長岡から伊那に流れてきて、そのまま30年居ついた井上井月という俳人の映画です。
田中泯が井月に扮して、伊那をさまよい俳句を作り、行き倒れのごとく生涯を閉じます。
舞踏家でもある田中泯は井月を演じながら井月を理解しようとつとめ、最後は雪の中で自分のとらえた
井月を舞います。


今回も短期間にいろいろあった仙台ですが、明日いったん横浜に戻ります。
1月は山口洋と二人で仙台といわきでライブがあるのでまたすぐ仙台に戻って来ます。
それからこのホームページの管理人のハナオさん、今年もお世話になりました。どうもありがとう。

12月25日(月)「アジアントライブ」

音響でお世話になっている佐藤ヒロユキさんとユミとぼくで、いつもライブをやらせてもらっている
アジアントライブで静かな忘年会をしました。
来年の1月末にアジアントライブのあるエデンが急になくなることになり、アジアントライブで
飲みたくなったのです。
店長の間瀬くんもすぐにやってきて、彼はアイスコーヒーでぼくたちはワインで、今までのことや
これからのことなどを話しました。ここであったたくさんのこと、まだ見えないこれからのこと。
過去と未来の比重が同じなら、間瀬くんの新しい店にも楽しい日々があるはずだと思いました。

12月24日(日)「人形劇 ポンコレラ」「映画 シェイン」

yumboの工藤夏海さん主宰の人形劇団ポンコレラの公演をユミと見に行きました。
我が家から会場まで徒歩で40分、仙台は歩くのが楽しい街。
観客は子供ばかりかと思っていたらほとんどが大人。人形劇は大人にも楽しい。
でもどういう話かと考えると説明するのがむずかしい。それは動かない人形を動かしているのを
見るものだから。だからバットくんとボールくんが遊んでも、誰かさんと誰かさんが
初日の出を見ても、テレビでなんとかさんが「襟裳岬」を歌っても、
誰かが会場の時計をいたずらしたみたいにあっと言う間に時間が過ぎてしまいました。
帰り道、火星の庭の前野さんと東北大学構内を歩きました。
人形劇を見た後だったので、背の高いメタセコイアの木も一列になって歩き出しそうでした。

夜はポーグズのシェイン・マガウワンのドキュメンタリー映画をユミと見に行きました。

(ユミは、今回この映画のために仙台に来たようなもの、と言っています。)
11月30日に亡くなったシェインを追悼してのたった2日間だけの、しかも12月25日のシェインの
誕生日に合わせての上映でした。ぼくもユミも見逃していた映画なので、チネ・ラヴィータの人、
どうもありがとうと言いたい。
ぼくは、人間であることを歌ったシェインの歌の力を強く感じました。それはどうしようもなく人の心に
飛び込んでくる形のないもの。映画では「air・空気」と呼んでいましたが。その空気を誰よりも早く
自分のものにする、シェインはそれができた人だったのでしょう。
自分の作った歌を誰かが歌っているのを聞いたとき、その歌はアイルランドの伝統になれたんだと思える、
という彼の言葉がずっとぼくの心に残っています。

12月22日(金)「フィリップ・ゲイル」

仙台に演奏に来ていたフィルと我が家でお昼を食べました。昔、彼が吉祥寺にいた頃に知り合って、
ニューヨークの我が家にも遊びにきたことのあるフィルですが、そのころはフィルもニューヨークに
住んでいました。でもどこに住んでいて何をしている人なのか長い間よくわからなかった。
(アコースティックギターで即興音楽をしていることはニューヨークでCDをもらってわかりました。)
昔から日本語がちゃんとしていて、目をつむって話していたらアメリカ人だとは思えない。
今年の4月に宇都宮のライブに来てくれて久しぶりに再会しましたが、フィルは今宇都宮で暮らしています。

12月21日(木)「レコードとCD」

昨夜仙台にやって来ました。仙台は寒波が来ていて朝晩の気温はマイナスです。
今日、火星の庭にぼくの中古レコードとCDを補充しました。レコードが17枚、CDが6枚。
レコードは毎回補充するとすぐになくなってしまいます。CDはなかなかなくなりません。
最近はCDプレーヤーのない人も多いらしいけどね。増えてしまったレコードを減らそうとしてやっていることなので、まあ遊びなんだけど。
もっと言えば、結構ダブって持っているLPとCDを放出しているので、いらないものを出して
いるわけではなくて、ぼくの好きな音楽が多いです。
火星の庭はいろんな人がお茶を飲むブックカフェなので、そこに自分のコーナーがあるのはうれしい。
家でレコードを選ぶとき、こんなのが人の目に触れたらいいだろうな、と考えるのはとても楽しい。

12月16日(土)「名古屋 得三」

今年5回目の得三は、ぼくの今年最後のライブです。なのでこの一年のライブを振り返りながら歌っていくことにしました。
得三5回目とはいっても、ソロは今日が初めてで、あとの4回はいろんな人との企画ライブでした。
歌った歌と場所を書いておこうと思います。

1月1日午後1時高橋さん(盛岡おでってホール) カルバドスのリンゴ(名古屋得三) ポテトサラダ(京都磔磔) 銀座線を探して

(大阪春一番コンサート)  朝は詩人(岩手県西和賀) こわれてしまった一日(大阪ムジカジャポニカ) りんご畑は永遠なのさ(得三) 
水門(山形蔵王温泉) 西の空に日が落ちて(「にんじん」再発売を記念して) 大道芸人(得三) 公園のD51(那覇桜坂劇場) 
少年とライオン(得三) 夕日は昇る(得三) 小さな町で(レテパシ―ズの発売記念ライブで古宮くんが歌ってくれた。)

こんな風に今年のライブをたどりながら、そのライブで歌った歌を一月から1曲ずつ歌っていきました。

「夕日は昇る」では得三店主の森田さんが飛び入りでステージで一緒に歌ってくれました。10月の得三のバレーボールズとの
ライブの一部再現です。
そして1年のしめくくりとして「おやすみ12月」「ブルース」「ぼくは君を探しに来たんだ」を続けて歌って本編はおしまい。
最後の2曲はお客さんも歌ってくれました。アンコールは来年を暗示するように「水上アパート」と「ぼくの宝石」の2曲。

12月9日(土)「yumbo」

yumboのコンサートに行きました。渋谷の7th Floorです。渋谷で澁谷さんがやるんだ、とユミに言ったら、
「そんなのみんな思ってるよ、きっと」と言われました。
東京での単独ライブは5年ぶりというyumbo、小さいエレベーターが1台しかないこともあって長蛇の列。
入場まで30分ぐらい待ちました。

東京で初めて見るyumboのコンサート、満員の客席を前にしても澁谷さんのしゃべりと進行はいつもどおり。
かえって安心してしまいます。ホルンやトランペットの音にかき消されそうな高柳さんの細いボーカル、歌詞を
聞き逃すまいとじっと耳をすます観客。yumboのメンバーのリラックスした感じの割には、客席は緊張していました。
休憩後は菅楽器のゲストプレーヤーが3人加わって、曲のアレンジがより強調されました。
端正な音色のギターやピアノも効果的。歌と曲のアレンジが同時に楽しめるコンサートでした。

家に帰って、ユミとyumboのCDをいろいろ聞き直しました。聞きながら歌詞カードを読んでいると、そこにはyumboの

もう一つの世界があることに気づきました。言葉のyumboです。雪の積もった仙台の街並みのように端正な言葉の世界。
yumboは2度楽しめます。

12月6日(水)「南青山マンダラ」

今日のマンダラはスタッフの5人が食あたりで病欠という危機的な状況でした。
ぼくがマンダラに到着した午後4時の時点では、今夜のライブは中止か延期にするという方向で
お店側の話が進んでいましたが、当日になってからの突然の中止は来てくれたお客さんに悪すぎるし、
「なにより友部は元気なんだからライブできるよ」とユミは言い、ウイルス感染などの危険性はないことだし、
2名の元気なスタッフも「メニューを工夫すればやれますね」とぼくたち4人はやる気まんまん。
お客さんの中には遠くから来てくれた人もいたみたいで、「やってよかった」とぼくも思いました。

先日の吉森信さんとのライブから、アルバム「ブルックリンからの帰り道」に自らハマっていて、

今日もこのアルバムの中から多く歌いました。「見えないゴール」ではお客さんにも手伝ってもらって、
とてもうまくいったと思う。古い歌ですが「西の空に日が落ちて」も最近気に入っていてよく歌います。こういう直接的な歌も、
「銀座線を探して」のようななだらかな歌も、全部自分の歌なんだと思うと不思議な気分。
これからも長く歌っていこうと思います。

今日来られなかったマンダラの津山くんから「ボブ・ディランのウィスキーがあるので、終わったら飲んで」

と言われていたのでライブ中にお客さんに話したら、休憩中にあっという間にソールドアウトしてしまいました。
Heaven's Doorという名前のものすごくおいしいバーボンウィスキー。
お店の人がワンショット分残しておいてくれたので、終了後にぼくも飲むことができました。

今夜のライブは菅野ヘッケルさんと彰子さんも聞きに来てくれていたので、楽屋でボブ・ディランの話を
たくさんしていたこともあり、偶然とはいえ今夜のボブ・ディランのウイスキーはうれしかった。

12月3日(日)「札幌市 くう」

お昼前に北海道文学館の左川ちか展を見に行きました。詩人で翻訳家の左川ちかは余市生まれの北海道の人。
生前はジョイスの翻訳を1冊出しただけで、24歳で病死したそうです。死後に詩集が出ました。3部屋ほどの
展示でしたが、左川ちかの雑誌に載った文章や旅先からのはがきはおもしろく、気が付くともう2時でした。

夜になると急激に気温が下がり、外で開場を待つ人がかわいそうなので、くうの山本さんは早めにドアをオープン。

ぼくは楽屋でコーヒーを飲みながら、山本さんにもらったビル・ラズウェルのCD-Rを聞いていました。
普段ぼくは続けて二日しかライブをしないのですが、ツアー3日目となれば声も荒れて来て、ぼくの調子も初日、
2日目とは違う感じ。いつもの感じが戻るのに少し時間がかかりました。でもこういう時には歌いなれた歌を
歌えばいいのだな。

ホテルに荷物を置いてバイーアの松竹谷清くんに会いに。お客さんはいなくて一人でギターを弾いていました。
ぼくも木下さんもお酒ではなくノンアルのビール。清くんはお茶。そして壁にはアップルパイの張り紙。
清くんの亡くなった奥さんが残したレシピで自分で作っているそうです。次に行くときには絶対にアップルパイ。

12月2日(土)「小樽市 ぐるぐる」

今朝の旭川はマイナス5度、札幌に近づくにつれて気温は上がり、雪も路面から消えていきます。
木下さんの運転するハイエースで移動する3時間の間の変化でした。
北海道の12月は日が暮れるのが早く、小樽にはまだだいぶ雪が残っています。
その雪道でいつものように店主の手塚くんがぼくと木下さんを迎えてくれました。

いつもにも増して盛り上がったライブでしたが、山口保さんが聞きに来てくれていたことは

終わるまで知らなかった。何十年ぶりかの再会でした。
山口さんはサカナクションの山口一郎さんのお父さんで、昔メリーゴーランドという喫茶店を山口さんが
やっていた頃一郎さんはまだ幼稚園でした。山口さんに会って、まだ観光化されない頃の静かな小樽を
思い出しました。その頃からずっと小樽の変化とともに生きて来た人です。

12月1日(金)「旭川市 アーリータイムズ」

野澤さんが亡くなってちょうど1年の、彼のいないアーリータイムズに歌いに行きました。
アーリータイムズはまるでまだ野澤さんがいるみたいで、歌っていても厨房で打ち上げの鍋の準備を
しているのが見えたほどです。でも本当は野澤さんではなくこれからもアーリータイムズを支えていく彼の
仲間たちなのです。

今日の旭川はこの冬一番の寒さだとか。市内はしっかりと雪が積もり、すべらないようにと持って行った靴の上
から履くオーバーシューズが役に立ちました。大雨用にとユミが以前買ってくれたのですが、初めて使いました。

駅前のホテルからタクシーでアーリータイムズまで行って降りる時、手袋をなくしてしまい、一つは雪の中に

落ちていたのを木下さんが見つけてくれたのですが、もう一つは見つからず、ライブ前なのに気持ちがだいぶ
沈んでしまいました。ものをなくすってとてもショックなことです。
そしたらライブ中にタクシーのドライバーが届けてくれた。後部座席のマットの下にあったそうです。
本当にうれしかった。レシートにあった番号に電話してお礼を言いました。
いろいろなことがあったツアーの初日でしたが、その分ライブでは曲をたくさん歌いました。

11月28日(火)「両国門天ホール」

久原大河さんの個展「HALF A MAN」が両国の門天ホールで始まっていて、今日はその会場でピアニストの
吉森信さんとぼくのライブがありました。告知には「吉森信ソロ」となっていてぼくの名前はなかったのですが、
それは25日にレテパシーズとのライブがずっと前から決まっていたからです。レテパシーズとのライブが
終わって翌日からぼくが出演することも告知してもらいました。たった二日間の宣伝だけれどぼくが歌うと知って
来てくれた人もいて、ちょっとほっとしました。
吉森さんとは7年前のアルバム「ブルックリンからの帰り道」の録音でピアノを弾いてもらったとき以来です。
ライブで一緒に演奏するのは初めて。
ライブは前半に吉森さんのソロ、後半にぼくと吉森さんのライブと言う構成で、「ブルックリンからの帰り道」から
7曲と「銀座線を探して」を一緒に演奏しました。吉森さんの曲は日常をピアノに置き換える感じで、それが曲になって
日常から独立していくまでを音で表現しようとしているみたいでした。
久原大河さんとも会うのは2回目で、今年の夏名古屋得三の三宅くんのイベントで初めて会って以来。その時にユミは
得三で個展をしていた久原さんの絵を2枚買って家に飾ってあるのですが、今日はさらにもう一枚買っていました。
どの作品もLPサイズで、正方形の額に入っています。LPのジャケットを見るように絵を眺め、そこに描かれた
ちょっとしたユーモアを楽しむ感じです。いつまで見てても飽きない絵です。

11月26日(日)「本の紹介」

金井雄二さんの新刊本「げんげの花の詩人、菅原克己」を読みました。前半は菅原克己という詩人について、
後半は菅原克己の詩について。菅原克己という詩人がどういう人だったのかということは、詩を読んだだけでは
わかりません。最初にどういう人なのかを読み、それから著者と一緒に菅原克己の詩を読んでいく、
なかなかいい構成です。
17年前に宮城県塩釜市のエスプホールで、ぼくは「詩人菅原克己を歌う」というコンサートをやったことが
ありますが、その時はまだ菅原克己という詩人についてよく知らなかったことがこの本を読んで悔やまれました。
あの時朗読した詩と菅原克己という詩人がこの本でようやく合体した感じです。

月刊誌「望星」12月号の「今月の詩」というページにぼくの書下ろしの詩が載っています。「帰り道の神様」と

いう題です。「望星」は書店の文芸雑誌のところに置いてある場合もあります。

11月25日(土)「僕のレテパシーズ」

音源データは送られてきていたけど、まだ会ったことのなかったバンド「僕のレテパシーズ」の9枚目のアルバム
「RADIO LETEPA」の発売記念ライブで歌いました。見ず知らずの人たちのライブに行って歌うのは初めて。
でもバンドリーダーの古宮くんは18歳のころにぼくの歌と文章に出会って自分も歌うようになり、それで今回
声をかけてくれて歌いに行ったわけです。
ぼくは前半に7曲歌いました。スタンディングのお客さんたちの顔が近い。レテパシーズは40から30歳ぐらいの
5人組のバンドで、お客さんたちも若い。
古宮くんのやわらかい声、切実さのある叫びにぼくは彼の根っからの持ち味である正直さと素直さを感じました。
バンドの演奏にはとても安定感があり、お客さんも演奏に合わせて揺れたり踊ったりしている。
いつのまにか客席とステージが一体になっていて、それが自然な感じでした。
古宮くんの歌詞は個人的で具体的、ある意味とてもフォーク調なんだけど、それとロックが合わさったのが、
日本のロックなんだろうな。
会場でユミが買った2枚のCDを家に帰って二人で聞きました。あとでもう一枚古宮くんがおまけでくれたので
全部で3枚。どの曲も聞きやすくてポップで新鮮でした。

11月に発売になった「鬱の本」(点滅社)にはぼくも古宮くんも文章を寄せていて、その偶然にびっくりしました。

84人の人が鬱について書いたこの本、どこかでみかけたら買って読んでみてください。

11月23日(木)「横浜へ」

金港堂の古本市に行ったり、メディアテークで追い廻し住宅の展示を見たり、20日の句会(ユミの誕生日でした)
も終わり、STEPで新しく買ったランニングシューズの試し履きもしてみて、ということで今日夕方の新幹線で
横浜に戻りました。
風邪はようやく峠を越えたけど、声はまだガラガラです。休日の火星の庭の店内を借りて、ちょっと声を出して
みたりしてライブの準備もしました。

11月18日(土)「砂の国の遠い声」

去年の9月になくなった宮沢章夫さんの戯曲「砂の国の遠い声」の再演をユミと配信で見ました。
今回演出の笠木さんから誘われていたのですが、ニューヨークでひいた咳の風邪がひとつも良くならず、
会場で咳をしてはまずいと思い、配信を買って見ることにしたのです。
1994年の宮沢さんのこの作品、とても宮沢さんらしいセリフが満載です。
前半のコントのような笑いのつながりに引き込まれ、登場人物たちのおかれた状況がいつのまにかわかってきて、
それでもいくつかの謎については、見終わった後延々とユミと語り合うという楽しい夜でした。
若かった時の元気な宮沢さんの世界に触れることができました。

11月17日(金)「仙台へ」

今年は仙台に行く機会がとても少なくて、今日2か月半ぶりぐらいで仙台にやって来ました。
ずっとからっぽだったうちはおだやかで留守中何もなかった様子。
火星の庭で麦のパンを買って、前野さんに「来たよ」と報告。
今回は中古レコード16枚とCD12枚を持ってきました。あっという間に売れてしまいそうです。

ボブディランの「コンプリート武道館」が発売になりました。

全部で8日間の武道館ライブのうち録音された2日間の演奏の完全版です。
以前に出た2枚組オリジナル盤と違うのは、曲の合間のバンドメンバーとのお喋りやメンバー紹介などが
すべて入っていること。ステージのリラックスした様子は、ボブディランの初めての日本公演の固い
イメージを覆しています。けっこう浮かれてたんだなあ。まだ若かったしね。

11月10日(金)「見つからなかったギャラリー」

火星の庭の前野さんからメールで教えてもらった展覧会に、キリコとドミニク夫妻、栄子さん母子と
ぼくとユミとで行きましたが、ずいぶん探したのに会場が見つからなかった。ブルックリンにある
インダストリイ・シティという巨大なモールのような建物群のあちこちを歩き回ったけど、展覧会の情報は
どこにもなし。いろんな人たちに尋ねても誰もが不確かな返事しかしなかったので、諦めてラーメンを
食べてお開きとなりましたが、みんなでうろうろして面白かった。
 
アッパーウエストサイドのホテルに荷物を取りに戻り、ホテルで予約してくれたカーサービスでJFK空港へ。
飛行機の離陸は深夜0時50分の予定でしたが、なんと出発が11日の朝9時に変更、というアナウンスです。
9AMという言葉に耳を疑い何度も聞き直してもやはり朝の9時。機体の整備のためらしいです。
家に帰るかホテルに泊まるか飛行場で夜明かしをするかの選択を迫られ、ぼくとユミは飛行場に残ることにしました。
だけどゲイト近くの待合室は寒く、ユミが空港の職員にブランケットを頼んだら、ラウンジに行けばいいよ、
と言われてすぐに移動。ラウンジにはソファや食べ物や飲み物があるので軽く食事をして、ぼくはビールを飲んで、
ソファでゆっくりと仮眠できました。夜10時に出発したANAは日本時間の12日夕方に羽田に到着。
一台だけ待機していたタクシーで横浜まで。すぐ家に着きましたがやはり長旅は疲れました。

11月9日(木)「韓国料理」

ニューヨークに来たら、なぜか帰る前に32丁目の韓国レストラン街に行きたくなります。
平日の夜なのにものすごい人の数でした。
去年も来たことのある広い店で、ぼくとユミとメグの3人で焼き肉や豆腐チゲを食べました。
かかっている韓国音楽の音量がすごい。韓国料理の辛さに似ている。
順番待ちの人がたくさんいて、食べ終わったらすぐに席を空けなくてはならなかったので、
近くの喫茶店に入り、ゆっくりしゃべりました。
喫茶店を出てマディソンスクエアガーデンの方に行くと、アイスホッケーの試合が終わったばかりの
レンジャーズのユニフォームのファンたちがこっちにどんどん歩いてくる。
夜の街の中はどこも興奮と熱気、風邪をひいているぼくにはちょっとつらい。

11月8日(水)「ホイットニー美術館」

今回のニューヨークではホイットニーの「ヘンリー・テイラー展」に行こうと思っていました。
今日はそのホイットニーにユミと行きました。
ヘンリー・テイラーというロサンゼルスの黒人の絵描きを何かの記事で読むまでぼくは知りませんでしたが、
ロサンゼルスの下町で家族や近隣の人たち、時代の中の出来事などを一貫して描き続けてきた人のようです。
彼の絵には様々な人間、出来事がサーカスのようにのびのびと描かれていて、「この人絵がへただね」と
誰もが思うような描き方で大胆に人間を描いています。親族がブラックパンサー党に係っていて、子供に
ライフルを持たせた絵に、「ぼく、危なくないよ」というタイトルがいいなあ、とユミ。

同じフロアでは、「アンソロジー・オブ・アメリカン・フォーク・ミュージック」で有名なハリー・スミスの

展覧会もやっていて、たまたま遭遇できてラッキーでした。彼の映像作品が中心ですが、強烈な西日の当たる
ハドソン川に面したテラスでは彼の採取したアメリカのフォークミュージックが、干からびた古いデニムの
ような音で流れていました。

今日はそのままソーホーのヨシとマドレインの家に行く予定でしたが、ぼくの咳の出る風邪の具合が悪くなり、

通りにあるLinkNYCからヨシに行けそうもないとお詫びの電話をしました。

11月5日(日)「ニューヨークシティマラソン2023」

今年のニューヨークシティマラソンは気温が13度と割と高め。ずっと黄色のランニングシャツでしたが、今年は
Expoで買った黒いシャツで走りました。今年でリアルマラソンは19回目+バーチャル2回(コロナの2年間)です。
ぼくはあまり戦術は考えないで走るのですが、今年はまず3週間前にお酒をやめて、走りなれたコースも
ただ走るのではなく、コースの部分部分をを順番にこなしていくことにしたら、30キロまで一定のスピードで
走れました。その後足の痛みはあったけど極端に速度が落ちることもなく4時間5分3秒でフィニッシュ。
途中に2回のトイレタイムがなければ4時間切れていたかも。
いつものようにファーストアベニューとセントラルパークでユミや友だちがちょっとしたものを補給してくれて、
腹ペコをなだめつつ走れてありがたかった。
あと、ニューヨークシティマラソンには制限時間がなく、市民がお祭りに参加するような気分で走れます。
厳しい制限時間があってシリアスにならざるを得ない日本のマラソンとはそこが違います。

11月3日(金)「マラソンオープニングセレモニー」

昨日一年ぶりにニューヨークに来ました。今回は深夜のフライトでなんか調子が狂いました。
ANAの羽田⇔JFKの直行便が今後も深夜便だけなら、エアラインの変更も考えなくては。
今日はニューヨークシティマラソンのExpo会場でナンバーカードをもらった後、ユミとセントラルパークの
マラソンオープニングセレモニーに行きました。ニューヨークシティマラソンに参加する百数十か国の
市民ランナーが国ごとに旗を掲げてパレードするイベントで、オリンピックの開会式のようなもの。
民族衣装を着て踊りながらパレードする国もあれば、数人で自国の旗を掲げて歩く人もいる。
イスラエルとパレスチナ、中国と台湾、政治の世界では対立する国の人たちもここでは一律皆ランナーです。
ぼくは参加しませんでしたが、日本は二人の女性が着物を着ていて20人ぐらいで静かに歩いていました。
イランの女性はたった一人、女性の自由を訴えて行進していました。

11月1日(水)「URC関係の記事」

アコースティックギターマガジン(リットーミュージック)12月号にぼくのインタビューが載っています。
インタビューは4ページ。URCフォークの特集です。「大阪へやって来た」と「乾杯」の楽譜もありました。
どちらも語りの曲ですが、ちゃんと譜面になっているのが不思議です。
同じ本の中で、高田漣くんが「中央線の隙間から」という連載でぼくのことを書いてくれています。
「友くんはその若き日を詩に残し、父(高田渡)はネガに残した」、なかなかいい決まり文句ですね。

瀬崎圭二さんの「関西フォークとその時代 声の対抗文化と現代詩」(青弓社)という本にも一章を立てて

ぼくの歌のことが書かれていました。
10月6日に亡くなった片桐ユズルさんのインタビューもあります。
ぼくは片桐さんの亡くなったことを知人からの手紙で今日知りました。片桐さんは1970年ごろにぼくと
関西フォークをつないでくれた大切な人です。

明日からしばらくニューヨークに行ってきます。ニューヨークシティマラソンを走るため。

1年ぶりのニューヨークです。

10月24日(火)「遠藤賢司七回忌公演」

亡くなると時のたつのは早いものです。だけどエンケンの歌と人間はいまでも生々しい。
楽屋ではエンケンの様々なエピソードで盛り上がりました。ぼくが知らないことも多くおもしろい話ばかりでした。
昔エンケンのやっていた「ワルツ」というカレー屋にユミと行ったとき、エンケンが「にんじん」のLPをぼくに見せて、
「これ好きだよ」と言ったことがあります。今日はその中の「一本道」から歌い始めました。あとの2曲は「夕日は昇る」
と「朝は詩人」。前半の出演者はみんなエンケンの歌は歌いませんでした。
後半一人目の大友良英さんはエンケンの使っていたというアンプで即興演奏していました。
佐野史郎さんはバンドで、ぼくも大好きな「ハローグッドバイ」などをやりました。最後まで湿っぽさはなく、
現在を生きるぼくたちにエンケンが自分から参加してきているというコンサートでとても良かった。

10月22日(日)「名古屋市 得三」

得三の店主森田さんが「バレーボールズ」というバンドをやっているのは知っていたけど、ぼくはまだ一度も聞いたことがなかった。
しかもそのバレーボールズがぼくの「夕日は昇る」を歌っていると知って、どうしてもバレーボールズが聞きたくなってしまい、
こうして実現したのが今日のライブです。
バレーボールズは森田さんがボーカルとパーカッション、他にメンバーはドラムス、パーカッション、サックス、ベース、
リードギターが二人という大所帯のファンクバンドです。
前半50分のバレーボールズの演奏はノリノリでした。森田さんがあんなにシャープな動きを見せるなんて想像もできなかった。
最後の曲はジェイムズ・ブラウンの「Cold Sweat」でした。
後半はぼくのソロで始まって、ベースの人と二人で「ジョージア・ジョージア・オン・マイ・マインド」を。
後は全員で「少年とライオン」「ブルース」「一本道」「夕日は昇る」でした。
アンコールは「Bring It On Home To Me」を全員で。その後まだアンコールがあったので、森田さんのリクエストの「空の鰯」を
一人で歌っておしまい。スポーツの後のようなさわやかさが残る楽しいライブでした。

10月21日(土)「浜松市 エスケリータ68」

浜松駅の近くまで、いつものように中村さんと彼の友人が車で迎えに来てくれました。
ぼくとユミを乗せてミュージックフェスティバルでにぎわう通りを郊外の佐鳴湖まで。エスケリータは佐鳴湖の向こう側です。
エスケリータの奥さんはマダムと呼ばれています。そのマダムが書いてくれた今年のチラシのぼくの似顔絵がとても良かった。
クレヨンで描いたのかな。クリアファイルにでもプリントしたらいいかもしれない。
エスケリータのお客さんはいつもノリノリで、歌詞への反応もとてもいい。だからここではいつもいいライブができます。
帰りにエスケリータのベーグルのサンドイッチを二つ買いました。ホテルで食べたけどショウガがきいていておいしかった。

10月14日(土)「那覇市 桜坂劇場ホールB」

ホテルから歩いて行けたので、前から行ってみたかった栄町に行きました。昼間だったので
市場のお惣菜やもほとんどシャッターが下りていたけど、雰囲気はとても好きでした。
洋書を扱う本屋にも通りがかりに入りました。

ソロでは4年ぶりのぼくの那覇ライブ。開演前にお客さんで来てくれたいしかわじゅんさんに話しかけられた。

朝ランニングをしながら与儀公園のD51を見てきました。初めて与儀公園のD51を見たのは復帰直後の1972年。
そのときに作った「公園のD51」を今日は歌うつもりでした。
ホンヨンウンが亡くなったときにニューヨークで作った「悲しみの紙」は、石垣島の池原こうちゃんが亡くなったと
昨日野田さんから聞いたので歌うつもりでした。こうちゃんの死を知って、昨夜はホテルでこうちゃんの
家族の作っている泡盛「白百合」を一人で飲みました。
そんな感じでいろいろ歌いたい歌があって、今日のライブはちょっと長めになりました。
終わって片づけて、野田さんと沖縄在住の古い友だちと3人で、原マスミくんがライブをしている店に行きました。
終わるのを待って一緒に飲もうか、と言っていたのです。
「千ベロ」と呼ばれている深夜の安い飲み屋には若者たちが大勢集まっていて、みんなとてつもなく元気です。
ライブが終わった原くんと稲田さんもしばらくしてそこにやって来て、一緒に泡盛やビールなんかを飲みました。
「千ベロ」だけがいくつも店を開けているシャッターの下りた深夜のアーケード街は、酔いが回れば別の世界に
たどり着けそうなそんな曲がり方の道でした。

10月13日(金)「沖縄市(コザ) ミュージックタウン音市場ホワイエ」

今回の沖縄二日間のツアーを企画してくれた野田さんの車で那覇からコザまで約1時間ぐらいのドライブ。
会場の楽屋に荷物を置くと、リハーサルまでまだ2時間ぐらいあるというので、野田さんお勧めの沖縄市の
戦後の文化資料館「ヒストリート」に行きました。語り部の女性の話を聞きながら資料を見て歩きます。
酒に酔った米兵の車に轢き殺されても米兵は無罪だった復帰前の話、何十台もの米兵の車が焼き討ちされた
ゴザ暴動の話は、ぼくが復帰直後に訪れたゴザの姿に繋がっていきました。
基地のおかげで潤ったコザの街、1週間で1000万円もかせぐ飲み屋もあったそうです。
そして基地の街だからこその珍しい商売も。それはワッペンなどを手作りする刺繡屋さんでした。
現在もまだ刺繡屋さんはあって、米兵がワッペンの注文をしていました。

さて、コザでのライブは久しぶり、音市場の広いロビーが会場です。

お客さんからリクエストがあったので、「ブルックリンからの帰り道」から「マオリの女」などを
歌いました。そのおかげでどんな街でも、今歌いたい歌を歌えばいいと気づかされたぼくです。
ホームページの管理人をやってくれているはなおさん家族も来てくれました。

9月26日(火)「Wakka」

札幌の映画館シアターキノの中島洋さんの久々の短編映画作品「Wakka」の上映会に行きました。
場所は渋谷のユーロライブ。(Wakkaはアイヌ語で水のことだそうです。)
てっぺんに蛇口のある長い水道管をかついで、それを北海道の大地に建てて歩く人。
映像だけが物語る、セリフのない水の話です。
水道管を突き刺しても蛇口からは一滴の水も出ない、と思ったら最後に一滴。この一滴が映画らしいところでした。
普段はキノの事務所にいる中島洋さんの、映画作家であることを思い出させてくれたとてもうれしい作品でした。

9月24日(日)「蔵王遊睦民祭」

ペンションのお風呂は源泉かけ流しで、一人ずつ交代にゆっくり入れます。朝ぼくが入ろうとしたお湯が熱いので水を
じゃんじゃん足していたら水みたいな温度になってしまい、焦りました。しばらく元の温度にはもどらない。
ペンションの人にあやまりました。

さて今日のぼくの出番は午後2時から、メインステージより小さい「自在ステージ」にて。

ぼくの前に浪曲の生演奏があって、浪曲は初めてでしたがおもしろかった。三味線だけを伴奏に語られる江戸のお話は
ブルースそのものです。
ぼくの持ち時間は40分で、タテさんが物販を、村松くんがPAをやってくれました。今日はユミが来られなかったので、
友達が助けてくれます。マヒトくんは一番前で聞いてくれてました。新潟から小森はるかさんも来てくれました。
蔵王温泉の標高は800メートル、日はすでに傾きかけていて空気がどんどん澄んでいく感じがしました。
「ブルース」で締めくくりましたが、アンコールがあってお客さんからのリクエストで、最後に「水門」を歌いました。


楽屋のテントで出演者用の食事をしてから、山形駅までスタッフに送ってもらいました。昨日の山形駅から蔵王温泉までの
山道の日没もきれいだったけど、今日の山形駅までの日没もさらに美しかった。特別な空気と光のシャワーを浴びた感じ。
横浜に戻る新幹線つばさ号ですが、途中で何か動物に衝突したとかで30分ぐらい停車しました。さすが山形。

9月23日(土)「蔵王」

22日~24日の野外イベント「蔵王遊睦民祭」で山形の蔵王温泉にやって来ました。受付でいきなりマヒトゥー・ザ・ピーポーと
会えてうれしい。
宿舎のペンションに荷物を置いてから会場に。到着したのがもう夕方6時を過ぎていたので寒い。夜は9度まで下がるそうです。
メインステージのタートルアイランドのステージ、すごく良かった。声の限りに歌う愛樹くん、全身でリズムを表現する竹舞、
なんともいえないくらいすごいパワーでした。かなり寒くなってきたので、タテタカコさんとPAの村松くんの車に同乗して
宿舎に戻りました。

9月18日(月)「北島敬三展」

横浜のみなとみらい線高島町駅にBankART Stationはあります。横浜の保存建築になっている銀行や日本郵船の倉庫などを
拠点にした芸術活動をしてきたBankART 1929の現在の拠点です。
今日はそのBankART Stationに北島敬三「Untitled Records:Revisited +Portraits」展をユミと見に行きました。
この写真展はPortraitsの部分が新しい展示作品で、メイン会場の写真は去年9月の展覧会と同じ作品です。
主に東日本大震災の被災地の写真と北海道や沖縄の写真、どれも限りなくモノクロに近いカラーの作品で、
動かない写真の中で映像が勝手にモノクロとカラーを繰り返しているような錯覚を覚え、前回見た時より理解が深まった
感じがしました。
BankARTの主宰池田さんが突然倒れてなくなって1年半、BankARTの活動を引き継いできた細淵さんと久しぶりにゆっくり
話しました。彼女のパートナーも交え公の場でのとても個人的な交流。駅の通路のような、アートの通路のような
ギャラリーです。

9月16日(土)「宮沢章夫さん」

1年前の9月12日に65歳でなくなった宮沢章夫さんのお宅にユミと二人で訪問しました。
お家にお邪魔するのは初めて。一年前のお葬式の日はぼくたちは仙台にいたのでお別れに行けなくて、
今日やっと宮沢さんを訪ねることができました。
宮沢さんの妻の千景さんと宮沢さんの妹のこずえさん、遊園地再生事業団の笠木さんがいて、彼の仕事部屋を見せてもらったり、
お茶やコーラで宮沢さんの思い出を話したり、初めて伺った家なのにぼくもユミもすっかり
くつろいでしまい、なんだかんだ4時間もいてしまった。
いつの間にか猫たちもそばに来て、ぼくたちと一緒に宮沢さんを偲んでいました。福福したかわいい猫。
ここに宮沢さんがいたらどんなかな、などと何回も考えてしまいました。

9月10日(日)「伊那 叶屋」

コロナで3回中止になった、4年ぶりの叶屋ライブでした。
中央線の特急あずさを岡谷で飯田線に乗り換えると、景色ががらりと変わります。両側をアルプスで挟まれた
雄大な盆地を3両編成の各駅停車が川のように走ります。
3年間がなかったかのようないつも通りのお出迎え。人間の時間ってなんなのかな、と思います。少なくとも
機械のようなものではない。
今回はいつもより客席数を減らしたので、あっと言う間に予約でいっぱいになったそうです。
歌に集まった人たちの、歌を聞く表情がみんなちがっていておもしろかった。
鮎川誠のファンでもある叶屋の倉田さんからは3KINGSの「りんご畑は永遠なのさ」のリクエストが
ありました。

9月9日(土)「仙台EDEN バンバンバザール」

仙台で毎年この時期に行われる音楽イベント「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」に合わせた、
EDENの中庭で無料でバンバンバザールの音楽を楽しもうという企画です。
ぼくとユミは昼過ぎに横浜に戻る予定だったのですが、夕方6時からの1回目のステージを見てから
帰ることにしました。
バンバンは福島くんと黒川くん以外に、バンジョーやピアノ、トランペットも加わったデラックスな編成で、本番前のリハーサルからすでに楽しそう。
一部の最後のあたりに福島くんに紹介されて、ぼくも「待ちあわせ」と「6月の雨の夜、チルチルミチルは」
で飛び入りすることに。バンバンとのセッションはいつも楽しくて盛り上がるのでこの日の演奏の
仲間に入れてもらってとてもうれしかった。2部も見たかったけど、8時の新幹線で帰りました。

9月4日(月)「ファスビンダーを今日も」

今日のファスビンダー映画は、彼が書いた戯曲をダニエル・シュミットが監督したもの。
ファスビンダーは俳優として出ています。
昨日見たのとはかなり違う雰囲気の作品で、俳優のセリフが芝居がかっていて独りごとか詩の朗読のよう。
なんか入り込めないなあ、と思っていたけど、見終わった後にユミが「セリフを読まなければいいのに」
と言うので、なるほどと思いました。セリフが映画を邪魔していたんだと。
映画を見終わった後もぼくの脳裏で動き回るセリフを話さない俳優たちは、映画という液体の国を泳ぐ
幽霊のようでした。

全国上映の始まっているドキュメンタリー映画「鮎川誠 ロックと家族の絆」が仙台でも9月15日から
始まります。今日チラシを映画館のロビーで見つけました。

9月3日(日)「ファスビンダー」「いずみや酒店」

仙台フォーラムでファスビンダーの「不安は魂を食いつくす」をユミと見ました。1974年の映画ですが、
今とほとんど変わらない偏見と差別の世界が描かれています。
モロッコからドイツに働きに来ているアリと、アリよりもかなり年上のドイツ人女性エミとの恋の話。
二人は結婚するのですが、エミの家族や周囲との軋轢のために、二人とも徐々にくだびれてしまう。
変わっていく二人の様子が丁寧に描かれています。

SPレコードやLPレコードのコレクターとして全国的に知られている仙台の酒屋「いずみや」の佐々木さん、

昔から彼と交流のある板垣さんと一緒にお店を訪ねました。
店のシャッターに描かれたデューク・エリントンなどのジャズミュージシャンの絵を通りがかりに見て、
前から気になってはいたのですが、店主の佐々木さんと会うのは初めてでした。
レコードやSPのある二階の部屋は散らかっているからと見せてもらえなかったのですが、佐々木さんの
いろんなミュージシャンとの交流の話などを聞いて楽しかった。
帰り際、佐々木さんの進める宮城の地酒を試飲させてもらいました。

9月1日(金)「本屋の中の小さなレコード市」

仙台「火星の庭」で、ぼくの聞いていたCDやLPレコードなどを売らせてもらってますが、
今回また少しCDとLPを補充しました。今までに500枚近くのCDやLPがここで売れたそうですが、
家の中のCDやLPは一向に減ったような気がしません。
何か月かに一度の補充ですが、もうしばらくは続けるつもりです。

9月1日(金)「永遠の無垢」

ぼくもたびたび取材を受けたことのある音楽ライターの下村誠のアンソロジー本が発売になりました。
タイトルは「永遠の無垢」。全身で音楽を表現していた下村くんにはぴったりのタイトルです。
下村くんは2006年12月に自宅の火事でなくなったのですが、音楽雑誌などに書かれた記事や、
自身のレーベルから発表したたくさんの歌などをまとめたこのアンソロジーを読むと、音楽と未来に
すべてをささげた人だったんだということがわかります。
彼が日本語に訳したジョン・レノンの「Oh My Love」はこれからも大切にしていこうと思っています。

8月31日(木)「火星の庭句会」

昨夜から仙台に来ています。
走ったぼくにも応援のユミにも北海道の疲れがまだ残ってるけれど、久しぶりの句会です。
いつもなら仙台に着くとひんやりしていて、暑い横浜から東北に来たんだなあと実感するのに、
今年はそれがありません。というか、横浜も札幌も仙台も同じように暑い・・。
しばらく久しぶりの仙台を楽しもうと思います。

8月28日(月)「AOAO」

北海道マラソンの翌日、飛行機の便が夕方だったのでBuddy Buddyの間瀬くんの妻みかこさんに、
札幌のお勧めの場所を聞きました。
狸小路に新しくできたAOAOという水族館はおもしろいよ、ということでユミと行きましたが、
確かにおもしろい。水族館の役割について考える、というようなコンセプトでした。
ハゼのたくさんの仲間やペンギン、極めつけはいくつもの種類のクラゲ。ほとんど動かないのに
目玉だけ生き物のように動いている魚。
水槽は狭くて小さくて、ここで生きているのはつらいだろうなとは思いましたが、そんな魚たちと
一緒に生活していこうとするこの水族館の姿勢がおもしろいと思いました。

8月28日(月)「双葉双一トリビュートアルバム」

双葉双一くんのトリビュートアルバムが2年越しにやっと完成して、今日から宣伝が始まっています。発売日は10月4日。
ぼくも「体は食卓 頭は雲の上」という曲で参加。仙台のスタジオでエンジニアの佐藤ヒロユキさんと録音しました。
全部で17組が参加していて、トリビュートアルバムとはこういうことか、という面白さがあります。
参加アーティスト詳細はコチラ!https://mjr.xii.jp/hesnotthere/

8月27日(日)「北海道マラソン」

今年の暑さは普通ではないので、2週間前からできるだけお酒は飲まないで準備していました。
スタート時の気温は30度、湿度は70パーセントを超えていて、10キロ地点ですでにぼくは諦め気分。
はじめてリタイアを経験するのかな、と思っていたら、急に雲が出てきて涼しい風が。おかげで今年も最後まで
走りきることができました。
途中何回か土砂降りの雨に見舞われ、応援してくれたユミや札幌の仲間たちはずぶぬれでつらかったみたいですが、
ぼくにはうれしい雨でした。
去年から参加しているBuddy Buddyの間瀬くんも完走、5時ごろ集合してBuddy Buddyで打ち上げ、そのあとも
松竹谷清くんの店バイーアでみんなでよく飲んだなあ。

8月24日(木)「アコースティック・ギター・マガジン」

横浜のライブハウス「サムズアップ」で、アコースティック・ギター・マガジンから取材を受けました。
取材の内容は主にソニー・ミュージックからのURC再発について。ぼくは「にんじん」やデビュー当時のことを聞かれました。
最近よく使っているギブソンL140の写真もたくさん撮ってもらい、やはりギターマガジンだな、と思いました。
発売は10月27日です。

8月20日(日)「神戸市 Bo Tambourine Cafe」

元町のBo Tambourine Cafeの15周年記念ライブ。
テーブルを外に出して椅子だけぎっしりと並んだ店内にわくわくした気持ちになります。
歌い出してすぐに雷が2発、土砂降りになるかなと思ったけど、最後まで雨は降りませんでした。
この店で歌うのは4回目です。そのうちの一回はフラワーカンパニーズの鈴木圭介くんと二人で
歌いに来たので、今日は圭介くんと一緒に作った「サン・テグジュペリはもういない」を歌いました。
店主の中原くんのリクエストでアンコールは「地球の一番はげた場所」を歌いましたが、
途中の歌詞を忘れてだいぶ飛ばしてしまいました。

終演後、お店の中原くん夫妻とぼくとユミと4人で、元町のお好み焼き屋に行きました。

お酒のつまみで食べた砂肝がおいしかった。
あと、焼酎を割るさわやかなジュースのようなもの、教えてもらったのに名前を忘れてしまった。
歌とお好み焼きでお祝いの神戸らしい15周年でした。

8月11日(金)「お墓」

ぼくの母や弟の眠るお墓に行きました。秋に納骨する父の名を墓誌に刻むためです。
台風が近づいているというので、早めの墓参に大勢の人たちが来ていました。
まだ午前中だというのに気温は35度を超えていて、火照った墓石にかけようと桶に汲んだ井戸水はぬるく、
墓石もきっとお風呂だと思ったでしょう。

8月10日(木)「名古屋市 得三」

三宅伸治くんの熱い暑いコンサートシリーズの中の一日。
久々にぼくと二人だけのステージでした。「ロックンロール、やってます」からの懐かしい「反復」や、
3KINGSでもやっていた「雨が降る日には」「曇り空」など、そでからふらりと鮎川くんがレスポールを
持って現れるのではないかと思えるような選曲。もとはといえば「ロックンロール、やってます」の中の
曲を3人でやったのが3KINGSの始まりでした。でも今日は二人だけだったので、「レモンティ」や「ユー・メイ・ドリーム」はやりませんでした。

このコンサート期間中、得三では画家の久原大河さんの個展もやっていて、久原さんがライブチラシや

CDのジャケットなどで描いた作品が店内の壁に所狭しと飾られていて、その中の一枚、吾妻光良さんが
通りにだらしなく寝そべっている絵をユミが気に入って買いました。(原画ではなく印刷物なのですが。)
それともう一枚、以前Tシャツの図柄になった3KINGSの絵も。

7月30日(日)「豊橋市 ハウスオブクレージー」

豊橋へはけっこう早く着いたので、昨夜自分の公演帰りにムジカに寄ってくれたナオユキに勧められた
「ラジャ」というカレー屋へ。炎天下を歩き、汗だくになりました。
ラジャの壁にはたくさんのジャズミュージシャンの写真がかかっていて、ナオユキや木村充揮の写真も。
今夜は選曲の迷いもなく、最初から最後まで満足のいくライブができました。
ほぼいっぱいのお客さんのほとんどは男性で、しかもみんな若くない感じでした。

今回の豊橋の収穫は、水上アパートと呼ばれる古い建物。60年以上も前に水路の上に建てられたそうで、

建物も水路のようにカーブを描きながら、どこまでもどこまでも続いています。
いつもライブを聞きに来てくれるヒロミさんのGrottaというお店もこの水上アパートにあり、
ライブの後はイーストオレンジのタカオくんたちと打ち上げをして、近所で買ってきた花火をしました。

7月29日(土)「大阪 ムジカジャポニカ

今回梅田周辺では全然ホテルがとれなくて、ぼくとユミは初めて十三に泊まりました。
十三の駅前から梅田のムジカジャポニカまで乗った個人タクシーはなんか変な感じでした。
トランクや助手席にマーケットの袋のようなものがいくつもあって、車で寝泊りしているのかも。

ムジカの前でフラワーカンパニーズの前川くんにばったり。ぼくに会いに来てくれたそうです。

去年も今年も同じ日にすぐ近くのライブハウスでお互いライブがあって、すぐ近くにいるのに
一緒に演奏できない、なんだかもどかしい気持ちです。
こちらはぼく一人でライブを始めました。ユミにも言われたけど最初のうちはミスが多かった。
選曲に迷いがあったみたいです。でも途中からはバッチリでした。今夜はジョンソンくんや
せい子さんがノリノリで聞いてくれていて、うれしかった。
ムジカのせい子さんのカレーはショウガがきいていてとてもおいしい。歌う直前にカレーを食べて
かなり満腹だったのが迷いの原因かも、でも抵抗できないおいしさです。
今年3月に亡くなったニプリッツのヒロシさんの持ち物だったたくさんのカセットテープから、
ビージーズやブルースマグーズを帰りにもらってきました。

7月24日(月)「鮎川誠~ロックと家族の絆」

1月29日になくなった鮎川誠さんのドキュメンタリー映画の試写をユミと見に行きました。
上映時間は98分だそうですが、身近な存在だった人なので、映画の中に入り込んでしまい、
とっても長く思えました。鮎川さん自身の言葉もたくさん記憶に残っているけど、鮎川さんの3人の娘、
孫の唯ちゃん、思いを言葉にしようとするゲストの人たちのコメント、みんなの言葉がまだ頭から離れません。
ぼくは鮎川くんみたいな人にはなれないけど、こんな映画を見たら鮎川くんのことが忘れられなくなるな。
ぼくは6年ほど鮎川くんと3KINGSというバンドをやりましたが、鮎川くんのギターの隣で一緒に演奏した
ステージでのことはずっと忘れないでしょう。

7月23日(日)「鎌倉市 moln」

コロナの流行で中断していたmolnのライブ、4年ぶりにやっとこの日から再開でした。
molnのライブは歌だけではなく、自分のお気に入りの本をお客さんに紹介することになっています。
ぼくはアイウェイウェイの自伝を紹介して、高階杞一さんの詩「早く家へ帰りたい」を朗読しました。
いつもなら五十嵐くんとayaさんが二人いてにぎやかなのに、ayaさんが夏風邪で欠席のため、
急遽ayaさんのお母さんが五十嵐くんを手伝っていました。
久しぶりのぼくのmolnライブ、ayaさんにも聞いてほしかった。

7月17日(月)「豊田市 橋の下舎」

豊田市のお座敷カルチャーセンター「橋の下舎」で、永山愛樹、0点、ぼくの3組でライブをしました。
この日の豊田市は39.1度、日本一の暑さだったとか。リハーサル中何度もブレーカーが落ちて、
本番はどうなるかと心配でしたが、一台のエアコンと三台の扇風機でブレイカーもなんとかなりました。
でも満員の客席は相当の暑さだったとユミは言っていました。
丸2日間Tシャツのプリントをしていたという愛樹くんは最初はちょっと疲れ気味、でも歌っているうちに
どんどん声が出てきてびっくり。レナード・コーエンの「ハレルヤ」を自分の歌詞で歌ったのだけど、
ぼくは「ハレルヤ」だとすぐにはわからなかった。愛樹くんの吠えるような歌い方と厳粛な原曲のイメージが結びつかなくて、
すっかり愛樹くんの歌になっていました。
井上糧くんとJaajaのゆうにゃんの二人バンド0点は二人の息が合っていておもしろかった。
ユニークなエンターテイナー。
客席は十分に盛り上がっていましたが、こんなに暑いのにお客さん大丈夫かなあ、とユミに言われながら、
ぼくはなんだかんだ1時間ぐらい歌いました。アンコールも何曲か歌い、最後までじっと歌を聞いてくれた人たち、
ありがとう。

7月12日(水)「インターネットラジオ」

「伊藤銀次のPOP FILE RETURNS」というインターネットのラジオ番組に出ました。
URCレコードの作品が6月からソニーミュージックで順番に復刻されていますが、7月26日にはぼくの「にんじん」
が発売されることになりました。このあともどんどん続いていくようです。
コンピレーション第一弾の「戦争と平和」というアルバムは何気にすごい。
当時放送禁止や自粛などの憂き目にあった歌が結構入っています。ぼくの「乾杯」も入っていました。
昔はとても歌詞にやかましかったソニーとは思えない企画です。この勢いで、ソニーから70年代に出したぼくの
3枚のアルバム(いずれも差別用語が使われているという理由で再発されない)もぜひ再発してもらいたいですね。

今日は伊藤銀次とRioさんの二人と、「にんじん」にまつわる話、銀次との出会いの頃や、銀次がプロデュースを

してくれたぼくのアルバム「ポカラ」の頃の話など、くるくるとよく回る糸車のような銀次の話につられて、
ぼくもリラックスして話すことができました。
番組はSpotifyの「Music +Talk」に7月21日と7月28日の2回に分けてアップされます。
トークの部分は無料でも聞けます。

7月10日(月)「かぶとむしくん」

出かけたと思ったユミがすぐに引き返してきて、「外に出られないからなんとかして」と言う。
建物の玄関ドアの表側に正真正銘のかぶとむしがいました。子供の頃クワガタには何度もお目にかかったけど、
かぶとむしはこの年になるまで初めて。近所の森林公園から飛んできたのかもしれない。
ぼくは手でつまんで部屋に持ち帰り、ステンレスのボウルに入れて眺めることにしました。
最初はカシャカシャとしきりにもがいていたのに、しばらくするとおとなしくなった。もしかしたら冷房のせい
かもと思い、ボウルに入れたまま森林公園に行き、太くて古い桜の木の根元にかぶとむしを置いてきました。
カラスにみつからないよう気をつけながら。元気でね、かぶとむしくん。

7月9日(日)「みどりの窓口」

昨日飯田橋のギャラリーに行ったついでに、みどりの窓口に寄りました。
東京のJRの駅にはまだ普通にみどりの窓口が存在している。しかも窓口が二つありました。
横浜のJRの駅からはみどりの窓口が急速になくなっていて、
ぼくの住む中区では桜木町と関内だけ、しかも窓口は一つだけで、どこも長蛇の列です。
一人15分かかるとしたら、1時間に4人、8人並んでいると2時間かかることになります。
飯田橋の駅に普通に窓口の二つあるみどりの窓口があって、しかも並んでいる人もなく、なぜ横浜は
少ないのだろうと腹がたちました。ユミは飯田橋に引っ越そうか、と言ってた。

7月8日(土)「近藤聡乃さん」

近藤聡乃さんの絵には紙の上でじっとしていないやんちゃなところがあります。
今日ユミと飯田橋のミヅマ・アートギャラリーに聡乃さんの個展を見に行ってそう思いました。
展示はコミックエッセイ「ニューヨークで考え中」の中からの原画がメインなのだけど、
小部屋に展示してあった制作中のアニメーション作品の準備の絵がぼくにそう思わせた。
「本当に絵がうまいね」とユミに言ったら、ユミもうなづいています。
ユミはkiyakiyaのアニメーションの絵の大きな画集を買ってました。
久しぶりに聡乃さんと少し話をして、11月にはNYで会いましょう言って帰ってきました。

7月5日(水)「毎日新聞」

6月20日に取材を受けた藤原章生さんの記事が7月7日(金)の毎日新聞夕刊に掲載されます。
プロテストソングを歌い継ぐチリの若者たちと、表向きにはそれがただの流行だったように見える日本の状況との
比較が述べられています。

7月4日(火)「双葉双一トリビュート」

ぼくも参加していて、楽しみにしていた双葉双一トリビュートアルバムがようやく完成間近です。
曲目と演奏者のクレジットを見ずにまっさらな気持ちで音源データを聞いたのですが、とてもおもしろい。

6月24日(土)「西和賀ツキザワの家」

Kudanz佐々木玄くんの「散文と音楽」というシリーズのゲストで岩手県西和賀町の古民家ギャラリー
で歌いました。
会場は写真家の瀬川強さんが何年もかけて再生させた茅葺の古民家で、土間の囲炉裏の炭が
大きな家全体を温かくしていました。
音楽のライブは今回が初めてだそうで、近隣や遠方から家族で聞きに来てくれた人も多かった。
「散文と音楽」というタイトルなので、何か朗読もしなくてはならない。それがこのシリーズの
おもしろいところだと思います。
玄くんのお父さんの佐々木さんは2019年に亡くなりましたが、若いときは玄くんのように歌を歌っていて、
水沢あたりでコンサートの企画もしていました。ぼくも呼ばれて歌いに行ったことがあり、栗林の中で
芋煮も食べました。玄くんはすでに生まれていたのかいなかったのか、その頃から玄くんとの歌のつながりは
あったのかもしれません。 

6月21日(水)「ゴールデン・エイティーズ」

シャンタル・アケルマンの「ゴールデン・エイティーズ」を横浜シネマリンで見ました。
今回のアケルマン特集で見たかった作品をすべて見ることができました。
「ゴールデン・エイティーズ」は恋がテーマの明るいミュージカル映画ですが、歌もいいしセリフも
きちんと書かれていてよかった。アケルマンらしくない映画をもっと残してほしかった。

6月20日(火)「毎日新聞」

チリではビオレッタ・パラやビクトル・ハラの歌が再び若い人たちに歌われているそうです。
そこで日本のフォークの現在についてインタビューを受けました。
7月7日ごろの毎日新聞に掲載されます。

6月19日(月)「youtube 札幌ライブ」

5月28日に札幌であったぼくと大塚まさじと金安彰のライブのセッション4曲が
youtubeで限定公開されています。
https://youtu.be/iNS3OEoLuN0
脳梗塞から立ち直った金安くんのギター、なかなかいいですよ。

6月18日(日)「29年ぶりの待ちあわせ、その2日目」

この2日間で特筆すべきことは、昔の音楽業界の知り合いが何人も来てくれたことです。しかもほとんどが
ぼくと山口くんの共通の知り合いでした。今日は沖縄、北海道からも友人が来てくれたし、自分たちが思っていた以上に今回は特別なライブだったの
かもしれません。山口くんの熱い思いに誘われたのかな。
2日とも演奏した曲目はほぼ同じで、昨日のアンコールの「I Shall Be Released」を今日は「馬車は走る」に
入れ替えたぐらい。曲目が同じでも演奏が違うのがぼくと山口くんのライブです。
個人的には、今日は山口くんが歌う「誰もぼくの絵を描けないだろう」の演奏が特によかったと思います。

6月17日(土)「29年ぶりの待ちあわせ」

1月から延期されていた「29年ぶりの待ちあわせ」ライブ、一日目が無事終了しました。
1994年10月の「待ちあわせ」ではぼくが山口くんにゲストとして来てもらいましたが、今回は
山口くんがぼくをゲストとして呼んでくれました。一月ライブの延期公演なのでスペシャル2daysです。
内容は1994年をほぼ再現する感じで、そのときに共作した3曲も29年ぶりに二人で演奏しましたが、
いい曲だと思いました。
100人を超える満員のお客さんは最初から会場の雰囲気は熱く、何を話しても応えてくれるような感じ。
山口くんのソロとぼくのソロが40分ずつ、後半はアンコールを含めて1時間10分の大盛り上がりの
ライブになりました。

6月11日(日) 「ジュークレコードの時代」「ミディレコードのyoutube」

去年10月30日に閉店した福岡のレコード店「JUKE」のドキュメンタリー番組のお知らせです。
福岡にライブで行ったときは、翌日に必ずジュークに寄ってから帰るのが楽しみでした。
番組にはぼくのインタビューもどこかに使われているはずです。九州、沖縄地方の人はぜひ。
https://rkb.jp/tv/move/


もうひとつお知らせです。
ミディレコード時代のPVがyou tubeで見られるようになりました。
「こわれてしまった一日」(1991)と「月の船」(1996)です。今見ればとても懐かしい。
midiincのチャンネルでぜひ見てください。

6月10日「松竹谷清のライブ」

松竹谷清とチョコレートダンディーズのライブにユミと行きました。去年は行けなかったので
今年はぜひ行きたかった。
ぶっ通しで2時間半以上の素晴らしいライブでした。
最初のうち声がちょっと不安定で練習のしすぎかなと心配しましたが、中盤からみるみるよくなっていった。
後半になるにつれてのりのりになるのは歌うたいの宿命か。
終演後はラカーニャで打ち上げ、もうすぐ誕生日なのでと用意されていたケーキもいただきました。
Veganのための特殊なケーキで不思議なおいしさ。
気分も最高といった清くん、来年のQueの30周年はぜひ二人でやろうよと誘われました。

6月9日(金)「シャンタル・アケルマンの映画、一晩中」

横浜のシネマリンに「一晩中」というシャンタル・アケルマンの1982年の作品をユミと見に行きました。
シャンタル・アケルマンは1950年6月の生まれで、ぼくと同じ年の人ですが2015年になくなっています。
どこかの街の一夜のうちにこれだけいろいろな愛情や執着や別れがあるんだ、という図鑑のような映画でした。
ぼくは好きなタイプの映画でした。図鑑なので物語のように変色して消えていかないのがいいです。

6月8日(木)「比嘉良治写真展」

ニューヨークの友人、ヨシこと比嘉良治さんの写真展が今日から台東区蔵前のiwao galleryで始まり、
ユミと行ってきました。
沖縄を題材にした最近の作品とうって変わり、今回はパンデミック中に滞在していたアリゾナの砂漠の
サボテンの花の写真でした。
単色のイメージのサボテンに咲く花のなんと色鮮やかなこと、今回のヨシの作品にとても感心してしまいました。
蔵前という町はぼくもユミも初めてでしたが、画廊を探していたら、ぼくの「歌を探して」を出してくれた
筑摩書房のビルを見つけました。カフェやレコード屋もあって、良さそうな町です。

5月28日(日)「札幌市 琴似ターミナルプラザ」

元カスイドッグブルースバンドのギターリスト、金安くんと大塚まさじとぼくと3人でライブをしました。
琴似のバスセンターの地下にあるホールです。
ぼくの「どうして旅に出なかったんだ(1976)」は大塚まさじがプロデューサーでスカイドッグが演奏を
してくれたのですが、こうやって3人で演奏するのは43年ぶりのことです。
たくさんの人、なつかしい人たちが聞きに来てくれました。めずらしくシアターキノの中島洋さんも顔を出してくれて、
洋さんが昔やっていた「エルフィンランド」という店でスカイドッグのメンバーと飲んだことを思い出しました。
ぼくは金安くんとは「どうして旅に出なかったんだ」と「いっぱい飲み屋のうた」を一緒にやり、アンコールでは
3人で「シャバダバベイビー」「港のはなし」「男らしいってわかるかい」「プカプカ」をやりました。
3年前に脳梗塞で倒れた金安くんですが、リハビリのかいがあったのかギターを弾くのも不自由ではないようで安心しました。

5月27日(土)「函館 港の庵」

緑の島の入り口にあるフリースペース「港の庵」、今日のライブは元町の中華料理屋さんの前菜つき。
ライブがメインディッシュということなのかも。
ここでライブをするのは3回目ですが、初めて緑の島を歩いてみました。
一周が1キロもない小さな島です。かっこいいボートの泊っているヨットハーバーがあります。
中心のぼんやりとした草地が気持ちよさそうでした。
ライブのお客さんははぼくと同年代から若い人たちまでいろいろで、歌の好きな人たちが学校のような机で
ビールを飲みながら聞いてくれる雰囲気がとても良いライブでした。

5月26日(金)「函館」

一日早く函館に入り、27日の主催者の太田さんと「江戸松」というお寿司屋に行きました。
お店の主人はぼくより少し年上で、トライアスロンをやっているそうです。
お寿司はどれもおいしかったけど、特に鮭に感激しました。
お寿司の後は太田さんのお店「やまじょう」で雨の音を聞きながらレナード・コーエンを聞きました。

5月20日(土)「秩父皆野町 ホンキートンク」

年末になるといつもホンキートンクの鈴木さんから電話がかかる。
今まで数えきれないくらい歌いに来たホンキートンク、毎回不思議なくらい多くの人が
聞きに来てくれます、こんな田舎町に。これは鈴木さんの早くからの準備のおかげかも。
ここ何年か楽屋に置いてあった加川良の遺品のマーチンギター、今日で持ち主が持ち帰るというので、
加川良のギターで最初に2曲古い歌を歌わせてもらいました。マーチンのD28は小柄なぼくが持つと
とても大きく見えるとユミが毎回言います。
前半にまだレコーディングしていない曲をかためて歌い、後半は歌いなれた曲を厳選して歌いました。
今日の曲順は自分的には楽しかった。

打ち上げは、昔はここがライブハウスだったホンキートンクの1階で。

鈴木さんがホンキートンクの昔のライヴビデオを大きな画面で見せてくれたのですが、もはや自分だとは
思えないほど若々しい1985年のぼくにびっくりしたり、みんなで騒いだりしていて夜も遅くなり、
今夜オープニングアクトで歌った斉藤航くんに秩父駅前のホテルまで車で送ってもらいました。

5月19日(金) 「北海道新聞」

先日取材されたぼくのランニングについてのインタビュー記事が北海道新聞デジタルに出てます。
北海道新聞のホームページでだれでも読むことができます。
〈ディープに語ろう 北海道マラソン〉というシリーズのところなので、ぜひ読んでください。
www.hokkaido-np.co.jp

5月15日(月)「火星の庭句会」

月例の火星の庭句会に2か月ぶりに参加しました。主宰の渡辺さんだけいつもたくさん選句します。
この日は13句も選んでいました。主宰の持ってきてくれたお酒が非常においしかった。

ぼくは今回久しぶりに中古レコードを火星の庭に納品しましたが、さっそくデイブ・ヴァン・ロンク

とか売れていてうれしかった。中古CDの補充もしましたので見に行ってください。

5月14日(日)「定禅寺通り西から東へ」

原くんと稲田さんとメディアテークの向かいの「ホルン」で待ち合わせ。昨日のライブに
名古屋から車で来てくれた井上糧くんたちや、大阪の「音凪」の夫妻も来ていました。
「ホルン」名物の2種盛り南インド風カレーを食べてから、「ホルン」と同じ定禅寺通り沿いの
「火星の庭」に移動。定禅寺通りの美しい欅並木を西から東へ1キロぐらい歩きました。
それからうちのすぐそばにある「ボタン」という新刊書店へ。6人でいっぱいの小さなお店です。
「音凪」の二人と別れたあと、原くんたちはぼくたちのうちに来ました。
ユミの作ったパスタサラダで夜の10時ごろまでワインを飲みながらおしゃべり。
でも何をおしゃべりしたのかぼくは全然覚えていません。

5月13日(土)「仙台 アジアントライブ」

原マスミとの仙台ライブ、場所は仙台駅前エデンにあるアジアントライブ。
今まではyumboの澁谷さんが原くんの仙台ライブを企画していたのですが、澁谷さんも
いろいろ忙しくなってきたし、今回はユミが企画担当でぼくと二人のライブをやりました。

原くんとぼくがそれぞれソロで50分ずつやって、その後二人で3曲一緒に演奏するという構成。

買ったばかりのフェンダーのエレキを指で弾きながら歌う原くんは歌も伴奏も自由自在な感じです。
「クライクライベイビー」は未来型の原くんにしてはめずらしく過去を振り返った歌で、
それが新鮮でした。
ぼくは「日暮れの子供たちの手を引いて」「弟の墓」などを歌って、「6月の雨の夜、チルチルミチルは」
で終わりました。ステージの天井から空の鳥かごが下がっていたので。
その後二人で「朝は詩人」「ピアノ」「夕日は昇る」の3曲を。リハーサルではうまくできなくて
心配した「朝は詩人」のハモリの部分、本番では奇跡的にできました。
満員のお客さんからアンコールがありましたが、二人であいさつして終了しました。
ぼくたちと同じくらいお客さんたちも楽しそうな夜でした。

5月7日(日)「神戸 James Blues Land」

「まっちゃんライブ」の316回目、主宰のまっちゃんは毎月のようにコンサートを企画しているそうです。ぼくは初参加。
会場は3KINGSでやったことのある神戸の古い倉庫の3階のJames Blues Land。大きさがまちまちの古いソファが客席です。
昨日は材木の倉庫、今日は中古家具の倉庫、二日続けての倉庫ライブでした。
今日も最初に大塚まさじが歌い後半にぼくが歌って、最後に二人で4曲一緒にやりました。まさじの「天王寺思い出通り」は
ぼくには久しぶりでとても良かった。Jamesで軽く乾杯をして元町のBarに歩いて移動しました。雨が強くなり始めて
タクシーがつかまらない。そのまま雨のピークの11時ごろまでBarにいて、まさじとマリちゃんとユミとで三宮のホテルに
帰ろうとしたけど、タクシーどころか一台の車も走っていません。映画にでもしたいくらいのどしゃぶりの雨の街。
今夜のライブを聞きに来てくれた光玄がアーケードの出口でずぶぬれになって、タクシーをやっと捕まえてくれて感謝感謝。

5月6日(土)「丹波篠山市 材木倉庫ライブ」

この日ユミは実家で用事があって、ぼくだけ篠山に向かいました。今にも雨が降り出しそうな空。材木の倉庫なので
半分野外のような場所が会場です。歌っているステージの後ろを車や人が行きかうのが見えます。
「ここはぼくの町だから」と最初に大塚まさじが50分歌いました。
休憩の後にぼくが50分。その後に大塚まさじと「港のはなし」「シャバダバ・ベイビー」「男らしいってわかるかい」を
演奏して、アンコールは「プカプカ」でした。「港のはなし」と「シャバダバ・ベイビー」はぼくの歌詞ですが、
ぼくはおもにハーモニカを吹きました。
コンサートは雨が本降りになる前に終わってよかった。倉庫の屋根に降る雨の音も聞きたかったけど、その前に終わりました。
主催の小谷さんの奥さんは「ことり」という岩茶茶房をしていて、打ち上げではたくさんの料理とお酒、
そして久しぶりに岩茶を飲めたのがぼくはうれしかった。

5月5日(金)「第三日目」

今日は一番最後のアンコールで少し歌うだけだったので、1時間ぐらい緑地公園内をランニングしました。
そんなに広い公園ではないけれど乗馬場があったり、バーベキューをする広場があったり、水辺にテントを張って
過ごす家族がいたり、高低差もかなりあったりして、一人でランニングを楽しみました。
金森幸介が20年ぶりに春一番に帰って来て、「もう引き返せない」をピアノの澁谷毅さんとやっていました。
「もう引き返さない」ということは来年も出るということ。みんな聞き入っていました。
一番最後はハンバートハンバートで、アンコールでは「春一番」を西岡恭蔵の古い友人たちと歌いました。
ぼくは割り当てられた部分の音程がうまくとれなかった。気にしていませんが。

こうして久しぶりの「春一番」は大盛り上がりのうちに終わりました。

入院中にもかかわらず、毎日会場に車いすでやって来た福岡風太に聞きたかったことは、
来年もまたやるよね、ということでした。

5月4日(木)「第二日目」

ぼくの出演日なので早めに会場入りして、楽屋に行ってみるとぼくの出演順は一番最後になっていました。
ああ、今日はコンサート終了までお酒が飲めないな。
だいたい歌う曲は決めてあったのでのんびりしていたら、ユミのアイデアで「ぼくは君を探しに来たんだ」を
三宅くんのスプーンフルとハンバートの佐藤良成くんとやることになり、急遽リハーサル室でリハーサル。
最後をバンドで盛り上げてスケールを大きくしたのは成功でした。
三宅くんと二人で、鮎川くんをしのんで3KINGSの「りんご畑は永遠なのさ」も。もう三人では歌えないんだなあ。
アンコールの「ブルース」を一人でやって終わりの予定でしたが、嵐くんのリクエストで「一本道」をバンドで。
良成くんのバイオリンの音色が日暮れの空に溶けていきました。

5月3日(水)「春一番 第一日目」

コロナでずっと中断していた「大阪春一番コンサート」が4年ぶりに服部緑地公園音楽堂で開かれました。
ゴールデンウィークで午前中の新幹線の席がとれなかったぼくとユミは、午後4時ごろに会場に到着。
ちょうど大塚まさじが歌っているときでした。
椅子席も芝生席も会場は人でいっぱいで、みんながこの日を楽しみに待っていたのがわかりました。
天気も良くて、最後のアーリータイムズストリングバンドがのどかで良かった。

5月1日(月)「北海道新聞」

北海道新聞の恵本さんから、北海道マラソンのことで取材を受けました。
8月27日の北海道マラソンに向けての連載記事の一つだそうです。
ニューヨーク以外ではこのところ北海道マラソンにも出ていて、今年ぼくは7回目になります。

4月23日(日)「友部正人なんて知らない 2」

ライブの前に、鮎川誠さんやJUKEレコードの松本さんのことでRKB放送の取材を受けました。
松本さんのドキュメンタリーは6月18日に九州沖縄ブロックドキュメンタリー「ムーブ」で放送されるそうです。

2日目の今日は1970年代から1980年代の歌のリクエスト曲です。

いっぱい飲み屋の唄/大阪へやって来た/長崎慕情/一本道/夕暮れ/誰もぼくの絵を描けないだろう/ぼくは海になんてなりたくはない/
はじめぼくはひとりだった/どうして旅に出なかったんだ/シャンソン/遠来/サンディさんの髭の歌/ロックンロール/
6月の雨の夜、チルチルミチルは/顔/古い切符/夕日は昇る//ぼくは君を探しに来たんだ/ブルース
途中ぼくが歌い忘れた「ぼくは君を探しに来たんだ」をライブ終了後にユミが教えてくれて、アンコールで歌いましたが、
みんなも一緒に歌ってくれて、すごく盛り上がりました。
今夜のライブには「ポカラ」の人たち以前にぼくのライブを主催してくれた懐かしい人たちも勢ぞろいしました。
でも一時期ずっと主催してくれたBEAの森くんが2月に病気で亡くなって、会えなかったのが残念です。

4月22日(土)「友部正人なんて知らない」

福岡の「ポカラ」というグループの2日連続の企画で、1日目の今日は1990年以降のリクエスト曲で
構成したライブでした。
主催の「ポカラ」は20年前、福岡の住吉神社の能舞台でのぼくのライブを企画したときに生まれました。
そのときの共演者はバイオリンの武川雅寛さん。
今回の会場は、田中くん、のりちゃん夫妻の古着屋「モノグリム」があったビルの2階のギャラリー。
部屋の響きがけっこうあるので、ボーカルだけマイクで拾い、ギターは生でやりました。
歌った曲のリストです。
大道芸人/こわれてしまった一日/すばらしいさよなら/銀の汽笛/朝は詩人/夜よ、明けるな/月の光/言葉の森/
横顔/朝の電話/悲しみの紙/サンテグジュペリはもういない/老人の時間、若者の時間/マリーナとウーライ/
弟の墓/マオリの女/隣の学校の野球部/一月一日午後一時(高橋さん)//陸前高田のアベマリア/りんご畑は永遠なのさ

4月16日(日)「高知市 Spoon」

今日も矢野絢子さんとのライブでした。今夜は最初に会話形式に相手の歌を引き継ぐように自分の歌を歌う、というのを2曲ずつやりました。
歌と歌が会話をしているみたいでおもしろかった。
それからはそれぞれのソロがあって、本編ラストは矢野さんと一緒に「ブルース」をやり
アンコールは「夕日は昇る」をやりました。

日曜日の高知は日曜市があり、何を買うわけでもなくぶらぶらと歩くのがいいです。

別の通りではクラフト市やフリーマーケットもやっていて、喫茶店や古本屋さん、うなぎを焼いている
お惣菜屋さん、歩いているだけで日が暮れそうな、のんびりしたいい街です。
そんな高知に、去年ニューヨークから帰国して来た友だちもライブを聞きに来てくれました。

4月15日(土)「三豊市 古木里庫」

建築会社の資材置き場のような大きな倉庫の一角に薪ストーブの展示場があって、そこが今夜の
ライブ会場でした。共演は久しぶりの矢野絢子さん。高知の主催者の町田さんと一緒に車でやってきました。
会場のすぐ前が遠浅の海で、水面に空が映るので写真撮影の観光名所になっているそうです。
浜では係りのおじさんたちが、観光客のスマートフォンで写真を撮ってあげていました。パラソルなんかの
小道具もあった。
ライブは最初に矢野さんが1時間歌い、後半にぼくが歌ってアンコールは一緒に「ブルース」をやりました。
会場の社長さんから友部のライブをやりたいと、今夜の主催の湯口さんに話があって実現したそうです。
解体された木造建築の柱など、おもしろそうなものがいっぱいの倉庫は、昔父の勤めていた建築会社の
資材置き場に似ていて、ぼくは中学の頃を思い出してじーんとするものがありました。

4月14日(金)「徳島市 寅家」

空を覆っているのは黄砂だそうです。だけどそれが雨雲に代わり、雨が降り出しました。
ホテルのすぐ裏に中古レコード屋があったので、そこで雨宿り。お腹がすいていたので、
割とすぐに切り上げて、会場の寅家まで歩きました。
寅家の岡本くんは、会うなりまず「今夜はほかのイベントとぶつかってお客さんが少ないかも」
という謝りのことば。「しょうがないね」としか言いようがありません。
何年も前の朝に徳島中央公園を一緒にランニングしたことのある人が、ランナー仲間を大勢連れて
聞きに来てくれました。ライブ終了後には、いつものように寅さん特製のカレーライスを食べました。
パイナップルの甘さがいいです。

4月13日(木)「ロストケア」

森山直太朗くんが主題歌を担当した映画「ロストケア」をユミと見に行きました。
行政から見放された認知症の老人たちを次々と殺した介護士の話。
「殺したのではなく、救ったのだ」という介護士の言葉は、深く胸に突き刺さります。
介護士の父親役の柄本明の演技がものすごくて、圧倒されました。
死は介護士が暴れる父親にあげられる唯一のやさしさだったのかもしれません。
そのうち自分にも死というやさしさが必要になるときが遠からず来るのだろうか、
ということを考えてしまいました。

4月11日(火)「Bob Dylan」

今回のボブ・ディラン日本公演、かなり余韻がきついです。たぶん何日も続くことでしょう。
初めは今回は行かないつもりでいましたが、ソニー・ミュージックの栗原さんからのお誘いで見に行けることに。
アリーナの前のほうのとてもいい席で、ボブ・ディランがよく見えて感激しました。

今回のように生き生きとしたボブ・ディランは初めて見ました。音楽全体が

のびのびとしていて、それがそのまま聞く人の幸せな気持ちに繋がっていく。
コンサートは1時間40分で終わってしまったけど、ぼくの中ではずっと続いています。
この気持ちは、今回の彼の公演を聞いた人ならきっと共通の思いでしょう。
ようやくぼくは生のボブ・ディランに会えた、今はそんな気持ちです。
今回のようにハキハキと歌詞を歌うボブ・ディランは見たことがありません。
過去にニューヨークでも10回ほど彼のコンサートに行きましたが、アメリカ人も何を歌っているのか
よくわからないと言っていた。どこも大きな会場だったので音響のせいもあるのかな。それだけではなく、
すでに観客が知っている歌詞を正確に歌わなくてもいいと思っているかのように、ぼくには
思えました。「rough and rowdy ways」という今回のアルバムはまだ観客のものとはなっていなくて、
どの歌もボブ・ディランの歌としてまっさらです。歌詞がまっさらに飛び込んでくるのは
そのせいなのかなと思いました。とてもうれしい変化でした。
今最も旬なボブ・ディランの歌に出会えて幸せでした。

4月8日(土)「宇都宮 悠日」

2017年に宇都宮でぼくのライブを主催してくれた埴田さんが、6年ぶりに再びぼくを
宇都宮に呼んでくれました。ユミと二人で、「やまびこ」で行きました。
会場も前回と同じ「悠日」で、6年前と同じようにリハーサルの前に手打ちそばを
食べました。ぼくのはブータン風で辛く、ユミは大きなカモ肉の入った温かいつけそば。
小学校の先生をしている伊藤尚毅(なおき)さんが最初に30分歌ってくれました。
しっかりした声で歌うギターのうまい人。アルバムは2枚出しています。
ぼくは「銀座線を探して」から歌い始めました。それから「小鳥谷」。
クロマニヨンズの名前の入ったピックでギターを弾いていたら、
今日ちょうど同じ時間に彼らも宇都宮でコンサートをしていることを思い出しました。
「ブルース」の最後をお客さんが一緒に歌ってくれたり、手拍子をしてくれたり、
今日のライブにはコロナ後の開放感のようなものがありました。
夜の「やまびこ」で日帰りの旅でした。

4月5日(水)「週刊朝日」

3月28日になくなった坂本龍一さんのことで週刊朝日から取材を受けました。
ぼくは彼の短い期間のことしか直接には知らないのですが、
彼がピアノを弾いてくれた「誰もぼくの絵を描けないだろう」という4枚目の
ぼくのアルバムが今でもとても好きなので、そういったことを話しました。
コメントのような形で11日に発売される週刊朝日に載るそうです。

3月26日(日)「リクエスト大会」

久しぶりのリクエスト大会は、ぼくの23枚のオリジナルアルバムから1曲ずつ歌いました。
今までのリクエスト大会では、リクエストが「大阪へやって来た」から「奇跡の果実」あたりまでに
かたまってしまうので、「夢がかなう10月」以降から最近までの曲をなかなか聞いてもらうことが
できませんでした。そこで今回はステージ裏に集められたリクエスト用紙を、アルバムごとに用意した小さな紙袋に
スタッフが入れていって、本番は順番に一枚ずつリクエスト用紙を引いて歌っていくことにしたのです。
この方式はユミのアイデアでした。ユミがたくさん持っていた、洋菓子などの
紙袋が役に立ちました。当然空っぽの袋もあるだろうと予測していたのですが、幸いどの袋にも最低1曲のリクエストがありました。
お客さん98人のうち、リクエストしてくれたのは89人で、ほとんどの人が書いてくれてうれしかった。
歌った順に曲目を上げておきます。

大阪へやって来た (大阪へやって来た)

乾杯 (にんじん)
反復 (また見つけたよ)
おしゃべりなカラス (誰もぼくの絵を描けないだろう)
ユミはねているよ (どうして旅に出なかったんだ/1976)
けらいのひとりもいない王様 (なんでもない日には)
Our Friend Shoko  (POKHARA)
ロックンロール  (CANTE GRANDE)
ふあ先生 (6月の雨の夜、チルチルミチルは)
待ちあわせ (夕日は昇る)
こわれてしまった一日 (ライオンのいる場所)
銀の汽笛 (遠い国の日時計)
奇跡の果実 (奇跡の果実)
ぼくが心に思っていたことは (夢がかなう10月)
月の光 (読みかけの本)
眠り姫 (休みの日)
夜になると (何かを思いつくのを待っている)
ニレはELM (Speak Japanese,American)
わからない言葉で歌ってください (歯車とスモークド・サーモン)
廃品回収業者 (クレーン)
昨日までの明日 (ぼくの田舎)
マオリの女 (ブルックリンからの帰り道)
船長坂 (あの橋を渡る)

 
デビューアルバム「大阪へやって来た」(1972)から「あの橋を渡る」(2020)までの23枚から23曲、
間に休憩をはさみ、3時間半のライブになりました。
最後のリクエスト曲「船長坂」とアンコールの「小鳥谷」は、今日突然来てくれたおおはた雄一くん
と演奏しました。「小鳥谷」はメロディをおおはたくんがつけてくれた新曲です。
一番リクエスト数の多かったアルバムは「どうして旅に出なかったんだ/1976」と「奇跡の果実」のアルバムで
共に12票でした。そして一番リクエストの多かった曲は「朝は詩人」で6票でした。
ステージでは正確に歌えなかったせいか、横浜までの帰り道、頭の中で何度も「夜になると」を
ぼくはつぶやいていました。

3月21日(火)「LDK 拾得」

拾得50周年イベントにLDKで参加しました。今日は立ち見も出る満員でうれしかった。
新曲もさらに1曲増やして、LDKのレパートリーのほぼ全曲を演奏しました。
「言葉がぼくに運んでくるものは」は渕上さんのハーモニーも加わってゴスペルのような
ものになりました。新曲の「未来」では渕上さんがジャンプとダンスで振付をして、
「スカートにしようかと思ったけど、この曲があることを思い出してやめた」とステージで言ってました。
今夜は原マスミくんやタテタカコさんも聞きに来てくれて、打ち上げも楽しかった。

拾得の50年はぼくの50年でもあります。まだ日本にライブハウスのようなものがほとんどない頃から
京都には拾得があって、現在と同じスタイルで営業していました。拾得に行けばテリーさんがいて
PAをしてくれて、拾得でかかっているアメリカの音楽も今とおなじように特別でした。
拾得には長く歌ってきた人たちのいろんな節目が刻まれている太い柱が何本もあります。
その柱のおかげでぼくも歌ってこられたのかもしれません。

3月20日(月)「LDK 得三」

LDKは「ふちがみとふなと」と友部正人の3人のユニット。2009年に「二つの午後」というミニアルバム
を出して以来、時々コンサートをしてきましたが、コロナのパンデミックで3年という長い空白が。
だから得三は久しぶりのライブでした。
2部の始まりにそれぞれのソロが2曲ずつあった以外は全曲LDKとして3人で歌い、演奏しました。
今回は新曲も2曲あり、アンコールでは渕上さんのリクエストで「ラブ・ミー・テンダー」もやりました。
サンパチマイク1本を3人で囲んで歌うコンサートはなんとなく60年代のフォークグループのようです。
LDKとしてできる歌の種類も増えてきています。ニューアルバムも視野に入ってきました。

3月15日(水)「チャールズ清水」

1978年にビクターから発売された当時19歳だったチャールズ清水の「Minor Blues」が、今月
「Minor Blues,Major Dues」というタイトルで2枚組のCDとなって発売されました。
2枚組のDisc 1はオリジナルの「Minor Blues」でDisc 2はチャールズの様々な活動からのライブ音源集。
そこにはぼくのライブ盤「はじめぼくはひとりだった」からチャールズのピアノと二人だけで歌った
「西の空に陽が落ちて」も入っています。
この2枚組アルバムの発売を記念して、横浜の「試聴室その3」でチャールズのソロライブがあり、
チャールズに会いにユミと行ってみました。
チャールズはぼくの1980年のアルバム「なんでもない日には」のサウンドアレンジをしてくれました。
ライブの前にちょっとだけその頃の思い出話。ちょうどその当時のSLYのアルバムが店で流れていました。
ライブは前半がチャールズのソロ、後半は藤井康一とのセッションという構成で、ソロもセッションも
良かった。チャールズのブルースを下敷きにした音楽にぼくはしたたかな魂を感じました。
長い空白の後なので、これからはいつでも聞ける歌手でいてほしいと思います。

3月12日(日)「七尾旅人」

旅人くんの新作アルバム「Long Vayage」のレコーディングメンバーでの発表会。元渋谷公会堂です。
ステージにはアルバムのジャケット写真にあったような帆が真ん中にあって、ステージ全体が
船のような作り。そこにバンドのメンバーがクルーのように立ち演奏しました。
深いリバーブのかかったボーカルは言葉が聞きづらいこともあったけど、バンド全体の音は良く、
「今日はあまりしゃべらないので」と初めに旅人くんがことわったように、淡々とニューアルバムの
曲順で演奏しました。全体の構成は世界と人類の年代記のようです。
象徴的な出来事を歌詞として並べていくやり方は、最近のボブ・ディランの歌のようでもあります。
アンコールで旅人くんがマイクを使わずに生で歌った「ミーファ」、その後、客席にハミングが
自然に生まれたのは奇跡のようでした。とても美しいコンサートでした。

3月10日(金)「句会」

火星の庭句会がありました。ぼくは今年はなかなか北に帰らない白鳥を俳句にしようとしたけどうまくいかなかった。
それに比べて、主宰の渡辺誠一郎さんが選者をしている塩竃市のジュニア俳句コンクールに入選した子供たちの俳句の
素晴らしいこと。俳句が先のとがった凶器のようなものにもなりうる感性があります。俳句だからとまったりしすぎては
いけないなあ、と思いました。

3月7日(火)「建築ダウナーズ」「映画会」

建築ダウナーズは仙台の3人の若者たちの、木材を使って作業をする建築家たちのグループです。彼らが期間限定で
公開している工房を、火星の庭の前野さん、ホルンの夏海さん、ぼくとユミの4人で見学に行きました。
仕事として扱う木材のことをよく知りたくて訪ねた宮城県内の製材業者や、山林の保護に立ち上がったグループなどの
話や映像を展示していました。一本の木がホームセンターなどで売られている建材になるまでの工程が、
実際に製材してもらったりしてその流れもよくわかったそうです。
ぼくは実際に手に持ってみて、欅が杉の倍ぐらい重くしかも堅そうなことに感心しました。そして雑然と置かれた
木材の様子が、ぼくが中学の頃に暮らしていた父の建築会社の社宅の敷地を思い出しました。

夜は我が家で映画会。ぼくのアルバム「ポカラ」でディレクターをしてくれた、及川くんも参加。

みんなで澁谷さんの持ってきたビットリオ・デ・シーカ監督の「ミラノの奇跡」と、去年ユミが国際線の飛行機で
見てよかったという「ラストサムライ」を見ました。「ミラノの奇跡」の後半のまさに奇跡としかいいようのない、
自由な思い切った表現手法に唖然。「自転車泥棒」や「ひまわり」の暗いイメージが吹き飛びました。
「ラストサムライ」は以前ぼくがひとりで見たときには戦闘シーンばかりの印象だったのに、今回改めて見て、
日本の最後の侍たちの無念を描いているんだと思いました。

3月6日(月)「ぼくの中古CD」

火星の庭の「ぼくの中古CD」を12枚補充しました。スティーブ・フォーバートの若いときのライブ音源も2枚ありますが、
聞き直してみるととても懐かしかった。仙台の人にはなじみのないアルバムも多いかと思い、視聴できるように
CDウォークマンも準備してあります。ぜひ利用してください。

3月4日(土)「青森市 もぐらや」

電車で青森へ移動する前に、去年のクリスマスになくなったぼくの父の出身校、弘前工業高校を見に行きました。
設備の整った大きな学校で、県立高校なのに食堂も別棟でありました。

「もぐらや」はうきぐもというバンドの熊谷さんのやっている居酒屋です。熊谷さんの手作りの食べ物がおいしい。

古書「らせん堂」の三浦さんが「もぐらや」を借りてぼくのライブをしてくれるようになって7年がたちます。
コロナの3年間は集客に苦労していましたが、今年は予約も多いのか明るい感じ。客席もなんとなく明るくて、
ぼくも歌うのが楽でした。ここのライブはマイクを一切使わない生音ライブなので、結構緊張します。
東京と青森を行き来しながら暮らしているという能町みね子さんも聞きに来てくれました。横浜と仙台を行き来する
ぼくと同じような暮らし方。

3月3日(金)「弘前市 キープ・ザ・ビート」

去年に続き、今年も弘前のライブハウス「キープ・ザ・ビート」でソロライブ。
建物の1階がキープ・ザ・ビートで、2階が楽屋、3階がアサイラムの斎藤ひろしさんのレコード屋「ジョイ・ポップ」
です。リハーサルの前に30分ぐらいひろしさんのレコード屋へ行きました。弘前へは仙台の家からマーチンD18をもって行きました。
最近よく使っているギブソンL140よりボディが分厚いので、
最初のうち弾きにくい感じでした。でも音の響きはよく、持参したDPAマイクで拾う音もとてもいい。
キープ・ザ・ビートのPAの人も「いい音ですね、DPA」と言ってくれました。
客席が静かなので、休憩時間にお店のご主人に聞いたら、「そんなことないですよ。聞き入っています。」とのこと。
マヒトくんと作った「少年」を一人で歌ってみました。本来はマヒトくんと掛け合いで歌うのですが、今月出る
ユリイカの「マヒトゥー・ザ・ピーポー特集号」の宣伝もかねて。

2月28日(火)「広南病院」

昨日仙台にやってきました。
2年前の5月、仙台滞在中に一過性脳虚血発作で緊急入院以来続いていた通院が今日で終了しました。
MRIの検査は異常ありませんでしたが、でも薬はこれからもずっと飲み続けてね、ということです。
年をとると病気には終わりがありません。でもひとまず安心。

2月25日(土)「自由学園明日館」

ラッキーオールドサンから誘われて、一緒にライブをしました。
浜松のエスケリータ68の後藤さんが去年、こんないいバンドがあるよとお店で曲をかけてくれたので、
名前は知っていたけど本人たちに会うのはコンサート当日の今日が初めて。何年か前にユミと見に行った
「街の上で」という映画にも彼らの歌が使われていたこともyoutubeで知りました。
コンサートはシンプルにそれぞれが1時間ずつ歌うという構成。
ぼくは行き当たりばったりの選曲でしたが、静かな場の雰囲気に合わないような曲のときにはユミはちょっと
心配したそうです。事前にアンコールの打ち合わせもなかったので、ぼくが「ぼくはきみを探しに来たんだ」
を歌い、コンサートは終了しました。
年齢差が40歳という若い人たちとのコンサートはそんなにないことなのですが、お互いの曲に向き合った
とてもいい内容だったと思いました。「またやりましょう」と言ってもらってうれしかった。
次回は一緒に歌いたいな。

彼らと別れた後、せっかく池袋にいるので知り合いの瀬戸さんのやっている「往来座」に寄って、絵描きの

武藤さんもいたので、四人でちょっと飲みに行ってから横浜に帰りました。

2月23日(木)「磔磔」

22日にふちがみさんたちに手伝ってもらって作ったポテトサラダは、この日のライブのお客さんに出すためのもの。
ライブのタイトルは「ポテトサラダを食べに来ませんか」。なんと予想を上回る大勢の人たちが食べに来てくれました。
たぶん100人ぐらいで一人100グラムぐらいになったと思います。酢と少しのマヨネーズ以外の調味料は使っていない薄味のポテトサラダはどうだったでしょうか。
ポテトサラダは1部と2部の間の休憩時間に出すことになっていたので、1部の歌はまず前菜というところ。
歌を食べるみたいに聞いてくれました。
休憩時間にはポテトサラダが配られ、渕上さん宅での画像や磔磔の調理場で盛り付けをしている映像が流されました。

もとはといえば去年9月のぼくの磔磔ライブの打ち上げで、「ポテトサラダ」というぼくの歌の反応がよかったので、

「いっそライブで友部の作ったポテトサラダをお客さんに食べてもらったら」、というユミの提案で実現しました。
思いついたことは実現するのが最高におもしろいこと。誰かのちょっとした言葉が、みんなが楽しめる素敵な場を
生み出すということがわかったし、磔磔のスタッフも宣伝のyoutubeを作ってくれたりと、全面的に協力してくれて
うれしかった。イベンターのグリーンズ鏡さんもノリノリでした。こんな盛り上がることはめったにないと思います。

2月22日(水)「ポテトサラダ」

ふちがみとふなとの二人が住む部屋の台所を借りて、お昼から23日のポテトサラダの準備。
メリーゴーランドの鈴木潤さんも手伝いに駆けつけてくれた。
ポテトサラダのジャガイモは、横浜の八百屋で北海道の今金のじゃがいもを10キロ買って、ふちがみさんたちの
アパートに前もって郵送ましたが、今金のジャガイモは一個がとても重いので10キロでLサイズ70個でした。
ふちがみさんが大きな鍋を友だちから借りて準備してくれて、それ以外にじゃがいもが8個入る小さめの鍋を二つ。
ジャガイモをゆっくりと皮ごと茹で、ニンジンや卵を茹でたりして、玉ねぎ、キュウリを薄切りに。
船戸くんが入れてくれたおいしいコーヒーを飲んでいると、ポテトサラダ運搬役のホホホ座の山下くんも到着。
山下くんはそのまま本屋に戻りましたが、あとの5人で白ワイン、ピザ、ステーキなどでだらだらとお疲れ様をしました。
ここ数か月、ぼくの心の中での心配事がみんなのおかげで一挙に完成した感じがしてとてもうれしかった。

2月21日(火)「今日から京都」 

23日の磔磔ライブに合わせて今日からユミと京都にやって来ました。夕方に着いてふちがみとふなとと、
西院のスタジオで3時間リハーサルをしました。
スタジオ近くのイタリア料理のお店で上等な晩御飯。船戸くん、ごちそうさまでした。

2月10日(金)「得三」

名古屋の得三でリクオの3日にわたるイベントがあって、その2日目にぼくと山崎まさよしくんが参加。
入れ替わりでソロで歌ったり、3人でセッションしたりの楽しい夜でした。
リクオが一人で歌った「You May Dream」、鮎川誠へのオマージュです。それでは、とぼくも「一本道」を。
これは3KINGSの定番曲でした。3KINGSは鮎川誠、三宅伸治、友部正人の3人のユニットで、鮎川くんは
「一本道」ではいつも4番を歌っていました。
今夜のライブには宿題があって、それはフィッシュマンズの「いかれたBaby」を歌えるようにしておくこと。
そしてちゃんとギターを弾けるようにすること。
山崎くんはこの「いかれたBaby」をずっと前から歌っていて、歌うたびに毎回涙がこぼれるそうです。
アンコールの「月の光」では山崎くんのパンデイロのおかげでサンバっぽさが出ました。
ぼくたちも楽しかったけど、一番楽しんでいたのはリクオかもしれません。

2月7日(火)「たまたま入ったレコード屋で・・・」

たまたま入ったレコード屋で、Lou Reedの1975年発売の2枚組アルバム「Metal Machine Music」を
見つけました。一続きの電気サウンドを16:01ずつ4分割しているアルバム。トイレットペーパーを4つに
ちぎった感じ。

2月5日(日)「共同通信」

鮎川誠さんのお葬式があった4日、共同通信社からの依頼で鮎川さんへの追悼の記事を書きました。
共同通信の記事は全国の新聞社に配信されているので、もしかしたらこの日記を読んでいる人の住む
地域でも読めるかもしれません。どの地方紙に載るかはわからないのですが、もし見つけたら
読んでみてください。

1月29日(日)「鮎川誠さん」「パスカルズ」

鮎川くんがなくなったと電話で三宅伸治くんから連絡がありました。お正月の大阪のライブをキャンセルしたあとの
鮎川くんのことは心配でしょうがなかったけど、具体的なことはわからないまま、死の報告はぼくとユミにはかなりの
衝撃でした。「心配かけたくない」と誰にも知らせなかったそうですが、5年間の3KINGSの舞台上でずっとぼくの横で
鮎川くんを見ていられて今思えば幸せでした。そんな風にみんなを幸せにする人だったような気がしています。

 
伊勢真一監督の新しいドキュメンタリー映画「パスカルズ/しあわせのようなもの」のお披露目上映会が日比谷図書館で
ありました。毎年のように新作を発表している伊勢監督、だけど音楽ものは初めてなのでは。
主だった映像は2022年春の、パスカルズのチェロ奏者三木黄太さんをしのぶコンサートから。パスカルズの14人の
メンバーを通して三木さんを知らない人にも三木さんの人柄が伝わる内容になっていてよかった。
上映を見に来ていた約半分のパスカルズのメンバーが舞台挨拶として2曲演奏しました。映像の後に生で彼らの
演奏が聞けたのは生々しくてよかった。伊勢監督の新しい分野への挑戦です。

1月21日(土)「LIVE! no media 2006」

仙台の書店「ボタン」で宮沢章夫さんの本の話をしていたら、宮沢さんが自分のエッセイを朗読をしている
「LIVE! no media 2006」をユミが思い出して、「ボタン」の薄田くんと佐藤ジュンコさんを誘って「うちで
そのDVDを見ようよ」ということになりました。
久しぶりの「LIVE! no media 2006 草原編」はとてもおもしろかった。場所は横浜の今はなきBankART NYK。
みなとみらいの海に面した倉庫です。
宮沢さんは「演劇界から代表でやってまいりました」と挨拶をして、『牛への道』から「スポーツドリンク」という
エッセイを朗読しています。内容を知っているのに笑ってしまう。ああ、来てもらってよかったなと思いました。
銀杏BOYZの峯田くんの即興朗読、女性でただ一人の参加者、ぱくきょんみさんのおだやかな朗読、遠藤ミチロウの
毅然とした言葉と声、谷川俊太郎さんの堂々たる「詩人の墓」、その谷川さんに向けて読まれた田口犬男さんの自作詩。
ああ、なつかしい。本当にこのイベントをやって良かった。そしてDVDとして残しておいて良かった。
他にも平井正也、知久寿焼、石川浩司、オグラ、尾上文、そしてぼくという朗読者たち、そして5時間もの長い朗読会を
楽しんでくれた400人のお客さん。そのうちどこかでこのDVDの上映会もありえるなと思いました。

1月19日(木)「映画会」

ホルンの澁谷さん、火星の庭の前野さんと一緒に4人で映画会をしました。
澁谷さんは山田洋次監督の「息子」を「絶対にこれはおもしろい」と言って、まずこれから上映。
父親の三国連太郎と二人の息子たちの3人家族、父親を東京に引き取ろうとする長男、下町の工場で働く
聾唖の女性に恋する独身の次男、「家で一人で死んで、2、3日発見されなくてもかまわない」と頑固に
田舎暮らしを選択する父親は、自分の思い出とともにこれからも生きていく。
もう一本は横浜から持ってきた「日の名残り」というカズオ・イシグロ原作の、イギリス貴族の執事を
主人公にしたお話。執事を主人公にしたことで時代や恋愛の語られない部分が浮き彫りになって、映画を
見終わってもこの物語は心の中で続きます。まるで執事を真ん中にした世界地図を見るようです。

1月18日(水)「原画」

きのう発売になった直太朗くんの「原画1、2」を部屋でユミと聞きました。
CDが入っているノートブックにはボールペンで書かれた手書きの歌詞。それからイラストも。
一人旅に出た青年が部屋に残した書置きのようです。歌もまたそうでした。

午後は仙台駅前のビルでやっているレコード市にいきました。これもまた楽しい時間。

買いすぎないようにと悩む時間。

1月17日(火)「森山直太朗」

仙台の旭丘駅にある日立ホールに、直太朗くんのソロを聞きにユミと二人で行きました。
一つ手前の台原駅で降りて公園の中を1キロぐらい徒歩で会場に。
ぼくはこの辺りまでランニングで走りに来ることがあります。
開演前に楽屋をたずねたら、直太朗くんも朝仙台の街をランニングをしたそうです。
相変わらず走っているんだね、そういえばがっしりとした足。


ステージには何本ものアコースティックギターが音もたてずに並び、自分の部屋に帰って来たように
直太朗くんが登場して、暗い中でコンサートは始まりました。
どの歌もゆっくりと歌われ、旅に疲れた蝶が蘇生していくかのよう。
グランドピアノでの演奏は林の中の散歩のように一歩一歩考え事をしながら。
そうやって今で聞いたことのある歌が、好きだったいくつもの歌が、直太朗くんの手の中でささやき、
言葉となってほとばしり出るのでした。

1月16日(月)「盛岡で句会」

昨日のコンサートに来てくれた仙台の「火星の庭句会」のメンバーで、「紅茶の店しゅん」の2階を借りて
句会をしました。主宰の渡辺誠一郎さんもコンサートに来てくれるということで、いつもの月例句会を
盛岡ですることになったのです。みんなホテルに泊まってやる気満々でした。

句会の後はみんなでクラムボンに行きました。たまたま盛岡在住の小説家の木村紅美さんがコーヒーを飲んでいて、

火星の庭の前野さんがぼくたちに木村さんを紹介してくれました。昨日のコンサートにも来てくれたそうです。
(ユミは木村さんの本を読んだことがあり、作家との思わぬ出会いに驚いていました。)
そのまま紅美さんもまた腰を下ろしてぼくたちの会話に入り、なんとなく気が合ってクラムボンの近くの
Book Nerdという本屋さんに案内してもらいました。洋書もいろいろあって、LPレコードを小さくかけている
楽しい異空間でした。
前野さんが紹介したい店があるというので、ユミと3人でシルクスクリーンの店「6Jumbopins」に行きました。
ちょうど店を閉めたばかりの店主がぼくたちのためにまた開けてくれて、記念撮影をしてお菓子パンをくれました。
盛岡は小さなお店が街の魅力になっていて、どこへも歩いて行けるのがいいですね。仙台から近いし、
また来なくてはと思いました。

1月15日(日)「クラムボンがわらったよ」

仙台から昼前の新幹線でユミと盛岡に向かいました。会場のおでってプラザではちょうど佐藤さんが
機材の搬入をしていて、すぐにおおはた雄一くんもやってきて、楽屋でリンゴを食べながら新曲の練習。
ぼくが書いた歌詞におおはたくんがメロディを付けた「小鳥谷」という歌です。
コンサートは5時半からで、ぼくがソロで6曲歌い、その後おおはたくんがソロで40分ぐらい歌いました。
休憩ははさまずにそのまま後半に突入。「あの橋を渡る」の中から4曲と「こわれてしまった一日」を
二人でやって、その後新曲の「小鳥谷」を歌いました。
最後は「あの橋・・・」から「ブルース」、このときめずらしくぼくのギターの弦が切れて、
弦を代える間おおはたくんに歌ってもらって、そのままアンコールに。「火のそばに」「水門」を一緒に
演奏して8時きっかりに終演。
 
何か月も前からコンサートの準備をしてくれた盛岡の米山さんを筆頭に、盛岡や仙台の友人たちが
いろんな人たちに声をかけてくれたおかげで、なんと当日はほぼ満席になりました。
コンサートを楽しみにしていてくれた人、手伝ってくれた人、クラムボンの高橋さん母娘、そして米山さん、
どうもありがとうございました。

1月13日(金)「仙台」

一か月ぶりに昨日の夜、仙台にやって来ました。寒くはなく横浜とほぼ同じような気温です。
今日はPAの佐藤ヒロユキさんに盛岡のコンサートで使うギターを託しました。
佐藤さんはぼくたちより1日早く盛岡入りするので、機材を積んだ車にぼくのギターもついでに
運んでもらうことにしたのです。
クラムボンの高橋さんがなくなり、盛岡でライブをしなくなってもう5年になります。
このままではだめだと思い「おでってホール」という小ホールを借りて、おおはた雄一くんをゲストに
盛岡でライブをしようと決心しました。準備期間が長かったので、当日が近づくにつれ終わったような
気分もしています。

1月8日(日)「山口くん」

サムズアップと山口くんとぼくの空き日を調整すると最速で6月だったので振り替えライブは6月になりましたが、
お詫びのしるしとして6月は2Daysやります。
ワクチン接種を3回していてもコロナになった山口くんの症状はだいぶきついようで、この日もベッドから
出られないというメールがきました。
まだコロナにかかったことのないぼくとユミは、山口くんからのメールを読んで、絶対にコロナにはかかりたくないね、
と思うのでした。

大阪からの帰りの新幹線で、1994年に山口くんとやった「待ちあわせ」コンサートの音源を聞いてました。
二人で作った曲が3曲あって、今回はそれを再現する予定だったのだけれど、6月に延期になったので練習する時間が
たっぷりできました。

1月5日(木)「山口洋」

夜、山口くんからユミに「コロナにかかった」と電話がありました。
11日までは自主隔離ということで、9日のサムズアップのぼくとのライブは延期することに。
この後夜中まで、山口くん、サムズアップの佐布さん、ユミの三人の緊急のやり取りが延々と続くことになりました。

1月4日(水)「有山じゅんじ」

この日70歳になった有山じゅんじの古稀を祝うライブが大阪のライブハウスBIG CATでありました。
プロデュースしたのは三宅伸治。
ぼくと金森幸介と三宅くんでお祝いのライブをするのかなと思っていたら、木村充揮、上田正樹、近藤房之介
というシークレットゲストも。
ぼくは有山くんと作った「いつかあの娘がもどって来たら」「涙」の2曲とぼくの「夜は言葉」を有山くんと
二人で演奏して、アンコールは幸介、有山、三宅、ぼくの4人で「悲しい日々」「一本道」「Baby,おまえが好きだよ」
をやりました。その後上田正樹が有山くんのギターで何曲か。すっかり酔っぱらいの様子の有山くんだけど、
ギターはしっかりしているのが印象的。
ぼくにしてはめずらしいお正月のライブでしたが、参加できて良かった。

1月1日(日)「新春の富士」

息子の一穂は妻のひかりさんと平塚に住んでいて、ユミと平塚まで二人に会いに行きました。
お正月には毎年みんなで会って平塚八幡宮に初詣をするのですが、今年は喪中ということもあるし、
一穂のアイデアで4人でランニングをすることに。
郊外の金目川沿いを、富士山を見ながらの30分ほどランです。平塚まで行くと富士山があんなに大きく見える
ことは知らなかったな。快晴の青空につられて富士山がそばまでやって来たみたいでした。
こんな元旦の過ごし方は最高です。