友部正人より 
友部さんからのお便りのご紹介です。

3月24日(日)「七尾旅人くん」

石巻に泊まった旅人くんたちが、仙台のぼくとユミのアパートに朝ご飯を食べに来ました。
野菜や卵とパンとコーヒーの朝ご飯。ユミの自家製ジャムやピーナッツバターにはみんな感心していました。
うちのそばにある小さな書店「ボタン」や古本ブックカフェ「火星の庭」にみんなで行って、そのまま
旅人くんたちは午後の新幹線で東京に帰りました。ぼくとユミは明日横浜に戻ります。

3月23日(土)「汽水域の旅友」

アーティストの瀬尾夏美さん、小森はるかさん主催の音楽イベントが北上川下流の汽水域のほとりでありました。
あいにくの雨で会場は予定していた青島テラスから近所の熊谷産業の倉庫に変更。北上川河口のこのあたりは
どこでも美しいヨシ原が見られます。

火星の庭の前野さんに仙台から車に乗せてもらったぼくたちは、まず会場の対岸にある今は遺構となっている

大川小学校を見に行きました。建物のすべてと敷地全体が残されていて、あれから13年がたったとは思えない
生々しさです。校庭の裏の丘の斜面にあった「津波の到達地点」という標識は、振り返ってみると校舎の屋根
よりも高いところにありました。時間がたっても過去とはならない現実がここにありました。

コンサートは瀬尾夏美さんの詩の朗読から始まって、磯崎未菜さんの歌、七尾旅人くんとぼくの1時間ずつの

ライブという構成で、雨と寒さにもめげないお客さんがたくさん集まってとてもふくよかなイベントでした。
たぶんそれはしろうとの人たちの手による熱意のみに支えられたコンサートだったからだと思います。

3月22日(金)「図書館」

仙台市の図書館カードの期限が切れていたので、メディアテークにある市民図書館に更新に行きました。
ぼくもユミも仙台市の住民ではないので更新には仙台市の住所を証明する郵便物などが必要です。
あいにくぼく宛のがなかったけれどユミ宛のはがきがあったので、まずユミが自分のカードの更新手続きをして、
その続きで夫婦の証明をしてぼくのカードも更新してもらえました。ユミのネゴシエイト能力はたいしたものです。
その後ホルンに寄ると澁谷さんがいて、「どですかでん」の影響のあるような夢を見たと言っていました。
ぼくもずっとこの映画の夢を起きていても見ているような気がします。

3月21日(木)「どですかでん」

火星の庭でホルンの澁谷さんや夏海さんたちと黒沢明の「どですかでん」を見ました。
ユミのお母さんが以前BSで放映されたものをDVD-Rに焼いてくれたもので、ぼくたちがその内容を
しつこく話すものだから、珍しく火星の庭の健一さんも発送の仕事を中断して上映会に参加しました。
見終わってからはずっと映画の話になり、今夜は一本だけの上映になりました。
(ちなみにユミのお母さんの映画コレクションは1000枚以上あり、ぼくとユミはまだまだ見終わりません。)

3月18日(月)「句会」

このところ順調に月例の句会が続いています。句会の直前になってあわてて俳句を考えていたけど、
最近はツアーのときなどに新幹線の窓から外を見ながら、思いついたら書き留めるようになりました。

3月17日(日)「盛岡市 クラムボン」

「クラムボンの日曜日」というタイトルがいいと店主の高橋真菜さんが言っていました。
日曜日ということでライブは午後3時から。せっかくの日曜日なのに開演時間から雨になりました。
クラムボンでライブをしていたのは真菜さんのお父さんの正明さんがまだ生きていた頃で、
正明さんがなくなって長い間途切れていましたが、今回初めて真菜さんが引き受けてくれました。
うえむられいさんがせっかくチラシを作ってくれたのに、告知してすぐ売り切れてしまったそうです。
楽しみにしていたのはぼくだけではなかったんだな。

3月16日(土)「青森市 もぐらや」

もぐらやは店内の様子がだいぶ変わっていました。ステージが取り払われてすっきりした感じ。
音の響きがいいとぼくが言ったことを覚えていて、改装したらどうなるか心配だったそうですが、
響きは変わっていません。
今回のもぐらやは初めて来るお客さんが多かったと主催の三浦さんもうれしそうでした。
三浦さんのやっている古本屋らせん堂では掘り出し物の詩集を買いました。

3月15日(金)「弘前れんが倉庫美術館」

アサイラムのヒロシさんの提案で、今年の弘前は初めて美術館でのコンサートでした。
まだ新しくて気持ちのいい会場、音響も美術館の方がやってくれました。
美術館で作ってくれた素敵なチラシが美術館のお客さんにも目がとまり、どんな歌か知らないで
聞きに来てくれた人もいるそうです。聞いてどうだったのかな。
ライブの前にヒロシさんのやっている中古レコード屋にも行きました。値段の安いCDをついつい
たくさん買ってしまいそう。

3月10日(日)「湯田温泉 ラグタイム」

加古川からユミは横浜に戻り、ぼくは一人で山口へ。新山口から在来線で湯田温泉まで。湯田温泉駅には
ICカードの読み取り機はあるけど駅員はいなかった。

ラグタイムは現在は喫茶店としての営業はやめているそうです。ライブのあるときだけ営業しているのかな。

ラグタイムには5,6年歌いに来ていなかったので、どれだけの人が聞きに来てくれるのかわからなかったけど、
久しぶりに山口まで行きたくなってぼくからお願いしたライブでした。
たくさんの人が来てくれて、本当によかった。「船長坂」のさびの部分を、みんなが自然にコーラスして
くれたのが新鮮でした。歌を聞く人は歌の楽しみ方をぼくに教えてくれます。
ライブをすると、いつもこれからのためのヒントが見つかるのがおもしろいと思います。

3月9日(土)「加古川 チャッツワース」

小雪まじりの小雨の京都、寺町の蕎麦屋で偶然井上迅(扉野良人)さんと遭遇。迅くんは以前ぼくの画集
「記憶の裏庭」という画集の編集してもらったこともある徳正寺のお坊さんで、これからお経をあげに行く
ところでした。この永正亭という蕎麦屋さん、以前谷川俊太郎さんと来たことがあります。ユミが谷川さんに
刻みそばを勧めたら、とてもおいしいとよろこんでいました。ユミはいつもこの刻みそば、そしてぼくはいつも
けいらんそばです。

チャッツワースは2年ぶり。岸本さん夫妻はとても元気で、さっそくおいしい紅茶とケーキをいただきました。

前回よりもたくさんのお客さんで、今日は「小さな町で」という歌からライブを始めました。
毎回何から始めようかな、と考えるのが楽しみ。加古川の町の雰囲気で決めました。
終演後は親しい人たちと打ち上げがありました。玉田夫妻も詩人の大西さんも古い知り合いです。
みんな年をとって記憶もあいまいで、それぞれがわかっている道の上を目をつむって歩いている感じ。
すべて手探りでいいんだなというのが今夜の出会いの答えです。

3月8日(金)「京都 拾得」

いつも人が多い京都駅からタクシーで拾得まで。「ああ、ライブハウスですね」と運転手も知っている拾得。
さすが創業51年の老舗ライブハウスです。店主のテリーさんもまだまだ元気で今夜もPAを担当してくれます。
ライブの前半はほぼ新曲でかためて、後半になじみの曲を持ってきました。やはり歌いたいのは新しい歌。
それさえやれれば後はなんでもOKという感じです。
ライブの後に「関西フォークとその時代」の著者の瀬崎さんとだいぶ話しました。ご本人と話すのは初めてです。
一番好きな歌は「あれは忘れ物」だそうで、明日の加古川で歌おうかなと思いました。

3月3日(日)「東京マラソン」

横浜に帰る準備をしながら、テレビで東京マラソンの中継を見ていました。
東京マラソンはニューヨークシティマラソンのような市民マラソンのはずなのに、まるでオリンピック
の選考会のようでつまらなかった。友だちや家族が走っているのをテレビで見られるのを楽しみに
している人も多いのに、映るのは勝敗をかけて必死になっている先頭集団ばかり。
市民の見えない市民マラソンだと思いました。
夕方、10日ぶりに仙台よりだいぶ暖かい横浜に戻って来ました。

3月2日(土)「菅原克己の詩を歌う」

佐久間順平が出るので、「菅原克己の詩を歌う」(日立システムズホール仙台)というコンサートに
ユミと行きました。前半50分ぐらいが菅原克己の詩を歌ったり朗読をしたりする時間で、後半は
詩人のアーサー・ビナードや編集者の人も交えての座談会。
ぼくの古い友達の順平くんの歌やヴァイオリンの演奏を久しぶりに聞きましたが、とても良かった。
2006年にぼくも「詩人 菅原克己をうたう」というコンサートを塩釜市のエスプでやりましたが、
ぼくは順平くんのように菅原克己の詩に曲をつけて歌ってはいないので、今日のコンサートのように
菅原克己の詩に寄り添うようなライブにならなかったのが思い出されました。

3月1日(金)「中古レコード市」

仙台にいて楽しみなのは年に2回、駅前のEbeansというビルの9階で開かれる中古レコード市。
東北や関東や関西のレコード屋が終結して、だいたい2か月間ぐらい開かれます。
名古屋のとあるレコード屋さんは値段が安くておもしろいものが多く、ここだけで今日は6枚も
買いました。名古屋の実店舗にも行ったことがありますが、仙台に来てくれてうれしい。
帰りのエレベーターで、段ボール箱2箱もレコードを買った若者に話しかけてみたのですが、
千葉から来た転売業者だそうで、日本のレコードは海外で高く売れると言っていました。

2月29日(木)「「コンパートメントナンバー6」

久しぶりに映画会。今夜の会場は火星の庭です。
ホルンの澁谷さんが持ってきたフィンランド映画「コンパートメントナンバー6」を
見ました。2021年の作品だそうですが一人の女性の心の動きが生き生きと描かれています。
ずっと大切にしたいような気持ちになる作品でした。

2月28日(水)「長井さんとの思いで」

句会の主宰渡辺誠一郎さんが以前勤めていた塩釜のふれあいエスプで、今日まで「長井さんとの思いで」
という企画展をやっていました。昨日の句会で渡辺さんからそのことを知って、今日ユミと二人で塩釜に
行って来ました。長井勝一さんは塩釜市生まれです。
たくさんの漫画家がガロ編集長だった長井勝一さんとの思い出を一枚の絵にしていました。
ぼくの友人であるシバは15歳のときにみつはしまこととしてガロにデビューしていたことを初めて知った。
おそらくこの企画展のために描かれたシバの絵を見ると、何一つ変わっていない昔のままだったので、
もうずいぶん会っていないけど、シバ本人も変わっていないんだろうなと思いました。
JR東北線の塩釜駅からJR仙石線の本塩釜駅までの約1.5キロの散歩が良かった。
冷たい海風が相当きびしかったにもかかわらず。

2月27日(火)「句会」

火星の庭で今年初の句会がありました。俳句はぼくにとって言葉との出会いのようなもので、
句会が近づくと街の中の様々な文字が目に入ってきます。言葉が新鮮に感じられます。

2月25日(日)「我々のものではない世界」

レバノンのパレスチナ難民キャンプで暮らす人々を撮った映画を見ました。
その難民キャンプで育ち、のちにデンマークに移住して今はイギリスで暮らすマハディ・フレフェルの作品です。
この映画でぼくは、難民キャンプで暮らす人々のことが初めてわかりました。難民キャンプのアイン・ヘルワは
たった1平方キロメートルという狭さで、そこに7万人が暮らしているとか。「パレスチナなんてくそくらえ」、
「過激派なんて大嫌い」と、働くことを禁じられているのでうっぷんをため込む若者と、いつかパレスチナに
戻れることを60年以上も待ち続けている老人たち。やりきれなさが映画を見ているぼくにも激しく浸透してきました。
なんともしようのないひどいことが日常となったパレスチナの現状です。

2月24日(土)「建築ダウナーズオープンスタジオ」

火星の庭の前野さんが車で迎えに来てくれて、ぼくとユミと3人で若林区六丁の目にある建築ダウナーズの
スタジオへ。昨日の映画「Void」の菊池くんは建築ダウナーズのメンバーです。
建築ダウナーズは建築家というよりはもっと基本的な、山と木材と人の暮らしや歴史に焦点を絞った活動を
しているようです。スタジオにはその素材や資料、研究の成果などが展示されていました。
2階には昨日の映画でも紹介されていた菊池聡太朗さんの油性パステルで描かれた絵が何点も展示されていました。
一番大きな絵が目立たない狭い場所に立て掛けあるのをユミが指摘して、その絵をみんなで広い所に移動させました。
映画の中ではまだ描いている途中だった菊池くんの荒れ地を描いた絵はとても迫力がありました。

それから前野さんの車で送ってもらい、昨日のギャラリーに別の作品を見に行きました。

福原さんの「人形劇団ポンコレラ」を取材した作品と「老人と家」という少し長めの作品です。
「ポンコレラ」の老婆と猫を題材にした人形劇は、「老人と家」から作られたものなんだとぼくは今日
知りました。「きれいだよ、本当だよ」とおばあさんが猫に話しかけるせりふが「ポンコレラ」の劇にも
福原さんの「老人と家」にもあって、この二つがぼくの中で今日繋がったのです。
家の玄関の向こうに森林のようなものが常にあったので、このおばあさんの家は西公園のそばなのだな、
となんとなくわかり、ユミと帰り道に歩きながらその家を見つけました。おばあさんはもういないのか、
家の中は真っ暗でしたが、映画に出てきたような猫が塀の上からぼくたちを見下ろしていました。

  2月23日(金)「まちとまなざし」

昨日の夜に仙台に来ました。前日に降った大雪がまだたっぷりと残っていました。
今月の火星の庭の中古LP,CDコーナーは、CDの棚をほぼ入れ替えたので、新入荷30枚です。
でもその代わりLPは7枚しか持って来られませんでした。

今日はユミと地下鉄で大町西公園駅まで行き、「ターンアラウンド」というギャラリーで福原悠介さんの

「Void」と飯岡幸子さんの「ヒノサト」という2つの映像作品を見ました。「Void」は菊池聡太朗さんの
絵画の制作過程を記録した28分の映画で、菊池くんは時にはおまじないのように手を紙にすべらせて、
小さな紙に小手先で描くのではなくて、大きな紙に体で描いていました。
「ヒノサト」は予備知識なしで見ると戸惑いを覚える映画でした。後でチラシの解説のようなものを
読んで納得。説明を省いた映画を見終わってから説明を読んで、ようやく映画の本筋が始まった感じです。

2月18日(日)ヴォイスミツシマ パート2」

「ヴォイスミツシマ」のパート2をユミと聞きました。収録のとき一緒にスタジオにいたユミも、聞きながら
その編集のうまさに感心していました。ぼくはミュージカル「100万回生きたねこ」の劇中歌「また繰り返す」
を満島さんと二人で歌った部分にドキドキで、なんとかちゃんとできたみたいなのでほっとしました。
もう一曲、ぼくがソロで歌った「4月になれば」も一緒にやれるとよかったな。
ぼくのことを「友部正人という現象」と満島さんに言われてうれしかった。
今週土曜日までらじるらじるの聞き逃し配信で聞けます。
 
追伸
放送中に子供の頃に食べた幻のお菓子の話をしましたが、後でユミが調べてみたら今でもちゃんとありました。
岩手県二戸市の名物駄菓子「天台寺かりんとう」でした。懐かしいな。

2月17日(土)「日日芸術」

下北沢のラカーニャで、伊勢朋矢監督の映画「日日芸術」の試写会を見ました。
早めに下北沢に着いたのでユミと街を歩きました。ライブがあるときはとてもそんな時間の余裕はないので、
のんびり歩けるのはとてもめずらしい。線路や駅が変わったりして大幅に変更されたように見える下北沢ですが、
歩いてみると昔からあった店がまだそのままあったりして、そんな部分がこれからも下北沢として生き残って
いくんだろうなと思いました。

試写会は昼と夜の2回で、ぼくが参加した夜の部には、映画に出演して音楽も奏でているパスカルズの

メンバーも来ていました。
この映画は朋矢くんが今までNHKBSで番組制作してきたアウトサイダーアートの作り手たちを、
俳優の富田望生さんが訪ね歩くような内容の映画です。「どこまでがドラマで、どこからがドキュメンタリー
なのか」というチラシの文句のように、音楽と絵と人間が混然一体となったおもしろさがあります。
ドキュメンタリーとはいえ、作った側の楽しさが伝わってくる作品。4月13日から一般公開されるそうです。

2月11日(日)「ヴォイスミツシマ パート1」

約2週間前に収録した「ヴォイスミツシマ」パート1をユミと聞きました。
満島ひかりさんは慣れた感じで、ぼくが濁流だとしたら、小舟を操る船頭さん。満島さんには自分の感じたことを
手早く言葉にする自由さがありました。ぼくの声はぼそぼそしていてラジオ向きではないなと思いながらも、
満島さんとの会話を楽しんでいるのがわかります。満島さんと出会うきっかけになったミュージカル「100万回
生きたねこ」の頃の話や、「6月の雨の夜、チルチルミチルは」の話をしました。
50分という時間はとても短い時間でした。

2月10日(土)「一穂とひかりさんとユミのお母さん」

一穂と妻のひかりさんとぼくとユミとで、神奈川県の施設で暮らしているユミのお母さんに会いに行きました。
お母さんに会った後、4人で横浜のみなとみらいへ。駐車場の4時間という制限時間内で、関内で中華料理を
食べたり、赤レンガ倉庫で買い物をしたりしたのですが、4時間あればけっこういろんなことができて楽しめる
ことがわかりました。ユミがひかりさんに買ってあげた毛糸の帽子がかわいかった。

2月7日(水)「画廊めぐり」

ユミと横浜の画廊めぐり。まず仲通りギャラリーで佐藤陽也くんの個展を見ました。
ギャラリーで佐藤くんはライブペインティングをしていて、絵が一筆ごとに変わっていく過程の
おもしろさを見せてくれました。
そのあと吉田町のギャラリーミロへ、スタジオ21のメンバーによる冬の岩手を題材にしたグルーブ展を見に。
メンバーの一人の広田稔さんは、「今年は雪が少なかった、雪を描きに行ったのに」と、1月にぼくと板橋文夫さん
のライブを聞きに来てくれたときに言っていました。

2月1日(木)「アイ・アイ」

マヒトゥー・ザ・ピーポーの監督した映画の試写をユミと見に行きました。
断片のようなものがいくつもつながっていて、最初これは過去に関する映画なのだと思いました。
だけど一人だけ気が狂ったように未来そのもののような人、それが森山未来さんが演じる人です。
誰の過去にも一度ぐらいは出会ったことのある未来そのもののような人、人生が始まる前に死んでしまって、
からっぽの未来だけを残した人。
2年ぐらい前に完成していたというこの映画にはまだ真新しいインクのにおいがして、昔ぼくに未来を
感じさせてくれたことのある人たちを思い出させてくれました。
未来は断片のままだから未来なんだなと思わせる、悲しくもまっすぐな作品ですね。
上映の直後スタッフの人から感想を求められてビデオで撮影されましたが、言葉にならずに雰囲気だけを
伝えたのですが、後から思えば映画は動きなので、雰囲気を動きで答えるしかなかったのかもしれない。
夢も眠ると現実に戻る。ここからまたどんな未来が始まるのかな。
映画の始まる前と終わった後に会場の外でマヒトくんに会いましたが、ぼくとマヒトくんの未来のことを
少し話してから帰りました。

1月28日(日)「知久くんソロライブ」

ナモとの「お別れ会」の後、ぼくとユミは横浜のサムズアップの知久くんのソロライブに行きました。
知久くんの全くのソロは久しぶりで、声がギターから出ていてギターが足の裏から聞こえるような、
体全体が楽器と化したような演奏にしびれました。
アンコールで、もしかしたらぼくと一緒に何かやりたかったのかもしれないけど、ぼくは西荻窪からの
帰りだったのでギターは持っておらず、知久くんが一人で歌い始めたぼくの歌「君が欲しい」に、
2番からぼくも参入。ぼくの普段のキーより3度も高い声で精一杯一緒に歌いました。
この日の知久くんのソロライブは大入りで、本人もとてもうれしそうでした。

1月28日(日)「ナモ(長本光男)」

去年の11月にナモがなくなっていたことは知りませんでした。昔吉祥寺の「のろ」で働いていた人が
つい最近教えてくれて、ナモの長男の仁くんもメールしてくれて、この日のことを知ったのでした。
ナモのことはこれまでにぼくのエッセイ集などに書いているので、読んだことがある人もいると思います。
西荻窪にある長本兄弟商会という変わった名前の、無農薬野菜を売る八百屋の主人です。
そのナモとの「お別れの会」があると知らされて、ユミと久しぶりに八百屋のあるホビット村に行って来ました。
二階のレストラン「バルタザール」でお茶を飲み、懐かしい人たちにも会えました。
三階では思い出の写真や新聞記事が壁一面に貼られ、ぼくが連載していた東京タイムズの記事もありました。
ぼくの文章によれば、ぼくがナモと会ったのは1974年7月のカリフォルニア州バークレー。ニューヨークから
日本へ帰る途中にバークレーに寄ったときのことでした。ナモの妻の京子さんのお腹には長男の仁くんがいて、
ぼくは彼らがバークレーで借りていたアパートのペンキ塗りを手伝ったのでした。
75年にナモ一家が帰国してからの付き合いは長く、ぼくが住んでいた久我山の一軒家の二階でナモの詩の朗読会を
開いたこともあるし、ナモの八百屋の祭りでぼくが歌ったこともあります。
ナモはぼくに「ただ道を一人で歩くだけではダメなんだ。誰かと出会い、一緒に何かをしていかなくては」という
ことを教えてくれたんだと思います。

1月27日(土)「横浜 ドルフィー」

2021年9月以来久しぶりの板橋文夫さんとのライブ。板橋さんとぼくには、今までにライブで演奏したことが
あるぼくの歌が山のようにあるので、久しぶりの今日はその中からベストな選曲でやりましょう、とユミが提案。
二人でやる新曲は「陸前高田のアベマリア」にしぼりました。
ソロで3曲ぼくが歌った後、板橋さんと二人で4曲やって休憩。ふと見ると、客席はぎっしり満席でした。
後半は板橋さんのソロから。板橋さんのピアノの情景描写は前からすごかったけど、今夜の「渡良瀬」のピアノは特
にすごかった。原曲の面影はどこにもなく、ピアノはただ川と化していた。川面の水音から光の反射、川底までの深さ、
そのすべてをピアノという得体のしれない楽器で思う存分奏でている板橋さんの演奏は、まるでドストエフスキーの
長編小説のようでした。
板橋さんのピアノの音色はぼくの歌の動機となります。ぼくの中に入って来る音が、歌となって出て行くのです。
久々におもしろいセッションができました。

1月26日(金)「Perfect Days」

渋谷区の公衆トイレの映画です。トイレプロジェクトの会社の映画というべきか。
透明だけど鍵をかけると中が見えなくなるびっくりするようなトイレも出てきます。
トイレ清掃をする男性が主人公で、役所広司さんが演じていますが、この主人公の笑顔が素晴らしい。
朝目覚めたとき、ドアを開けて夜明けの空を見上げるとき、エンディングでニーナ・シモンが歌う
「Feeling Good」そのものの笑顔です。監督のヴィム・ヴェンダースはこの歌の歌詞に沿って映画を組み立てて
いったのかもしれないと思ったら、パンフレットにそのようなことが書いてありました。

公衆トイレではよく清掃の人を見かけます。手にした布で一生懸命便器をこする人。

何度も目にしたことがあるので、汚さないように使いたいのにとてもむずかしい。たいていの男性小便器の
まわりは水浸しです。それなのに、この映画ではトイレがとてもきれいなのが気になりました。
毎日毎日をきちんと生きている主人公の今がとても素敵でした。

1月23日(火)「ヴォイスミツシマ」

NHKのCR505という広いスタジオで、満島ひかりさんの番組「ヴォイスミツシマ」の2週分の収録がありました。
ぼくとユミが満島ひかりさんと会うのは横浜サムズアップのパスカルズのライブ(2022年10月)のとき以来。
確かそのときに今回のラジオの話をしていました。
満島ひかりさんとは2013年のミュージカル「100万回生きたねこ」のとき初めて一緒に仕事をしましたが、
もう10年以上前になるんですね。
満島さんは主演で、ぼくは劇中歌の歌詞を書いたのですが、その時の歌を久しぶりに歌いたいと思って楽しみにしてました。
50分の番組2回分というので、ずいぶんとゆったりとした収録で、
生演奏もいくつかあって、「100万回生きたねこ」の中の曲を満島さんと二人で歌うときは
3回ぐらいやり直しました。それでもぼくはギターのコードを一か所間違えた。
満島さんからは「はじめぼくはひとりだった」「西の空に陽が落ちて」のリクエストがあって歌い、
ぼくは満島さんに「彼女はストーリーを育てる暖かい木」の朗読をお願いしました。
気持ちのありかからうまく言葉を探し出してきて話す人なので、具体的な話から抽象的な話まで、
話はかみ合っていたような気がしますが、実際はどうだったのでしょう。
放送日は2月11日(日)15:05~15:55と2月18日(日)15:05~15:55です。
収録とはいえ生放送とあまり変わらない感じだったので、ぼくも聞くのが楽しみです。

1月19日(金)「双葉双一トリビュート」

代官山の「晴れたら空に豆まいて」で昨日と今日の二日間の「双葉双一トリビュート」コンサートが
ありました。ぼくは二日目の今日、原マスミくんとゲストで出演。トリビュートアルバム「He is not there」
で歌った双葉くんの「体は食卓 頭は雲の上」の他、自分の歌を6曲歌いました。
最初に歌った原マスミくんの歌が刺激となって、ぼくも思ったよりいい演奏ができたみたいだし、
最後の双葉くんの歌も刺激的でおもしろかった。そこだけ切り取ってみたら、日本の音楽シーンって
なんておもしろいんだろう、って世界の人は思うかもしれない。普通の歌が一つもない普通の世界。
最終一つ前の東横線満員電車の酔っ払いにも、耳をすませばぼくやユミの頭の中で鳴っている今夜の音が
聞こえたかもしれません。

1月15日(月)「横浜へ」

16日の句会が参加者の体調不良で中止になったので、予定より早く横浜に戻ることにしました。
横浜に着いたら仙台に比べて暖かく、駅のプラットフォームには春の兆しが立っているようでした。

1月14日(日)「アリゾナ・ドリーム」

ユミと二人で、家のプロジェクターでエミール・クストリッツァの「アリゾナ・ドリーム」を見ました。
同じ監督の「アンダーグランド」を見た後なので、とても期待したけどそれほどでもなかった。でもユミは翌日に
「思い返すとなんか純粋さを感じたな。そういう監督なんだなあ」と言っていました。

1月13日(土)「中古レコード」

山口くんは朝の常磐線の特急で湘南の家に帰り、ぼくとユミは佐藤ヒロユキさんの車で仙台に戻りました。
夕方麦のパンを買いに火星の庭をのぞくと健一くんがいて、「レコードを全部まとめ買いした人がいます」と
空っぽになったレコード箱を見せてくれました。いくら安いとはいえ(何枚組でも各500円)今までそんなことは一度も
なかったので、どういうことなのか理解できないまま家に帰ってユミに報告すると、ユミもびっくりしていました。
毎月15枚ほどスーツケースに入れて横浜から運んでいるレコード、まとめ買いされるとぼくとしては困ったことです。
レコード屋ではないので、補充が追いつかない。
ぼくが遊びで始めたこのコーナー、参加してくれる人も遊び心をなくさないでくださいね。

1月12日(金)「いわきSONICで待ちあわせ」

山口洋くんとの「待ちあわせ」コンサートのいわき編。風は冷たいけれど、心暖かいライブでした。
たぶんそれは震災後もこの町で頑張っている人たちや、震災後は他所の土地に暮らすいわきの人たちが今夜の
ライブにやって来たからかもしれません。
そういえばいわきには昔からライブができる店がいくつもあって、今はそれがSONICなんだなあと思いました。

1月11日(木)「マッチ工場の少女」

今日はオフなので、ユミと仙台の「フォーラム」に、アキ・カウリスマキの旧作「マッチ工場の少女」を
見に行きました。フィアンセだと思い込んだ男から「これっぽっちも愛していない」と言われて、自分が
歩んできた短い人生に絶望した彼女は、殺鼠薬で復讐・・・という暗い話。
新作の「枯れ葉」とは雰囲気のだいぶ違うきつい映画でした。

1月10日(水)「待ちあわせ」

Macanaというライブハウスで山口洋くんと「待ちあわせ」ライブをしました。
30年前の「待ちあわせ」で共作した3曲は、去年サムズアップでやったときよりもだいぶ自由に
歌えるようになりました。この3曲、今年は音源化できるといいねと話しています。

1月9日(火)「山口洋と仙台でリハーサル」

昨日から仙台に来ています。
仙台の貸しスタジオで、山口洋くんとリハーサルをしました。
2023年6月に横浜のサムズアップで二人でやった「待ちあわせ」ライブの再現です。
リハーサルの前に火星の庭のぼくの「中古レコードコーナー」にレコードを補充しました。
山口くんもちょうど火星に来たので、さっそく一枚買ってくれましたよ。

1月6日(土)「ドリー・ベルを覚えているかい?」

「アンダーグラウンド」の監督エミール・クストリッツァの幻のデビュー作を見たくてユミと2日続けて
ジャック&ベティへ。「ドリー・ベルを覚えているかい?」はやはり音楽が軸にあるすてきな映画でした。

劇場のオーナー梶原さんにも久しぶりに会えました。ジャック&ベティでは現在「閉館待ったなし」という

クラウドファンディングをやっています。諸経費が嵩み運営がきびしくなって立ち上げたのですが、
目標額の3000万円はすでに達成しているそうですが、コロナ以前のようにはお客さんは戻って来てはおらず、
これからのためにも支援を続けて欲しいということでした。
梶原さんがオーナーになった初めのころからずっと、ぼくとユミはジャック&ベティに通って映画を楽しんでいますが、これからも可能な限り駆け付けたいと思っています。いい映画を上映し続けてね。

そしてこの二日間で特に感じたのは、映画館で映画を見ることと、自宅でDVDを見るのとの違いです。

映画を見ると感じる大きな感情は、映画館の大きな画面でしか味わえないものなのかなあ。

2024年1月5日(金)「アンダーグラウンド」

見逃していた「アンダーグラウンド」をやっとジャック&ベティで見ることができました。
日本では3度目の再上映だそうです。
物語につきまとうブラスバンドの音楽が初めから終わりまでたまらなくいい。なんでここまでやるのか、
異常な音楽の使い方です。
3時間かけて語られる監督の祖国旧ユーゴスラビア。そこに生きた人たちの夢のように残酷な物語でした。
西洋諸国によって外から語られるのではなく、その国の中の人の声と言葉で歴史は語られなくてはならない
と思いました。長い映画でしたが、語るには足らないくらいの短さを感じた作品でした。最高です。